chapter7. raison d'etre  -レゾンデートル-
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「見て、克晴!」
 嬉しそうにオッサンが、青い物をふわりと俺の前に広げた。
 
 一目で、高級そうな物だということは、分かる。
 ──まただ。
 やっぱり、思う。……これ、どのぐらいの値段、するんだ?
 
 ちらりとそんなこと思ってみても、本当に興味がある訳じゃない。すぐに思考は、別のほうへ飛んだ。
 身体が痛いとか、プレートが重い、とか……。特に足首…寝返りを打つのも、一苦労だ。
 
 
 
「……克晴。……パンツ穿きたい?」
 
 
 不意に、オッサンの言葉が、耳に入ってきた。
 俺の心に、一瞬で火が付く。──怒りの炎。
 
 ……そんなこと、訊くか。
 そんな、当たり前のこと。俺が……どれだけこの格好に、耐えてると思ってんだ。
 
 じろりと、奴を睨んでやった。その顔が、更に言う。
「……前にも言ったけど。……克晴がいい子だったら、下着もいいよ。もっと自由もあげる」
 
「─────」
 
 ……いい子って、なんだ。
 これ以上、俺にどうしろってんだ。
 しかも、自由ってなんだよ。
 俺にとってそれは、オッサンからの解放……それ以外、あり得ない。
 睨むのもバカバカしくなって、視線を逸らせた。
 
「……克晴」
 
 身体をくっつけるように、隣に座ってきた。心臓がぎゅっと竦む。
 
 また、始まる──
 もう嫌だ──
 
 だけど、抵抗は許されない。
 薬とか変な道具を、平気で持ち出してくる。そんなので、もっと酷い仕打ちを受けるくらいなら、今抵抗しない方がまだマシなんだ。
 
 でも、身体が勝手に震える……キスされる時でさえ、もう嫌なんだ。身体が怖がっている。
 何が逆鱗に触れるか、分からない時がある。従っているつもりなのに怒らせる。
 いつそうなるかと思うと……
 
 ───だめだ、震えが止まらない。
 …おっさんは、もう気が付いた。
 
 早く、震えを止めろ…! 嫌がっていると、判断される。拒否と思われる。
 こんなに我慢しているのに、“お仕置き”されるんじゃ……そう思うと、余計震えた。
 こんな事で、薬を使われたくなかった。
 
 …………。
 さっきの言葉が、ふと浮かんでくる。
 “いい子にしてたら”
 ──俺は……逆らわないけど……従うけど……許さない。
 心は、渡さない。
 心までは許さない。
 
 ……それが、いけないのか……
 反発するほど虐待される、それはわかってるけど……
 
 舌が入ってきた。
 口を開いて、それを受け入れる。舌を絡めて吸い上げられる。
 ……気持ち悪い。まだ、震えが止まらない。
 
 焦る俺の気持ちが、決心を煽った。早く…何かされないうちに…!
 
 オッサンをチラリと見た。目の前にある、茶色い目とぶつかった。
 怖い……
 慌てて伏せる。
 “振り”で、いいんだから──!
 
 
「…………ん」
 
 
 恵にする時みたいに、舌を絡め返した。唇を押しつけ返して、奥を探る。
 ……でも、やっぱり気分が悪くて。上手くは動かせなかった。
 でも、オッサンはすぐ気付いた様で……
 
 いきなり唇を剥がされて、却ってびっくりした。
 そして、じっと見つめてきた後、不意に抱きしめられて。
「………ぁ」
 つい、声が漏れた。
 
 その抱きしめられ方は───あの頃を思い出した……
 その後の、優しい動きも……
 
 
 なんだ、そうか。と、もの凄く単純に理解した。
 従うということ、受け入れるということ。その動き一つで、オッサンがどう出るか。
 
 俺は“振り”を続けた。
 受け入れた振り、許した振り……。
 おっさんの愛撫は、信じられないほど優しかった。キスからして違う。本当に、あの頃の感覚が蘇る。
 
 嫌だけど、怖いけど、従わなければならない。それは今と同じ状況。
 
 でもあの頃は、もっと違うことに必死だった。
 ──未知の体験ばかり。
 襲ってくる感覚に取り込まれないように、自分を守るのに必死だった。
 
 触られるたびに、湧き上がってくる感覚。
 嫌なのに、気持ちいいと感じてしまう。
 “感じている”と教えられる。それが、嫌で── “感じて”しまう自分が許せなくて──
 
 ────あ……
 
 俺は、困惑した。
 いつも乱暴にキスするから。
 俺の意志なんて関係なく、好き勝手にいじくる。すべて、勝手にやらせていた。ただ、終わるのをじっと待って……
 
 なのに、今の、このキス……
 俺の“振り”に期待して。
 どう出るか待っている。
 俺の舌に合わせて、優しく動く。気持ちいいように、“感じる”ように……
 
 ────嫌だ──感じる、なんて……嫌だ。
 乱暴にされて耐えている方が、まだ気持ちは楽だった。
 
「……克晴」
 耳に囁きながら、そっと脱がせてくる。いつもみたいに剥ぎ取ればいいのに。
 優しいキスが、なんども繰り返される。
 
 ────嫌だ……嫌だ……
 
 身体が、熱くなっていく。
「んっ」
 時々声が出てしまうのが、信じられない。
「───ぁ……」
 胸に唇が……ズクン、と腰が疼いた。
 無意識に身体が逃げる。どんどん、腰が熱くなっていく。
 
 
 ───嫌だ……嫌だ……
 ちょっと、受け入れたフリをしただけなのに……
 オッサンの指が、唇が、こんなにも違う動きをするなんて、思わなかった。
 そして、それに反応してしまう俺………
 
 
 
「克晴…感じることを、怖がらないで」
 
 囁かれた、その言葉……そう教えられて、言い聞かされてきた。
 
 怖がってなんかいない。
 俺は、拒否してんだ! 心で反発を繰り返しながら。
 
「……ぁぁッ……」
 拒否したって、来るものは来る。もう、しょうがないんだと、今なら判る。
 でも……
 
「んっ──ぁあ……」
 愛撫され続け、どんどん高まっていく俺の身体。
 なんでなんで、と心が不安になる。怖くなる。
 
 暴力と恐怖に支配されて、乱暴に扱われていれば、この感覚も仕方ないかと、自分に言い聞かせられた。
 無理矢理、感じさせられるんだから。
 
 
 でも、こんな優しく扱われて……
 突っぱねようと思えば、出来るほど、添える手は優しい。
 
 それを俺は、はね除けられない。
 ……その後が怖い。だから、拒否できない?
 それもある……でも……
 
 それにしたって、……“感じる”必要はない。“振り”でいいんだから。
 
 心底悦んでいるような、自分の身体に恐怖を覚え始めた。いつもと違う感覚が、湧き上がってくる。
 
「んっ───ぁあ……」
 思わず漏れた声に、自分で驚いた。
 ───なんて、恥ずかしい声出してんだ、俺!
 そして、おっさんが喜ぶ。
 ─── くそっ……
 
「もう一度言うよ……感じることを、怖がらないで」
 また、その言葉。
 
 ───あ……
 今朝見た、夢を思い出した。
 俺は、その言葉を恵に繰り返していた。
 
 思わずオッサンを見た。
 こんな奴の、こんな嫌な言葉を、俺は何も思わずに使っていたんだ。
 ………なんで──
 その思考も、掻き消される。
 子供の時みたいに……俺が恵にやったように、そっとそっと触れてくる。
 
 優しい愛撫……それは、まるで───
 
 そんなはず無い! 
 と否定した瞬間、後ろに熱い衝撃が走った。
 触れただけ──だと、思う。なのに、腰にもの凄い衝撃を受けた。
 
「ぁあ……!」
 
 体内で腸が搾られて、疼く。これから受け入れる感覚を、待ち受けるように。
 
 ───怖い!
 そう思った瞬間、言葉が出ていた。
 
「ま……雅義…。いい……もう、いい…」
 
 もう“振り”は終わりだ。そんな扱いはやめてくれ! そう言いたくて。
 こんなに反応する自分に、困惑して。
 睨み付ける目にも、力が入らない。
 
 


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