chapter12. defender of the memories -1秒の記憶-
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「はい、じゃあ今学期はここまで!」
先生が、出席簿で軽く机を叩いた。
「最後の夏休みだ。ハメ外すなよ!!」
その言葉を合図に、クラス中が蜂の巣を突いたみたいな大騒ぎ。ワーッという歓声と、ドヤドヤした足音。
その中で、僕もゆっくり席を立った。斜め後ろの霧島君を、振り返る気にもなれなくて。
……終業式のときも、霧島君はこっちを一回も見なかった。もう……僕からは声、掛けられない。
楽しいはずの夏休み。
克にぃがいたら、朝から晩まで一緒にいられる時間が、1ヶ月もあるのに。
毎年、克にぃにべったりくっついてた。時々外に一緒に出て、霧島君と遊んだ。海のお土産とか、持ってきてくれて……
「天野、……あまの!」
階段を降りようとしたら、後ろから走ってきた声に、呼び止められた。
「……緒方君」
振り向いて、思わず赤面しちゃった。
こないだは……思い出すと、とっても恥ずかしいコトしてた…僕。
1階通路の真ん中で、緒方君にしがみついて、いつまでも泣いた。桜庭先生が出てくるのが怖くて、場所を移って泣き続けた。
それはあの、一番近くのトイレの個室。
僕は歩けなくて、それ以上遠くに行けなかったから……。緒方君は、僕のそんな行動を何も聞かずに、ずっと抱き締めてくれていた。
───緒方君は……何で僕なんかに、構ってくれるんだろう。
「…………」
言葉を出せずに、緒方君を見上げていると、何もなかったみたいに笑ってくれた。
「天野、夏休み暇だろ?」
「え……」
「霧島と、遊ばないんだろ?」
「……うん」
……霧島君とは、もともとそんなに遊んでない。学校にいるとき、一緒なだけなんだ。
でも……
「ヒマかは……わからない」
「……そっか、ならいいけど」
「………」
「退屈だったら、オレんとこ連絡しろよ、一緒に遊ぼうぜ」
ぽんと、僕の頭に手を置いて撫でてくれる。
克にぃが…霧島君も……そうしてくれた。じんわり、体温が伝わってくる。
……………。
「うん…」
僕は曖昧に、笑い返した。
「……泣きそう」
そのまま頭を引き寄せられて、屈んできた顔が、囁いた。
「……!!」
真っ赤になった僕に、間近で片目をつぶってみせる。
「追加。泣きたくなったら、言えよ!」
鼻がくっつきそうな距離で、こそっと言う。
「うん……こないだは…ありがとうね」
僕も笑い返した。今度は、ちゃんと。
「いいって! それよりさ、今日、天野と帰っていい?」
綺麗な顔が、華やかに笑った。
「……僕。まだ帰れない…」
「ふうん? じゃあ、下駄箱まで一緒に行こう。降りるんだろ?」
「うん、1階までは、一緒」
緒方くんは、やっぱり何も訊かない。僕は、それが心地よかった。ウソをつかなくて、済むんだから……
僕たちは、ゆっくりと階段を降りだした。
「……緒方君て、兄弟、いる?」
ふと思った。霧島君には、お姉さんがいる。
「オレ? …オレは、一人っ子!」
見上げた顔が、にこりと笑った。
……ひとり……。
「だからかな、天野見てるとさ、こんな弟いたら可愛いなあって…」
「……え」
ちょっと驚いた。僕は克にぃの、弟で……
「僕の兄貴は……克にぃだけ…」
思わず、口をついて出ちゃった。いつも言ってた、“克にぃだけ”ってコトバ。
「うっ」
緒方君が、横で変な声を出した。
「……アニキ!? ……あまのッ……」
─────!?
……あ、…笑われる!!
霧島君の時を、思い出した。涙が出るほど、笑ってた。
「…そんな、似合わないか……んっ!」
「可愛い!」
ぎゅっと抱きしめられた。
「……わぁっ!?」
階段の途中だったから、僕は足元がぐらぐらした。
「天野、やっぱ、可愛い!!」
「え~!?」
緒方君の腕の中で藻掻くと、力を緩めてくれた。他の子が通ってるのに、恥ずかしくないのかな。
僕が真っ赤になって見上げると、すっごい真剣な目が僕を見ていた。
「…………!」
思わず、どきっとした。
「弟じゃ、ないな。こんな可愛いと思うの…」
「………!?」
「天野が泣くの、辛いな」
………。
長めの前髪の間で、真剣な眼のまま、眉が顰められた。
「天野が泣かなくて済むように…なればいいのにって」
「…………」
「すっごい思っちまうのって、オレ、変かな。……ウゼェ?」
────!!
克にぃが泣いてたの、思い出した。霧島君が、泣きそうな顔したの、思い出した。
「そんなことない! ……だれだって、人が泣いてるトコなんて、見たくないよ!」
緒方君の胸にしがみついて、叫んでいた。背伸びして、伸び上がって、緒方君の顔にそう言っていた。
だって、緒方君も、そんな顔してたから……
「はは…! 大人みたいな事、言うんだな!」
「………!!」
──天野って言葉がちぐはぐ! ……時々、やたら難しい言葉使うな──
………なんか、いろんな事が…重なる。霧島君を、思い出す。
「…克にぃが、教えてくれたから」
あの時も、そう言って答えたんだ…僕。
僕が一番、泣きそうな顔だったのかもしれない。緒方君が、またぎゅっと抱きしめてくれた。
「ぅう……ねぇ、人が見るよ…」
なんとなく落ち着かなくて、緒方君に言った。
……それに、やっぱ……ダメだから……
僕たちはゆっくり降りてて、立ち止まっちゃってたから、もう誰も降りては来なかったけど。
3階から2階への踊り場で、眩しいけど入ってこない夏の陽が、僕たちにくっきりとした影を作っていた。
下の階で騒ぐ声が、変に遠くに聞こえる。
「……ごめん」
緒方君が、ゆっくり腕を離してくれた。
「……なぁ」
代わりに、またぽんと頭に手をのせる。
「泣きたいときは、泣けよ……マジで」
クシャクシャと撫でてくれる。
「オレなら、もう…いいだろ?」
「……うん、ありがと……」
胸が、熱くなった。理由を言わなくていいなら、泣けると思った。
そしたら、辛いの少し、ラクになるかな……
「はは…気持ちいいな、天野の髪」
「えー」
ぐしゃぐしゃと触り続ける。
「細い髪だなぁ。ふわふわ!」
よく、克にぃがそう言いながら、頭を拭いてくれた。
「や……やめて…」
胸がぎゅっと痛くなった。あわてて両手で、緒方君の手を押さえる。
「はは、ごめん、ごめん」
楽しそうに、乱れた髪を直してくれた。
「………緒方君は……」
「ん?」
優しいけどしっかりした目が、僕を見返す。僕はさっき思ったことを、聞いてみた。
「兄弟、いなくて…平気なの?」
「……平気って?」
「こんなふうに、相談にのってくれる人、…いないでしょ」
克にぃみたいに……
「あぁ? 父さんに何でも言ってるな、オレ」
「とうさん?」
「……天野、親に相談しないのか?」
「…………」
答えられなかった。
僕の中では、とうさんは“オトナ”で……
子供の僕なんか、構ってくれないと思ってたから。
───克にぃの言うことなら、聞くかも知れないけど……。
とうさんに相談するなんて、却って怖い気がする。僕なんかが何か言ったって、自分で何とかしろって言われるだけだ。
克にぃと比べられて、駄目な子だって、…思われるだけだよ。
「…緒方君のとうさんは、“オトナ”じゃないの?」
「……大人だよ、親だから当たり前だろ……」
驚きを抑えた声が、返ってくる。信じられないという目で、僕を見下ろす。
「大人だから…親だから、聞くんだろ! 子供の悩みだぞ!?」
…………。
子供だから、聞かないんだよ。とうさんは、いつも“オトナの世界”にいるんだから。
「なぁ天野……オレ、何にも訊かないって言ったけど……」
「………」
「口出ししたくないけど、……親には相談しろよ!」
…………できるわけない。
あの写真が、いつも僕を苦しめる。あんなの…見られたら……
「……天野!?」
緒方君が顔を真っ白にして、僕の肩を掴んだ。
「ごめん、もう言わないから!」
そう言って、また抱きしめてくれた。
僕は、ぼろぼろと零れた涙で、緒方君の胸を濡らしていた。
「ごめんな、……ごめんな」
緒方君は、ずっと謝ってくれていた。一回も、なんで泣く? って訊かなかった。
だから僕は、それ以上苦しくならないで済んだ。ウソつきにならなくて、済んだんだ。
───だいぶ時間が経っちゃった……
……先生が、待ってる。
「……行かなきゃ」
「…ああ」
顔を拭いて降りていくと、下駄箱で、緒方君を待ってる集団がいた。
「あいつら、待ってたんだ。先帰っていいって、言っといたのに…」
「……ごめんね、待たしちゃって」
「いいって! それより、夏休みの間、連絡しろよ! じゃな!!」
また頭を撫でてくれると、友達の方へ走っていった。
ふわりと前髪をなびかせて。小さく見えるランドセルを、片方の肩だけに引っかけて……
わりぃ! っていう、明るい声。遅せーよ! っていう、文句と笑い声。
「…………」
友達……。
緒方君と仲の良さそうな集団の姿を、見送りながら思った。緒方君は、あんなに友達がいる。
……僕なんか、必要ないじゃん。
……そう、思わせて。───僕に…近づかないで…
友達なんて、僕には必要なかった。克にぃがいたから。
それでも、霧島君がなってくれた──友達だった……。
手のひらをぎゅっと握った。
でも、これからも必要ないんだ───霧島君も……緒方君も……
みんなが右に曲がって靴を履き替え、昇降口を出て行く。僕だけそこを通り過ぎて、真っ直ぐ廊下を歩いた。その先の、保健室のドアを開けるために。
「……失礼します」
こんな僕に、だれも近づいちゃいけないんだ───