chapter7. crooked piece  歪んだ小片
                    -最後のピース-
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 2
 
「部長……ッ!!」
 
 
 
 室内には、他にも数人いた。
 構わずにデスクに回り込んで、僕は腕を振り上げた。
 きゃあ! と言う叫び声。次々と椅子を跳ねて立ち上がる、騒がしい気配。
 
「───長谷川さん……」
 振り上げた拳をグッと堪えたまま、睨みつけた。
 
「……僕には、何が何だか……どういう事なんですか!?」
 
 部長は座ったまま、薄いレンズの向こうで嗤った。
 僕の拳にちらりと、目をやって。
「惜しかった。……君が一発でも殴っていたら、クビに出来たのに」
 
 ───────!!
 
 
 
 
「ほら、殴らないのか?」
 人払いをした室内で、部長がまた目を細めた。腕を組んで、悠然と僕の前に立つ。
 
「────ッ」
 僕は震える拳を脇腹に押し付けて、グッと握り込んだ。
 自制心は、全て克晴に繋がっている。
 ………こんな事で、クビになってたまるか!
 
「……長谷川さん……なんで」
 
 白石の情報を、100%信じた訳じゃなかった。
 ただ、“仕事を振るな”ってやつと、あまりにタイミングが一致したから……。
 怒りと混乱で、声が掠れる。口の中がカラカラだった。
「……本当…なんですか? ……先輩のこと…」
 弧を描いている眼に合わせるように、部長の口の両端が吊り上がった。
 
「……馴れ馴れしいねぇ」
「………………?」
 
 一瞬何のことか、判らなかった。
 にたりと嗤った顔が、真っ直ぐに僕と向き合う。
 
「君のそれが、鬱陶しくてね。部署も違うのに、何が“先輩”だ」
「──────!!」
「お気楽な若造が、学生の延長のように。………天野さんがどれだけ、迷惑したと思っているのかね?」
 
 ────え…?
「め…迷惑なんか……」
 
「あれだけ付きまとえば、迷惑以外に何があると言うんだ」
 
 何故判らない? と言いたげに、片眉を上げる。
 ゆっくりと喋る語尾には、嘲笑が交じっていた。
 
「野球にかこつけては、取り入っていただろう。彼の人の良さに、付け込んで」
「……付け込んでなんか…。野球なら長谷川さんだって、出ていたじゃないですか!」
 
 まるっきり悪人扱いみたいで、腹が立った。僕の話を、してるんじゃないのに。
 ……それに、迷惑って…
 先輩がそんなこと、思っているはずがない。それは僕の中では、絶対だった。
 ───なに言ってんだ、この人!
 
「あの頃は、みんなで仲良かったですよね!? 円陣組んだり、肩叩いたり」
 そのくらい、当たり前だった。
 
「私はしていない」
 
「……………!」
「君ほどの、厚かましい振る舞いはね」
 能面の女面のように、貼り付いた微笑み。その眼鏡の奧に、異様な光が煌めく。
 たいした身長差じゃないのに、押し潰されそうな重圧を感じた。
 
「余りの遠慮の無さに、呆れたよ。その腕をもぎ落としてやろうかと、思うくらいに」
「………………!!」
 
 もぎ落とすって……
 尋常じゃない言い方に、ゾッとした。
 
 眼光に垣間見えるのは……憎悪。
 静かに喋っているけれど、発しているのは怒りだ。
 
「僕が先輩に触って、まとわりついて…それが長谷川さんに、どう……」
 それにムカついてたってんなら………それって、嫉妬だろ……?
 
「私じゃない。───天野さんへの迷惑を、懸念している」
 一瞬、鋭い電気のようなものが走った。
 ピりッと、空気が音を立てる。
 
「……………」
 先輩のせいにしてるけど、違う……。
 話しをすり替えながら、自分の事を言ってるんだ。
 
 ───長谷川さんは……本当に、先輩のこと───
 当時の楽しそうだった顔を、思い出す。
 こんな冷たい顔をするようになったのは、いつからだったか……。
 でも…だからって……
 
「───だからって、そんな………それに、僕と先輩は…そんなんじゃ……」
 真っ白になりそうだった。
 気力を振り絞って、睨み返す。
「こんな事、私情で行使するなんて!」
 
 
「───こんなことって?」
「……え?」
 
 
 一瞬見せた青白い炎は、すぐに消えた。
 細い銀縁の奧が、また下弦の月を作り出す。
 
「何を言っているんだ? だいたい君は、なぜ私を殴ろうとしたのかね」
「─────」
 
 腕を組み直して、斜めに僕を見下げてくる。
「な……なに言ってるんですか…長谷川さんこそ! そんな理由でヒトを動かしておいて…」
 その嘲る表情に、愕然としてしまった。
「長谷川さんも、先輩が好きだったって、ことでしょ…それって……」
 
「誰が、そんなことを言った?」
 ───はっ!?
「私は、一言も言っていない」
「─────!!」
 
 何言ってんだ、この人!
 どう聞いたって、今のは───
「誰がって…今……それが理由で、僕を移動させたんじゃないですか!?」
 食ってかかった僕に、返ってきた声はあまりにも、冷たかった。
 
 
「今度は、名誉毀損というところか。……私が、何をしたと言うのか」
「…………………」
「その“私情”と“移動”とやらの証拠は? 今ここで、証明してみたまえ」
 
 
 ────────!!
 
 
 そのいやらしさに、吐き気すら覚えた。
 怒りが湧くのに、矛先が届かない。
 目の前に敵がいるのに、ソイツは鉄壁の鎧で、逃げもしない。
 
 
「ほら、どうなんだ?」
 斜めに構えながら、顔だけ寄せてきた。
 
「言ってみろ」
 凄みながらも、楽しんでいるように……
 
 
「酷い……僕がどれだけ我慢してると……」
 悔しすぎて、言葉が続かない。
 証拠とか、そんな話しじゃないだろ、問題は。
 本当の事を知りたかったんだ。想像もしてなかった、僕への悪意の正体───
 
 
 
「言い掛かりも不愉快だが。……当時、その非常識さには、目に余る物があったね」
 部長が、苦々しく眉を寄せた。
「天野さんの負担も考えず……平日も夜も、お構い無しに自宅まで上がり込んでッ」
 言いながら興奮したように、腕組みを解いた。
 眼鏡を指先で押し上げて、鼻から長い息を吐き出している。
 
「だから、それは…!」
 ……………え…?
 睨み付けながら、ちょっと違和感を覚えた。
 
「………それ、……いつ頃のこと、言ってるんですか…?」
 確かに入社当時は、先輩に取り入ろうとしていた。
 僕のこと好きになってくれたら。そんな不純な動機だけで、付きまとった。
 でも……
 長谷川さんとかなり親しくなった頃なんて、僕はもう……
 
「お前に辞令を出す……1年前だ。度を超えて、あの人に接触しただろう!?」
「──────!!」
 部長はとうとう激昂したように、語尾を荒げた。
 でも僕には、最後の方なんて聞こえてなかった。
 
 あの1年前…って……。
 克晴が“私立の中学には行かない”っていうわがままを、通したんだ。
 公立中学に上がった克晴の、頑固さに理解が出来ないと先輩がぼやいていて……。
 僕は悩みを聞くフリをして、あの家に益々入り込んだ。
 克晴に似てる……そう思って先輩を眺めるのが、楽しかった。
 克晴にのめり込むほど、その気持ちを誤魔化したくて、先輩に引っ付いて回って………
「……そんな」
 
 そう言えば克晴も、僕が先輩のこと好きだって、何度も……
 ────そんな……
 
 
「……ちが…」
 絞り出した声は、部長には届かなかった。
 打ちのめされた僕を、尚も叩く。
 
「君がいなくなって、清々していたのに」
「……………」
「性懲りもなく、戻ってきてから……同じ事を、繰り返している」
 腹に据えかねたような、忌々しい眼。
 見下げてくるその視線に、僕の心もまた震えた。
 
 ───だからって………
 
「だからって……そんなことして…いい訳ないだろ!?」
 6年だぞ……
 ヒトひとりの一生を、なんだと思ってるんだ!! それなのに、この態度と言いぐさは……
 惨めな日々が、悔しさを煽る。腹の底のマグマが脹れあがった。
「──────ッ」
 ………くッ!!
 拳を振り上げそうになって、僕の中のもう一人が、それをグッと抑えた。
 
 
 
 一筋の光が、僕を狂わせないで、いさせる。
 
 克晴が僕を見る。
 僕に話しかける。
 
 
 ───あの空間を、守らなければ……!
 太腿に爪を立てて、憤りを抑えた。
 


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