chapter18. Say you -それがすべて-
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「サクラバ!?」
霧島君も驚いて、僕の手から小さな紙切れを、むしり取った。
“君に話したいことがある、一度だけ逢って欲しい”
……そのメッセージと指定日時、電話番号…“桜庭”のサイン。
「ざけんな、あいつッ!」
血相を変えて眼を吊り上げると、ビリッとメモを破いて、手の中でくちゃくちゃに握り潰した。
僕はそれを、地面に蹲ったまま、震えながら見ていた。
「………」
体を抱き締めても、ガクガクと止まらない。
───何で、いまさら……
捕まって…刑務所に入れられたって聞いて、安心してたのに。
僕にもう近付くことは無いって、柴田先生が教えてくれたのに。
なのに……なんで────
これを受け取った瞬間から、動けなくて…中谷君達には、先に帰ってもらっていた。そして僕は校門の内側にしゃがみ込んで、霧島君が見つけてくれるまで、顔も上げられなかった。
あの仕打ち……声、目線、言葉…僕を縛り付ける。
まだ呪縛は、解けていないんだ……夜になると、アレにうなされる。
夢にまで見るのに─── それをした先生が、夢じゃなく実際に出てくるなんて。
「……天野」
霧島君が膝をついて、両腕を伸ばしてきた。
「気にすんな、無視しとけよ」
ぎゅっと胸に抱き締めて、耳元でそう言ってくれる。
校門の横には、大きな桜の木があって、僕たちを校舎から隠してくれたから。
僕も腕を回して、胸にしがみついた。
「……こわい…よ…」
ガラガラ声が、喉に詰まる。震えて余計に、喋れない。
「大丈夫だ、終わったんだよ、あれは。お前が自分で頑張っただろ?」
真剣な声。
あの時の必死さを思い出す。僕を助けようとしてくれた……
「……うん」
動悸、目眩…いきなりのショックで呼吸困難みたいになっていたけれど、やっと落ち着くことが出来た。
「───俺、汗臭いだろ…ごめんな」
いつまでも胸に顔を埋めている僕に、困ったような呟き。…そんなの気にして、謝るなんて。
前にはなかった気遣いな気がして、思わず顔を上げた。
「………」
怒りと困惑で、頬を赤く染めてるカオが、そこにあった。
「俺が、守ってやる。今回は先に知ることが出来た……天野…俺を頼れよ」
───霧島君……
破いて握りつぶしたメモの指定日、それは翌日の夕方。
そんな呼び出しに応じるわけもなく…それでもそのメモは捨てられないで、僕はそれを制服のポケットにしまい込んだ。
外に出るのが怖かったけれど…霧島君の送り迎えのお陰で、登校することが出来た。
そのまま三日が過ぎて、図書クラブでは、中谷君も月曜の僕の様子を心配してくれた。
そして、その日渡されていたプリントで、思わぬ事を聞いた。
《進路希望…進む高校に向けて、勉強の仕方を考える》 と印刷された紙。記入欄が、沢山ある。
中谷君は、行きたい大学があるからそれの付属を受けるために、塾通いをするんだって。
……霧島君も、進路を決めていた。
他の子も、はしゃいで聞きあったりはしてるけど、そんなに動揺してるようには見えない。
図書室の大きな机を囲んで、それぞれが全然違う本を選んで、重ねていても。
みんなが話す内容は、同じようなことだった。
「天野君は? どこ狙い?」
中谷君も、当然のように訊いてくる。
「………まだ…決めてない…」
───僕は、この欄の何一つ、埋められない。志望校ひとつ、書けないなんて…
克にぃが居たら、きっと同じ高校を目指した。
すっごい頭が良くないと行けないんだ、あそこは。
でも、克にぃと同じことをしたかった。
だからきっと、僕…克にぃが教えてくれたなら、一生懸命頑張ったのに────
時に押し流されて、僕は育って行くけれど。
どこへ行ったらいいか、わからないよ。
時計は周り、時は刻まれ──みんなが揃って“こっちだよ”と、流されてゆく。
僕の身体にも、時間が流れて。
手足が伸びて、背が高くなって、変化していく。
“時間は総ての物に平等で、巻き戻しも早送りもできないんだ”
そう、教えてくれた。それは嫌って程、わかったよ…克にぃ……
消したい過去、巻き戻したい時間…思い通りになんか、絶対にならない。
でも“時”はみんなに等しいような顔を見せながら、その足下に無数の未来を用意して。
いつの間にかみんな、少しずつ違う方向を目指して、自分の道を、見つけているんだ。
一緒に押し流される時間と空間の中で、───僕だけ迷子。
眠れない青白い世界の中で、布団にくるまって。時間が止まってしまった、変わらない部屋の机やカーテンを、眺め続けた。
キン…と冷たい空気だけが、肌に痛くて……今が冬だと教えてくれる。
「今回はやめとくか? 外に出たくないだろ」
何事もないまま一週間が過ぎ、またボランティアの日曜日が巡ってきた。
またいつ先生が現れるかも知れないと、緊張し続けていた僕は、やっと心が休まる思いでいた。
「ううん、行く」
心配して訊いてくれる霧島君に、首を振って答えた。
僕はこの一週間、ずっと怯えながらも夜の間中、考えごとをしていた。
……それは、桜庭先生と……霧島君のこと。
どうしても、どうしたらいいか判らなくて…
そしたら、ふと思い出したんだ。あの教会のこと───
「神父さん……ざんげって…誰でもできますか?」
教会に着いて、増田のお兄さんと霧島君が挨拶している間に、僕は出掛けようとしている神父さんに、声を掛けていた。
心を吐き出してしまいたかった。思い付いたら、このことしか考えられなくて。
でも…僕なんかが、そんなこと…できるのかな。
「フォッ! 迷える子羊なのですね」
大きいな温かい手が、頭を撫でてくれる。
見上げる僕に、まん丸い顔に優しい笑顔を浮かべて、神父さんは丁寧に教えてくれた。
コッカイでなく、一般の人の相談室もやっているって。本当は予約がいるらしいけど、今、日曜日は入れてないから、大丈夫ってことも。
「わたしは留守にしますが…代わりの神父さんが、聞いてくれますよ。何でも相談してみてくださいな」
礼拝堂の入り口で、天井まで響くように笑う。
「新米神父なので、今日始めての相談役になります。上手く聞けないかもしれないけれど、大目にみてあげてくださいね。フォッ、フォッ!」
奥の祭壇には、小柄な若い神父さんの姿があった。
細い目が垂れていて、困ったような八の字眉。唇だけが厚ぼったくて、両端が常に微笑んでるみたいに、持ち上がってる。
───優しそうだけど…なんだか、線の細い人だなぁ……
自信無さそうに、ちょっと猫背に首を垂れて、燭台にハタキをかけている。
“神父さん”と言うには頼りなげな雰囲気に、ついそんなことを思ってしまった。
僕が見つめていると、目が合った。
頬を赤らめて、お辞儀をしてくれる。僕も慌てて、ぺこりと頭を下げた。
───儚げで、今にも倒れちゃいそうな感じ……だいじょぶかな。
中庭では、霧島君が体操を教え始めた。
僕も小さな子を纏めるのを手伝ってから、建物に戻った。
元気な子供達の声。大通りの騒音。壁一枚隔てて、通路、礼拝堂…こっちに入ってしまうと、信じられないくらい、静かになる。
「…………」
通路の奥の小さな小屋に、近付いてみた。そこだけ、違う空間が出来てるみたい。
正面に、幅の狭い扉が二枚並んでいる。格子状に隙間のある窓が付いてるけど、内側のカーテンで中は見えない。
───もう、神父さん…いるのかな。
あまりにも小さくて。
扉を開けるのにも、ためらってしまう。
“先に神父が入っています。あなたは後から入って、告白してください。最後に神父から言葉がもらえますよ”
そう教えられていた。
左側の細い扉を開けると、中は奥行きがちょっとある、小さなスペースだった。
「……入ります」
小さく言いながら、中に入った。
奥には、高い位置に小窓と床に丸イスが一つだけ。隣の部屋と通じているその窓には細かい格子状の網が嵌っていて、向こう側は見えなかった。
『……………』
ゴソゴソと動く気配がして、神父さんが居るのが判った。
「─────」
……緊張する。
扉の白いカーテンから、仄かな明かりだけ。
狭くて薄暗い中で、僕もじっとしていられなくて。
暑い気がしてコートを脱いでいたら、唐突に、小さな声が呟きだした。
『…ええと……父と子と…聖霊の…』
────? ……聞き取りにくい…
『……………アーメン』
「──────」
それっきり、何も言ってくれない。……ごそりとも動かない。
「……………」
変な静寂が続いて、自分の息遣いに気付くほどだった。
無意識に深呼吸するたび、薄暗がりで胸に抱えたコートが、上下している。
もう、いいのかな…? 不安になりながらも、小窓を見上げた。
「あの…」
僕もガラガラ声を絞り出した。手に汗を握っていることに気が付いて、ズボンの脇で掌を拭いた。
「あの…聞いてもらえるだけで…いいんです」
どう言い出していいか判らず、そんなふうに、僕の告白は始まった。
僕は人に頼るってこと、できるようになったんだと思う。
恥ずかしいこと、隠してないで…助けてって言うこと───大切だって知ったから。
そうでないと、周りの人たちまで、悪い方へ巻き込んでしまう。
───これは霧島君が教えてくれた、大事なこと。
だから僕は…霧島君と、真っ直ぐに向き合わなきゃ、いけないんだ。