chapter4. soul awakening 覚醒 -魂をかけて-
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6
「──天野君……」
不快そうに、先生の口の端が歪んだ。
「君は……いつもそう」
見下ろしてくる目の奧に、怒りと哀しみが揺れる。
「───ぼくを見たかと思うと、そうやって……腕の間を、すり抜けてしまう」
「……………」
頬を、冷たい手のひらで包まれた。
ビクンと震えた僕に、哀しげに笑いかけてくる。
「優しい天野君……。ぼくのために…この涙、流してくれたことも、あったのに」
苦しそうに、ゆっくりと囁く。
時々僕に届く、寂しい声。これを聴くと、胸が痛い。
「あれは……先生が、僕のために………」
ケガしてまで、守ってくれた。
あの時の先生は、まだ克にぃと同じ空気の…嫌いになる前の、先生だっだ。
────あ……
「なに言ってるの……今だって、君のために……」
哀しいだけだった目に、暗い光が灯った。掴んでくる肩が、痛い。
「───こんなに、好きなのに……」
「…………」
見上げながら、僕は、首を横に振った。何度も何度もくり返す、先生とのこのやりとり。
…………でも僕、わかっちゃった。
「ちがう……先生の好きは、違う……克にぃとは…ちがうの……」
僕は知ってた。
教えてもらってたんだ。……大好きな人に。
「………天野君……!」
先生の手が震えて、また喉に滑ってきた。
真っ暗な目で、見下ろしてくる。
「………ぐ…」
「さ…サクラバ、離せッ! ……その手、天野から離せ!!」
霧島君が、血相を変えて叫んだ。自由にならない縛られた体を揺すって、藻掻きながら。
さっきと同じ……僕の危機を感じ取って、僕の名を呼んでくれる。
「………煩いッ!! ───黙れッ!!」
「────────!」
突然の先生の狂気が、保健室中に閃いた。
霧島君に向けて、燃え上がる炎のように噴き出した。僕を掴みながら、首だけねじ曲げて、斬りつけるような視線。
「────カツハル…ッ」
呻いた声は、短くそう吐き捨てた。
──────!?
初めて見る桜庭先生の形相に、霧島君の顔が一瞬で青ざめた。
───カツハルって、言った?
思わず僕も、驚いてる霧島君を見つめた。
似てるどころじゃない……僕は今でも、錯覚しそうになる……
────先生も、重ねてるの……?
「…は………ははッ! ……そうか、わかったよ、天野君!」
笑いながら叫ぶと、今度は僕を突き放して、机に走った。
────!?
引き出しを乱暴に開けて手を突っ込むと、くるっと振り向いて、霧島君の後ろに立った。
「うわッ!!」
「……せんせい!?」
二人で、同時に悲鳴を上げていた。
───その手には、カッターナイフが、握られていた。
霧島君を、抱きかかえるようにして……背後から伸ばした手で、目の高さに持ち上げていく。
「克晴にそっくりなこの顔が、天野君を……いつまでも、惑わすんだね!?」
狂喜───全てが解き明かされたかのような、喜びの声。
チキチキチキ………
カッターの刃が送り出される音が、呼吸も止まった室内に、不気味に響いた。
霧島君の顔の、すぐ横で、それが閃く。
「天野君……この顔が……これが、いけないんだ……そうでしょう?」
低い、呻りみたいな……絞り出すような声───やっと聞こえるぐらいで、呟くように言う。
「…………………」
声も出せず、僕たちは真っ白になって、それを見つめた。
「ふ…ふふ……うっ──うぅ」
笑い出したかと思ったら、啜り上げて、しゃくり上げて……
静かに、桜庭先生は、声だけで泣きだした。
「────!!」
見下ろしてくる血走った目からは、なにもない………。
「コイツが君にまとわりつくから、いつまでも……克晴を忘れられないんだ」
「……やめ……やめて……」
「センセ……やめろ………」
恐怖で、声が掠れる。
「煩い! ……コイツさえいなければ! ………克晴さえいなくなれば………克晴さえ、いなくなれば……」
カッターの刃を、目の高さで構えたまま。
先生は、口の奧で何度もそれを呟いて、くり返し始めた。
「──────!」
先生……?
もう、霧島君と克にぃが、一緒になっちゃってるみたいに……
目の前の顔は、全然知らない人のように感じた。
……ほんとに、何をするかわからない。
冷静な桜庭先生は、どっかいっちゃったから。
このままじゃ、霧島君が……克にぃが───!
そっちの恐怖が、硬直してしまった僕を、突き動かした。
「せんせ……だめ……」
虚ろな目に、呼びかけた。
霧島君を間に挟んで、先生と見つめ合った。
すぐ目の前に、鋭い刃が光ってる。
怖くて、それ以上声が出なくて、それでも先生の顔を見ながら、首を振り続けた。
……………だめ……だめ! ……先生……だめだよぉ…!
「─────クッ……」
先生の腕が、凶器ごとブルッと震えた。
「切り刻んでやる。……存在を消してあげるよ───その目が──もうぼくだけを見ていられるように……!」
泣き笑いの歪んだ顔のまま、先生はカッターを振り上げた。
「ひぁ……………ッ!」
───────霧島君!
「桜庭先生、失礼しますよ」
僕が霧島君に抱きついて、カッターの刃との間に飛び込んだ時、後ろのドアが開いた。
時間が一瞬、止まったかと思った。
全員がその場所にはりついて、空気も動かない。心臓の音すらない。
痛みを感じるはずの僕の肌は、何が起きているのか判らずに、静かに動き出す空気を、感じとっていた。
「し………柴田先生!?」
一番驚いたのは、桜庭先生だった。
振り上げていたカッターを、サッと背中に隠して、僕たちから離れた。
───柴田先生……来てくれたんだ…!
「………………」
僕はやっとそれに気が付いて、力が抜けた。
霧島君に抱きついたまま、動けなかった。
「先生……いい時に来てくださいました」
桜庭先生が、喋りだした。
──────!?
さっきまでの変な様子は、まるっきり無くて。きちっとした声で、信じられないことを言い出した。
「見てください……この子たちを」
ちらりと、僕たちを視線で差しながら、
「留守にしてて、戻ってきたら、こんなこと二人でしてたんですよ!」
「………え!?」
僕は慌てて霧島君から離れた。
僕はシャツだけ……霧島君は縛られて、胸をはだけて……
しかも、僕はその霧島君の首に、抱きついていた。
「柴田先生からも、叱ってください! こんな、はしたない……破廉恥なことを!」
あまりにも堂々と言うから……
保険医の先生として、大人として……僕たちを叱ってるから……
あっけにとられて、桜庭先生を見上げたまま、僕たちは、何も言えなかった。
でも、視線を廻らせた時、僕の心臓は……また、止まるかと思った。
────柴田先生!?
二、三歩入ってきたままの位置で、僕を見ていた。
その顔は眉を顰めて、口を歪めて、まるで汚いモノを見るみたいに………
僕は、助かったと思ったのに。
助けに来てくれたのかと、思ったんだ。
でも……思い出した。
柴田先生は、生徒の僕より、桜庭先生のコトバを信じるんだ。