chapter12. defender of the memories -1秒の記憶-
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「…………」
……先生は………
「……うん?」
………また、声を出してたのかな……僕。
桜庭先生が、「なに?」って顔で、僕を見た。……優しい目。
先生が、わかんない。
泣きそうな顔したり…今みたいな、寂しいためいき。
僕を好きだって、何度も言うけど……
「…先生は……なんで僕をすきなの?」
「………ッ!」
驚いた顔になって、僕をもう一度見つめてきた。
「………僕の、どこがすきなの?」
克にぃがよく言ってくれた。
──メグ……メグ……好きだよ……
───愛してる……
その言葉に、疑問を持ったことなんて、なかった。
僕も克にぃが大好きで……それでよかったんだから。
……でも、先生は?
………突然、気がついたらこんなことされてて。イヤなのに無理矢理させられて……僕、先生が嫌いになっちゃったのに。
それでもいいの……?
「…………」
先生を見つめると、先生も僕を見つめる。困ったように眉を寄せて、また泣きそうな顔になった。
「………全部」
覆い被さってきて、抱き締めて……僕の首元に顔を埋めた先生は、小さい声で呟いた。
「全部……天野君の、全部が好き……」
………ぜんぶ……?
「……わかんない……」
「………うん」
僕の呟きに、しばらくしてから、先生も小さく頷いた。
それだけだった。
今日は一日ここにいるって、言ってたけど、そのあともう一度シャワーを浴びて、僕たちは退室した。
あまり酷くされなかったから…久しぶりだったけど、身体は痛くならなかった。
「……蒸してるね」
早足で建物から出ると、先生が息をついた。
外の空気は、じっとりしてて、上からの太陽が目に痛いほど、眩しい。
「……………」
僕を乗せて、車はまた走り出した。
………どこへ行くんだろう。
あの時も、そう思った。ワクワクしながら。
克にぃが一言も喋らなくても、僕、ちっとも不安じゃなかった。景色がびゅんびゅん過ぎていって。見たこと無い場所をどんどん行って。
克にぃと、二人っきり。
──旅行だ! 克にぃと旅行だ!──
そう思うと、車の中で、もっと走りたくなる気分だった。
「天野君、聴こえる?」
いつの間にか車が止まっていた。
広い芝生が広がる公園のはじっこ。
先生が自動販売機でジュースを買ってきてくれて、車の窓を全開にしていた。暑いけど、気持ちいい風が入ってきた。
「………?」
「耳を澄ましてみて」
「…………」
───あ!
「セミだ!」
思わず大きい声が出ていた。先生が笑った。
「天野君、セミ、好き?」
「うん、好き!」
僕は外を眺めた。車は公園の端に生えてる、大きな木の下に停まっていた。木陰の中で木を見上げても、よくわからない。
「どこかな……」
「……あそこ?」
すいっと手が伸びて、窓の外に指を伸ばした。
横を見ると、運転席から僕のすぐ横まで、身体を乗り出した先生が、木の上のセミを指さしていた。
頬が触れそうに、近い。先生の横顔は、窓の外のセミを、真っ直ぐ見ていた。
「……………」
『どこっ!? どこっ!?』
僕はセミを見つけたくて、いつも必死に木を見上げた。
毎年毎年、セミが鳴く夏。
よく克にぃと、見つけっこをした。
そこらじゅうでミンミンいってる中、特に近いトコでジージーいってるのがいたりするんだ。
どんなに探しても、わかんなくて、僕は叫んでいた。その後ろから僕を抱え込んで、克にぃが指をさしてくれる。
「あそこだよ、ほら」
まっすぐ伸びた克にぃの腕の先、指の先、と、たどっていくと、その先の木の枝に、黒いモノが点とくっついている。
「いた!! セミ、みっけた!」
「やったなー、メグ」
頭をクシャクシャと撫でてくれる。
「あれ、とって!」
僕は克にぃに、せがんだ。
「とってもいいけど……すぐ逃がすんだよ」
「なんで?」
「可哀想だから」
「かわいそう?」
「うん。セミはね、地面で7年も待って、やっと外に出てきたら一週間で死んじゃうんだ」
「うごかなくなっちゃうの?」
「うん。だから、一週間、自由にしてあげないとね」
その時はよく分からなかったけど、もっと大きくなって分かるようになった。
何年か後、また夏が来て。僕はふと思ったんだ。
「克にぃ、このセミは去年のじゃないの?」
ミンミンとうるさいセミたち。毎年同じように鳴いて、同じだけいると思ってた。
……でも、一週間で死んじゃうんだよね?
「うあ!?」
いきなり克にぃに抱きしめられた。
「くっ…くるしい…」
「メグ、すごいな! そんなこと、思いついたんだ!」
克にぃは、僕を抱きしめて首に顔を埋めた。
「くすぐったい! くるしいー!」
僕も笑ってあばれた。
「ごめん、ごめん! すごいこと言うから、兄ちゃんびっくりしちゃった」
「そう?」
「うん、……セミだけじゃないけどね。一年で死んじゃう虫とかは、来年もまたいるけど、違うのが生まれてくるからなんだよ」
「……へえー」
「メグの言うとおり、一匹だって、同じセミはいないんだ」
「………」
「次世代へ繋ぐために、毎年地上に出たセミが、頑張って生き抜いた結果なんだ。この一週間だけ外で生きて、8年後にまた出てくるセミのために、たまごを生むんだよ」
「ふ~ん?」
「そうか、今鳴いてるセミは8歳だよ! はは、メグよりお兄さんだ!」
「ええーーっ!!」
僕は、スッゴイびっくりしたの、おぼえてる。
「そうかぁ、すごいね!!」
「うん、それを繰り返してるんだよ。8年後のために」
「……」
「その繰り返しなだけなのに、毎年同じのがいるみたいなんだな」
克にぃも、自分で言いながらうんうんと、頷いてた。
「メグだって、来年もメグだけど、違うメグなんだぞ」
「えー?」
芝生に足を伸ばして座って、その上に僕を前向きに乗っけてくれた。
右手に右手、左手に左手を重ねてにぎって、交互に振り回す。
「この手だって、去年より長い~」
「あはは!」
「でも、メグは来年もメグだから、そのメグに贈り物をするために、今生きてるんだ!」
「なにー? それ」
「うーん、たとえばメグ。去年、九九を覚えたろ?」
「うん! 覚えた!」
「その前に足し算と引き算、覚えたよね」
「うん!」
克にぃがしゃべってくれるの大好きで、僕は膝の上で飛び跳ねた。
「でも、足し算とか無しで、急に九九はムリだろ?」
「……たぶん」
「要するにね、来年のメグのために、去年のメグが、今年頑張ってるの」
「……うん」
克にぃのコトバ、時々むずかしい……。
「去年のメグなしに、今年のメグはないんだよ。こうやって覚えたこと、遊んだこと、それがメグになってく。………成長してく」
急に克にぃの声が真剣になって、ぎゅっと抱きしめられた。
「克に……くるし……」
僕はまたふざけてるのかと思って、けらけら笑ってた。
でも、克にぃの真剣な声に、動くのをやめた。
「メグ、覚えていて。メグと兄ちゃんの、1分1分……大事にしような。それが、メグの成長記録になる」
「………」
「1秒だって、いらない時間なんてないんだ」
「……うん」
耳のすぐ横の声が、マイクみたいに響いてる。
かっこいい……克にぃの声。僕をドキドキさせる……。
胸の前で腕をからませて、ほっぺたをくっつけて…真剣にしゃべる克にぃの息が、その度に頬にかかった。
「急がないでいいから、ゆっくり成長しような。……兄ちゃんと一緒に」
「えー、僕、はやくおっきくなりたい!」
克にぃみたいな、“兄貴”になりたかった。背も伸びて、いろんなコトができて……
「メグ……時間だけは、総てに平等だから。メグだけ早送りなんて、できないよ」
「…うん…」
ビョウドウって、なんだろ。
「……巻き戻しもね。だから、セミも7年待つ。……俺も待ってる」
「……なにを?」
振り向いた僕に、克にぃはふふっと笑った。
「メグの…成長」
「えっ! じゃあ僕、がんばる!」
「いいの、いいの、急がなくて、いいのーっ」
さっきよりぎゅっとされて、ほっぺたもぐりぐりくっつけられた。
「かつにぃ、ずるいーっ」
「あははは………」
時々そんな風に抱きしめられた。
まだ、“キス”も知らなかったけど。克にぃの体温は、いつも僕の隣りにあった。
僕は、そうやって何でも教えてくれる、克にぃが……大好きだった。
克にぃが、僕を育ててくれたんだ………
「……………」
セミの声が帰ってきた。
先生が差してくれた指の先……黒い点が……たぶんある。
「………天野君?」
───逢いたい……あいたいよ……。
ほっぺたに熱いすじが伝う。顎の先から、ぽたぽたと落ちていく。涙で歪んで、何も見えない。
「ぅ…………」
止まらない。悲しい気持ちが、とまらない。
わかっちゃったって……いくら、ホントだって言ったって……もう、ほんとうに会えなくたって!
……克にぃは、いたんだ。僕と一緒に、いつもいたんだ!
だから、この想いは消えない……!
大好き……大好き! ……克にぃ……
克にぃとの時間、消えるはずがないんだ!
「ぅうう……ぅううー………」
「天野君……」
泣き続ける僕を、先生はずっと抱きしめてくれていた。
───忘れないで、メグ───
……消したい時間も……増やしたい時間も……
……そんなの、操作できやしない。
だから、1秒1秒を、大事に生きようね。……兄ちゃんと、一緒に──
──いっしょに……
うそつき……うそつき……約束したのに……
約束したのに。
声きかせてよ…僕を呼んでよ……
──逢いたいよ…克にぃ……