chapter15. struggling mind - 絶対抵抗 -
1. 2. 3. 4.
 
1.
 
 メグ、愛してる───
 
 やっと、口から出た言葉。やっと、そう伝えることができた。
 
 恵、愛してる。
 どれだけそう言って、この手に総てを入れてしまいたかったか……。
 
 恵と一つになれた。
 その幸せは、俺の恐怖に竦みそうになる体を、地獄からも救い上げてくれた。
 
 毎日、毎日。恵とキスをする、体を触れあう。
 一方的ではなく、恵が自分もしたいと言ってくれる。“して”とねだってくれる。
 俺はキスする度に、目眩がした。恵の甘さに、溶けてしまうんじゃないかと。
 
 アイツは時々、ウチに来る。恵の終業式の打ち上げも、アイツが采配した。
 週末は野球だからと、平日の夜、打ち合わせと称してひょいひょいと上がり込んでくる。俺は細心の注意を払って、ヤツと二人きりになることを避けた。それを冷静にできたのは、恵のおかげだった。
 
 ……俺が、しっかりしてなきゃ。
 
 その気持ちが、竦む身体をなんとか動かした。
 でも、外をうろつけなくて、うっかりゴムを切らしてしまったのは失敗だった。あの時の恵の切ない顔が、忘れられない。
 
 ──でも、もっと参ったのは。
 恵が俺を横に寝かせて、触ってきた時だ。俺の身体に、拒絶反応が出た。アイツの感触が湧き上がって、怖気が走った。
「メグ、やめっ…! 俺はいいんだ、俺はッ……」
 焦ってとにかく止めさせた。恵の手なのに…そんなことさえも、ショックだった。
 ──陵辱の刻印。
 ──あいつはどこまで、俺を痛めつけるんだ。
 俺はどれだけ白い顔をしていただろう。恵が泣きそうな顔をした。
「……僕、へた? 僕じゃあダメ?」
 なんて、言う…。ヘタとかそう言う問題じゃない、説明なんて出来ないから、俺は困った。
 だけど、こんなところで戸惑っていちゃ、駄目なんだ。恵から何かしようとしてくれたのは、すごい嬉しかった。俺の都合で、無碍にしてはいけない。
「僕、克にぃも気持ちよくなってほしい。……これがダメなら、他のこと教えて」
 しがみついて来る、小さな温かい手。俺のことを一生懸命、想ってくれる。
「………」
 …恵にして貰うなら、乗り越えられるかも…そう思った。身体でさえ、恵に作りかえられる、そう思えた。
「………他には、ない…」
 深呼吸をして、恵に向き合う。
「だから、……お口でして?」
 顔を覗き込んで、精一杯の気持ちを込めて、頼んだ。恵の潤んだ目は、溜まっていた涙を吹き飛ばして輝いた。
「うん! うん! 頑張る!」
 縦にブンブン首を振って、もっかいやり直し! と俺を横にさせた。
 
 恵の唇が、俺に触る。……柔らかい。それと、暖かい吐息。
 ──大丈夫、恵の手を感じる。
 恵のつたない動きは、俺を2度は硬直させなかった。
 ──俺は、大丈夫…。
 悪戦苦闘しながらも、恵は俺を高みに導いてくれた。
「メグ、メグ……」
 恵に導かれて、ついその名を呼んでしまう。
「んっ……」
 絶頂と吐精感。恵はめちゃくちゃ上手いと思った。
 入れ替わりに襲ってくる疲労感の中で、恵を心配した。顔を汚されてしまった恵は、拭いもせず、俺を見つめてくる。そしてゆっくり顔を近づけると、熱っぽい目つきでキスをしてきた。
 ………恵。
 ねだって来るだけだったのにな。俺は入ってきた舌を掬い取ると、顔を両手で挟み、激しく吸い返した。顔の汚れも親指でぬぐい取りながら。
 
 メグ…メグの進歩が、俺の前進に繋がる。そんなこと、思いもしなかった。
 これからは、本当の意味で、一緒に進んで行こうな。同じ歩幅で。二人で生きていくための、未来をめざして。そんな場所が、きっとあるから。
 
 声にならない、伝えきれない気持ちを、唇に託した。 
  
 
 恵の身体は、驚くほど俺に馴染んだ。
 まだ、ホントのセックスの形には遠いけど、思った以上の反応が返ってくる。
 しなやかに反らす背中、捩る腰、抱え上げた太股に添える指、強請るキス。……その時の目線。
 
 ……恵。もう、お前無しではいられない。
 
 
 
 
 でも、あいつはどうしても俺に拘った。俺が恵一人を想うことを、許さなかった。
 4月始め。俺は大学、恵は最後の小学校生活を迎えていた。その日はたまたま親に用事を頼まれた使いから、俺一人帰る途中だった。恵は学校から帰って、部屋で留守番をしている。
 一方通行の細い路の左側を歩いていた時、後ろから不自然に俺に寄せて一台の車が近づいた。いきなり車の鼻面を斜めにして突っ込んできて、俺の前を塞いだ。
「えっ!?」
 俺は轢かれるかと思って、後ろに飛び退いた程だ。
「やあ」
 あいつがその車から降りてきて、悪びれもなく、笑った。あの悪魔の笑顔で。
「………!」
 前方を車体で塞がれてしまったため、車の後ろを回り込まなければ逃げられない。
 その退路から、悪魔が近づいてくる。
 ────しまった!
 俺は、とっくに手中に堕ちていることに気付いた。どれだけ気をつければ、こいつは俺に近づけないんだ? 途方に暮れた。
「そんな顔しないでよ。僕と遊ぼう」
 にこやかに笑いながら、尚も近づく。
「…来るなっ」
 力一杯睨み付けた。
「俺に、近づくな!!」
 ヤツは悲しそうに笑った。俺は不気味で、背筋がゾッとした。……何なんだこいつは、何で俺にかまうんだ?
 俺に触れたら、思いっきり殴ってやる! そう身構えて対峙した。
「…克晴、そんなに僕が嫌い?」
 ふと、そんなことを喋りだした。
「?」
 はあ? 当たり前じゃねーか! 答えるまでもない。
「……でも、覚えていてくれた。僕はそれだけで、とにかく嬉しかったんだ」
「……」
「でも…。でもね。人間て欲深いね」
「……?」
 じりじり、近寄ってくる。俺は車と塀に体を押しつけて仰け反った。
「それだけじゃ、我慢出来なくなっちゃったんだ」
 そう言うと、後ろ手に隠していたスプレーを俺の顔面に向けて、噴射した。
「……ウッ!!」
 ただでさえ、緊張して呼吸が荒かった。したたか吸い込んで、気分が悪くなった。
 なんだこれ…? 目眩がして、倒れそうになった。慌てて車のボンネットに手を付く。力が、…入らない。
 得体の知れない恐怖に襲われ、俺は顔だけ向けてヤツを見上げた。焦点も合いにくい。
「なに…した?」
 やっと声をだして、抗議した。俺に出来るのは、それだけだった。
「はは、良く効くなこれ」
 嬉しそうに、スプレーの容器を見ている。そのあとは、動けなくなった俺を車に押し込んだ。
「やめ……離せっ」
 抵抗は空しく、易々とあのシートベルトを掛けられてしまった。ガチャリ。その呪縛の音を、俺は絶望と共に聞いた。
 
 車は何事もないように、すいっと走り出した。
 ……手足が動かない。
 藻掻いてみても、持ち上がらない腕。痺れている訳じゃない。怠くもない。感覚が無いかのように、言うことをきかない。頭は麻痺して、モヤがかかっている。俺は、押し込まれたままの格好で、シートの背もたれに寄りかかっていた。横目で、俺の様子を見ながら、ヤツが口を開く。
「心配しなくて、いいよ。そんなに持続性のない薬らしいから」
 けろっとして言う。憎たらしくて、なんとか睨み付けた。
「……その目。もっとして」
 もう、前だけ見ながら嗤う。
「………!」
 俺は悔しくて、ずっと睨み付けていた。それにしても…
「…どこ…いく?」
 もつれた舌で聞いた。妙に走る。ちゃんと座っていないので、外が見えない。
「ん~。この間は車の中、やっぱきつかったからね」
「!」
 …嫌だ……ホテルは嫌だ!
 俺は瞬間的に恐怖した。最後まで言わなくても、流石にわかった。あんなとこ連れ込まれたら、どれだけ何をされるかわからない。
「へ…ぇ。あらたまって……そんなとこ」
 俺は必死に声を出した。
「恥ずかしく…ないの。大のおとなが、……こども、つれこんで」
 ちらりと目線を俺に向けた。
 俺は、ありったけの憎悪を込めて睨み付け、悪口雑言を吐いた。
「やるなら、……さっさとやりゃ、いいだろ、ヘンタイ! ……度スケベの、鬼畜オヤジめ!!」
 サッと顔が白くなったようだった。車を路肩に止めて、俺に目線を落とした。
「……オッサンとか、オヤジとか。僕に向かってそんな呼び方は、止めろって言ったよね。ちゃんと、その身体に教えなきゃな…」
 暗く瞳が光った。
「でも、まだいいや。許してあげる。それより、克晴の言う通りだ」
 また前を向いて、車を走らせた。
「さっさとやっちゃおう」
 楽しそうに口の端を上げて、嗤っている。その横顔に、俺は絶望の果ての深淵を思い出していた。どこまで行っても、底がある。これが最悪だなんて、いつも甘いと思い知らされた。
 


NEXT/back/1部/2部/3部/4部/Novel