chapter20. For all time ~過去も未来も~
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1
3年2組 出席番号2番 霧島丈太郎。
……かっくいー名前だなあ。
初めて出会ったのは、同じクラスになった時。
僕の後ろの席だった。
自分の名前が嫌いだった僕は、まずは名前に一目惚れした。
そして顔が克にぃに似ていて、とても羨ましく思った。
誰よりも僕を、理解してくれたひと。
克にぃが居たときも…いなくなってからも。ずっとずっと、側にいてくれた。
───だから、居なくなっちゃうなんて……思いもよらなかったんだ。
タイムリミットは、一週間。
僕は毎晩、泣きながら考えていた。
……寂しいよ…霧島君がいないと。
……心細いよ…僕は今度こそ…側に誰も、居なくなってしまう。
切り離せなかった、霧島君と克にぃ。
どっちも大切な人なのに…僕には必要なのに。二人ともいなくなってしまうなんて。
僕が克にぃしか見ないから? 霧島君の気持ち、わからなかったから?
“克晴しか愛さない、君のエゴだ” 桜庭先生の言葉が蘇っては、苦しくて。
『お前は克にぃが好きなんだろ?』
そう言ったときの、霧島君の顔…今でも忘れられない。優しく笑うけど、寂しい声。
胸が痛くて、僕も泣きたくなった。あんなカオさせちゃうのは、僕なんだ……
だから───行っちゃ嫌だって泣くのは、わがままだよね。
僕のせいで、居られないというのなら……。夢を叶えるためって、言うんだから。
だったら、僕も。
霧島君を、応援しなきゃ。何も恩返しができなかった、せめてもの気持ち……
「とうさんとね、克春雨つくった!」
「…なんだ、そりゃ」
「思い出の創作料理だよー!」
「…不味そうだな」
学校ではいつも笑顔で。あと少ししかない、霧島君と一緒にいられる時間を、大切にした。
強くなったなって、言ってくれた。その通りに振る舞わなきゃいけないって、思ったから。
もう、霧島君の前では泣かないって、決めたんだ。
───最後まで僕は、その誓いを守り通した。
霧島君はクラスでも、クラブでも人気者だったから。日本にいる最後の日、空港への見送りは、凄い人数が来ていた。
あの大雪は嘘みたいに解けて、眩しいくらいキラキラと、晴れ渡った空だった。
頑張れよ。
お前なら、スゲー選手になれるぜ。
柔道部の先輩たちが、頭や肩を叩いては、激励している。
一人ずつそうやって挨拶をしていって、最後に隅っこにいた僕の所に、歩いてきた。
「………」
いざとなったら、何て言っていいかわからない。
決心を変えなかった、霧島君。……真っ直ぐに立つ姿、とっても格好良く見える。
今までよりも、何倍も大人みたいだ。
力強い眼差しで真っ黒な眼が、じっと見下ろしてくる。
「…………」
自分から送り出さなきゃ。
向こうでも、安心していてくれるように。
頭一つ高い顔を見上げて、精一杯の笑顔を作った。
「……忘れない…ゆきだるま…見たら、思い出すからね」
「……ああ」
優しい口元で、笑ってくれる。
堪らなくなった。どうしたって、忘れない顔。……そっくりな霧島君。
離れたくない…行かないで欲しい…。
違うって解ってたって、重ねていた。でも、それだけじゃない…どれだけ大切な存在だったか。
急に実感したんだ。
これが最後。
今、この瞬間で…霧島君は本当に何年も、居なくなってしまう。
衝動が、口を動かしていた。
「……ぼく……霧島君のことも、……す」
「天野」
頬を温かい手の平が、包んだ。
驚いて言葉を止めた僕に、霧島君は最後まで、寂しい笑顔を作った。
「俺がそれを言わせないように、どれだけ必死だったと思うよ?」
「………!」
「そんなこと、言われないでも知ってる。敢えて言葉にすんな、バカ」
優しく言いながらも、こつんと頭をこづく。
その振動が、切っ掛けになってしまいそうになった。
「……ぐ…」
喉が、変な音を鳴らす。
泣きそうになる声を、必死で堪えて息を止めていた。コクコクと頷く。
「…がんば…て………」
見上げながら、精一杯のエール。
「ああ、天野もな」
「……うん…」
「俺、すっげー強い選手になるからな」
「……うん…」
「克にいよか、絶対、格好良くなるぜ!」
「…………」
「うん、て言えよ。俺、頑張るから、天野も、がんばれ」
「…うん…」
それで最後。
見上げ続ける僕の頭を撫でてから、じゃあな、と手を振った。その笑顔が眩しくて。また息を止めながら、ずっと手を振って見送った。
カッコイイ後ろ姿が、搭乗口の通路の中に消えていく。
霧島君を乗せた飛行機は、冬の終わりの、水色の空へ飛び上がった。
眩しい光を反射させて、両翼を広げる飛行機。
何処までも、高く高く上って行く。
それはまるで……霧島君が翼を広げて、飛んでいくみたいだって…思った。
……じゃあね…
僕も、心で呟く。
────ありがとうね、僕の……霧島君。
飛行機が見えなくなった途端、グッと息が苦しくなった。
「……ッ」
止めてた呼吸が、上手く吸えない。胸が痛くて、痛くて、痛くて……
息を吸おうとしても、吸えないんだ。
「ぐふっ」
へんな音を出して、喉が無理やり空気を通した。
「お、…おい?」
隣にいた人が驚いて、こっちを見た。
でも僕は、返事もできない。堰を切ったように、涙が溢れてきた。
哀しいのと寂しいのと、我慢した! って気持ちと…いろいろ抑えきれなくて。
「……う…うぅぇえええ……」
手摺りに掴まって、身体を支えながら。顔を伏せることも、できなかった。
「うっ、うわああぁぁぁん……」
いきなり号泣し出した僕に、見送りの人たちが、輪を作って唖然としていた。
ひとしきり泣くのが収まるまで、嗚咽が止まらなくて。
それでも、数人の同級生が、残ってくれていた。
「一番仲がいいのに、平気な顔してるから、変だと思ってたんだ」
「天野、やせ我慢してたんだな!」
「……うん……我慢してた…」
宥めながらも、からかわれて。僕も最後は、泣き笑いに変わった。
霧島君の置きみやげだ……
霧島君の友達…僕も友達に、なれるかな。
─── それから数週間、僕の心はぽかんとしてしまった。
“がんばれ”
そうは言ってくれたけど、大きな穴があいたみたいに、なんにも考えられない。
図書クラブでは、本の感想文批評会を、休むことはなかった。
とうさんと、夕飯も作った。
霧島君が抜けた分、ボランティアの参加は、僕がした。
体操は教えられないけれど、増田のお兄さんの言うことを聞くように、子供達を並ばせたりはできたから。
でも、そんなことの意味が、よくわからなくなっちゃって。
克にぃが居たときは、克にぃと何かするのが、楽しかった。同じ事で笑って、同じ事で幸せだった。
……霧島君だって、そうだ。
『今日はこんな本を、読んだよ』 『俺は、こんなことやった』
それを報告し合うために、毎日があった気がする。
───ただ、違うのは……
霧島君は、それを積み重ねていたんだ。僕は、一生懸命やってただけ。
一個一個は大切だけど、何も“僕”にはなっていなかった。
だから、……やることに、意味がなくなっちゃった。
“がんばれ”
その言葉が、耳から離れない。
……なにを、頑張るの……なにをどうしたら、頑張ったことに、なるの?
置いてけぼりを食った気も、していた。
……霧島君が、自分だけ将来のこと、考えてたってこと。
だから、拗ねていたんだ。いなくなっちゃったことに。
それと、もう一つ。
どうしても考えちゃう、怖いことがあって、僕はとうさんとの夕飯作りが、少し苦痛になっていた。
「恵、どうした?」
元気のない僕に、とうさんが手を止めた。
今日はメンチカツハルを、作るんだって。二人して胸までのエプロン付けて、合い挽き肉をみじん切りにしたタマネギと、混ぜていた。
「……ううん、名前が、酷すぎる…って思って」
暗い気持ちを見抜かれたこと、慌てて苦笑いで、ごまかした。
それはそれで、思っていたことだし。霧島君が“克春雨”のとき言ってたように、この“メンチカツハル”も…美味しくはなさそうだよね。
「……そうか?」
思いもつかなかった、と言うような声で、とうさんは目を丸くした。
僕は苦笑いを隠して、「そうでもないかも…」と、挽肉と格闘するために俯いた。なんか、悪い気になっちゃったから。
カウンターの向こうで、代わりにかあさんが苦笑いしている。
この、僕が欲しかった幸せな感じ。
僕を見てくれるようになったこと……すっごい嬉しい。
なのに、とうさんが優しければ優しいほど、お腹の底が、震えるように、蓄積していくことがあった。
“克にぃはね、半熟目玉焼きが好きだったんだよ”
“克晴は、お前の面倒を全部みると言って、母さんにも触らせなかったよ”
胸が熱くなる、僕の大好きな…そして、僕の知らない克にぃの話し。
でも、全部過去形。
まるで、もういない人の思い出語りのように。
『帰ってくるさ』
克晴巻きを作ってくれたあの夜、とうさんはそう言ってくれたけど。
ほんとうに?
───って……あの時僕は、聞き返すことができなかった。
怖かったんだ。
何となく感じた、僕を安心させるために、言ったんじゃないかってこと。
本当は、とうさんは知っているんじゃないか……克にぃがどうなっているか。
そう考え出したら、心底怖くなった。
せっかく楽しい時間が、不安になってしまう。
「いくつ、丸めればいい?」
嫌な気持ちを振り払って、とうさんに訊いた。せっかくの楽しい時間、だいなしになっちゃうもん。
「恵が食べたいだけ、作るといい」
エッと言う、カウンターの向こう側からの声。
「そんなこと言って、めぐちゃん、あんまり食べないんだから…」
誰が責任取るの? と、心配げなかあさん。
なんだかんだ言い合うのを聞きながら。
僕は無心になって、あるだけ丸めた。メンチカツハル、沢山作った。
克にぃへの思いを込めて、いっぱい作った。
……命名はともかく、ちゃんと味は美味しくて。また何か考えておくよと、とうさんは上機嫌だった。
お腹いっぱいになったあと、部屋に戻って、克にぃの机の前まで行った。
「…………」
もう4年目になるっていうのに、机の上はあの時のまま。
鉛筆立て
消しゴム
辞書
ノート
CD、カレンダー
……僕と写ってる、写真立て。
18歳の克にぃ……すべての時が止まって。
───僕だけが、もう14歳だよ。
「……克にぃ」
そっと呼びながら、写真立てを手に取った。
「…今日も、とうさんとご飯…作ったよ」
眩しい笑顔に、話しかける。父さんとの嬉しいこと、こうして伝えるようになっていた。
「4つ、がんばって食べた」
笑ってるつもりなのに。耳に届く自分の声が、寂しく聞こえて……途中でやめてしまう。
克にぃ…時間は平等って言ってたよね。
だったら、克にぃだって同じだけ、歳をとってるはずなのに。
「…………」
動かない笑顔。
それを胸に押しつけて、ベッドに腰掛けた。
僕の、漠然とした不安の正体。
───もしかしたら……?
それを口に出すのも、頭の中で考えるのも嫌だった。
でも、その可能性もあるんじゃないかって……思ってしまいそうになる。
なんでこんな、帰ってこないの。
なんで連絡一つないの。
それを考えるたび、嫌な汗が流れる。
「……っ」
グッと手に力が込もって、ガラスが枠の中で、ミシリと軋んだ。
疑い出すと、いろいろな要素があった。
「そのうち私物を、取りに来る」って、初めはハッキリとそう言ってたのに。
……昼間から車庫にあった車、泣いてたかあさん。
最後に訊いたときの、とうさんの引きつった顔─────
「……はぁっ」
考え出すと、頭が痛くなる。勢いよく写真を抱いたまま、ベットに潜り込んだ。
霧島君……
今、ココにいたら、相談できたかな。僕、ちっとも成長してないんだ。
考えはいつも、空回り。
───どうしたらいいの………
不安と寂しさで、夜はいつも枕を濡らしていた。
それでも、明日は土曜日。その次の日は、ボランティアだ。
あの神父さんに、相談できる……それが、僕の心の拠り所になっていた。