chapter20. For all time ~過去も未来も~
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4
「…………ッ!」
黒い塊は、僕をすっぽりと包み込んで、窒息死させようとしてきた。
さっき首を絞められた力より、何倍も強い。
………苦しい…!
四方八方から、圧縮するように、押し潰してくる。
あまりの苦しさに、僕は恐怖しながら、じたばた藻掻いた。
肺から空気が抜け、闇の中なのに、明るいほど目の前でチカチカと、火花が散る。
………息が…できない…
死にそうな僕の横で、冷静にこっちを眺めている誰かが居た。
必死に目をやると、ソイツは黒い塊と一緒に箱から飛び出してきた、もう一人の僕だった。
黒い塊は、閉じこめた僕をもっと圧迫してくる。
「う……ぐ……」
藻掻いても藻掻いても、振り払えない。
『何で助けを呼ばないの…?』
言いながら、もう一人の僕は、苦しんでいる僕を眺める。
……助けなんて……僕はソイツに言う。
「呼べるモノなら、呼んでるよ!………でも…」
ちりっと胸をかすめる、哀しい痛み。
『死んじゃうよ? 早くしないと…』
もう一人の僕はそう言いながら、無表情にこっちを眺め続ける。
「……呼べるモノなら、呼んでるよ……!」
僕は苦しくて、叫んでいた。
「───呼んで、来てくれるなら、……いくらでも呼んでるよっ!!」
「グフッ…」
空気が……肺が潰れたのかな。変な音が喉から漏れた。
でも僕は、まだもう一人の僕に向かって、喚いていた。
「……でも、呼んで来てくれなかったら、どうするの?」
『────』
「……僕はそっちの方が、怖いんだ!」
───克にぃ、克にぃ、克にぃ……!!
───来てよ、お願いだから、来て……助けて!!
泣き叫んでいつか来てくれるなら、4年前みたいに、僕は何もかもを拒否して泣き続ける。
───克にぃ、克にぃ、克にぃ、克にぃ……!!───
叫べば叫ぶほど、哀しくなっていく僕の心。
やっぱり、やっぱり、やっぱり!! ……だから嫌だったのに!
「どうしてくれるのさ!?」
僕は泣きながら僕に叫んでいた。
「呼んだって、来ない……それを知りたくなかったのにッ!!」
その途端、もう一人の僕も、哀しそうに顔を歪ませた。そして、弾けた。
「!!」
同時に、僕を飲み込んでいた黒い塊も、一緒に破裂していた。
「────!」
放り出された僕の上に、弾けた2種類の欠片が舞い落ちてくる。
バラバラになって、幾つもの塊が、黒い雪のように降る。
それは、……一生懸命押し隠してきた、僕の叫び声。
真っ暗闇の中で、粉々になった言葉が、降り刺さって来る。
お願い…お願い…
知りたくないよ……
それを浴びるたび、僕の肌で泡を立て消えていく。体が吸い込んでいく。
それはそのまま、僕の心の声となってしまう。
……嫌だ。
僕は、はっきりと考えたくなかった。
克にぃが、いない……
いないということを………
段々、一つの文章になっていく。
決定的にしたくなかった。それを知るのが、怖かったのに。
だから、心の奥底に閉じこめておいたのに────!
でも……もうダメ…。
砕けた欠片は全部僕の中に、溶けちゃって、今度は押し出ようと暴れ出して…
───お願い、お願い……
…………克にぃのいない、理由───知りたくない……わからせないで
『メグ……兄ちゃんは帰らないんだ。…それより、何になりたいか聞かせてくれないか』
………え?
『兄ちゃんのいない世界で、メグは何になりたいんだ?』
さっき優しい笑顔を作りながら、抱きついた僕に、言った言葉だった。
追いかけてきてた克にぃが、今度こそ、はっきりと訊いてきた。
……克にぃのいない、世界で……
その瞬間、僕は思い出した。
『……君は、何をしたいのかな…?』
あの神父さんに…克にぃの声で────
ザンゲ室でそれを訊かれたとき、僕は、なんて思った?
何を、答えたかったんだっけ……
「……僕は…」
僕は……したいことが無いんじゃない。一人で考えるのが、嫌なのでもない。
自分だけの未来を、考えるって……
いなくなっちゃった克にぃを、気持ちから切り離さなきゃ、いけないみたいで。
……自分から、諦めるみたいで……
そんな将来、……考えたくない……
「いやなんだ…」
「克にぃがいないと決めつける世界なんて、そんな未来なんか、…僕は嫌なんだ!!」
そう叫んだところで、机に突っ伏していた顔を、ガバッと跳ね上げていた。
「──────!?」
闇は消えて、夕暮れの薄暗い部屋の中だった。
プリントが涙で、ぐしょぐしょになっている。
目に飛び込んできたのは、写真の笑ってる克にぃ。
「……ッ!」
隠してた想いがぐんぐん溢れてきて、胸が張り裂けるかと思った。
写真立てを掴んで、そのまま、泣き叫んだ。
「やだよ…嫌だよッ……生きていく先に克にぃがずっといないってこと、僕は…自分からはどうしても、認めたくないよッ!」
もう哀しみと恐怖だけが、僕を支配していた。
───僕の目標は、どこまで行ったって、克にぃだったのに…なんで…なんで?
涙がぼろぼろ、写真に落ちていく。
「でも、そういうことなんでしょ!? だから僕は“将来”なんて考えない……僕に、進路なんて要らないんだ!!」
止まらない想い。
それは僕がずっと、打ち消していた、心からの叫びだった。
僕がどんな大人になるにしたって…一人で生きてく覚悟が、必要だった。
僕は弱いから。
頼りたくなっちゃうから。
もう手助けは無いって、始めから諦めないと、前に進めない気がしていたんだ。
克にぃがいないことを、前提として、考える未来。
前に進むには、それしかなくて……でもそれは、
───自分で、もう克にぃはいないんだって、諦めるってこと───
僕の産まれる前から克にぃがいて。
僕が産まれてからずっと、克にぃがいて。
これからもずっと一緒だよって、約束して……過去も、今も、未来も、ずっとずっと。
克にぃがいる世界が、僕の世界だったんだ。
「───諦めたら、どうなるの……? それこそ、何もない……真っ暗闇だよ!」
写真立てのガラスが、割れるかと思った。
両手で握りしめて、イスから滑り落ちて、腕ごと床に叩きつけた。
絨毯に額を押し付けて泣いた。
……ホントにそうなら…本当に克にぃが、この世界にいないんだったら…
僕は…僕だって───!
「恵! ……恵!?」
部屋に駆け込んできたとうさんが、僕を抱き起こした。
激しく揺さぶられて、頬を叩かれて、やっととうさんに気が付いた。
「うっ……うぇえええぇ……うぁああああぁぁんっ……!!」
胸に顔を埋めて、スーツをしわくちゃに握りしめて。
哀しみに押し潰されそうなのを、内側から押し返そうと、大声を出して泣いた。
怖くて、目を塞いでた部分…
──将来、何になりたいか──
それをきっかけに、前へ進むことの恐怖が、なんなのか……やっと解った。
隠された闇を暴いたのは、克にぃの声だった。
「恵、めぐみッ!! 何があったんだ!?」
泣き続ける僕を、顔色を変えて覗き込んでくる。
でも僕は、まだ泣きながら、自分の内側に入ってしまった恐怖を押し出したくて、抱き締めてくる腕の中で暴れた。
──何で克にぃは、僕にこんな苦しい思い、させるの……?
無理やり僕に、現実を突き付けて。
また心が、壊れちゃいそうだよ───!
「オイッ!」
パンッという甲高い音と、激しいショック。
頬がビリッと痛くて、感電したみたいに、体中がしびれた。
「恵、父さんが判るか? ……何があったんだ?」
「………」
やっと、その声が聞こえてきた。
力強い腕に支えられて、覗き込んでくる顔を見つめ返した。
会社帰りのスーツ姿。
絨毯に膝を突いて、見たことのない、取り乱した顔。
僕は自分の部屋で、床の上で泣き崩れていることにも、気がつかないでいた。
「…こ……怖い夢を…見たの…」
これも夢…? 判らないけれど、怖い気持ちを吐き出したかった。
「夢? 寝ていたのか……どんなだ、覚えているか?」
心配そうに顔が、歪む。
僕はじっと、そのとうさんの目を見返した。
真っ黒い瞳。
克にぃの本当のこと───真実を知っているかもしれない、とうさんの眼。
いつかこの瞳の中に、決定的な事実を、見てしまいそうで……それが僕の中で、“闇”という恐怖になっていったんだ。
「………夜が怖い…一人が怖い…」
思い出すだけでゾッとする。あの黒い箱の中に蹲っていた、小さな塊……
僕を飲み込んだそれは、「絶望」だった。
「………ずっと一人は、嫌だ………嫌だよぉ…」
「一人? 寝るとき、一人が嫌なのか?」
「違う…ちがう……もういないって、思っちゃうのが……怖いの…」
スーツの胸に、額をこすりつけた。不安な気持ちを、振り払いたかった。
「恵、……お前」
ハッとしたように、体を引き離して、とうさんは僕を見つめてきた。
眉を吊り上げて、唇を引き締めて。掴んでくる両肩が、すごい痛い。
……なに……怒ってるの?
「もしかして……父さんの言ったこと、信じてないのか?」
「─────!」
吊り上がっていた眉が、哀しげにハの字を作って、眉間に深い縦シワを刻んだ。
「克晴は、帰ってくるさ……そう言っただろう」
「─――─――」
「………恵、信じるんだ」
「……ッ」
僕をまたぎゅっと、抱き締めてくれる。
でも、一瞬見えてしまった。泣きそうに歪めた顔。─── それが、胸に刺さってきた。
「………………」
僕は、違う涙を新たに流しながら、広い胸にしがみついた。
とうさんも、不安なのかなって、そう思ったんだ。
ホントのほんとのこと、知らなくたって………こっちの言葉を大事にしたい。
僕は……そう思った。
「僕……信じる」
「ああ、……父さんも、信じている」
「それから、…よく聞け、恵」
今度こそ怒った顔を作って、とうさんは僕を真っ正面から、睨んできた。
「克晴は、必ず帰ってくるから。……お前も、強く生きていなければ、いけないんだ」
「………」
グッと視線に力を、込めて、
「お前の命は、お前だけのモノじゃないんだぞ!」
「────!」
恐い顔を、もっと恐くして。どれだけ真剣か、伝わってくる。
さっきは克にぃのため。でも…この顔は、僕のためだ……
「うん……」
わかった…って、涙声でちゃんと言えなかった。
僕はふたたび泣き崩れて。
かあさんが電気を点けてくれて、明るくなった部屋で、いつまでもしゃがみ込んだまま、顔を上げられなかった。
とうさんは、わかっているんだ。
僕が、克にぃが居なきゃ生きていられないってこと。だからこんなに繰り返し、言ってくれるんだと思った。
希望を失わないように───
克にぃ……僕、逃げないで…克にぃの話し、とうさんとしたよ。
───もしかして、これが大事だったの……?
今まで恐いだけだった、僕なんか相手にもしてくれなかった「オトナ」のとうさんが、
『ずっと一人だなんて、怖がるな。父さんが付いている』
そう言ってくれた。
いつからこんなに、僕のこと…心配してくれるようになったんだろう。
携帯をくれた時とも、食事を一緒に作ってる時とも違う、何かを感じた。
……この時が、一番頼もしく思えた。
僕の肩を掴んでくる力強い手が、そう感じさせたのかな。
その安心感のおかげで、夕ご飯のあと、進路の相談をすることができた。
とうさんは僕の部屋まで来てくれて、克にぃのイスに座って、あれこれ一緒に考えてくれた。
それでやっと、次の日にはプリント提出ができたんだ。
僕はいっぱい、ごめんなさいを言って、遅れたことを謝った。
渡辺先生は、ほっとしたため息をついて、「ランクを一つ落とせ」と、呆れた声を出した。