chapter7. crooked piece  歪んだ小片
                    -最後のピース-
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 3
 
「僕は、辞めませんッ!」
 
 それだけ叫んで、部室を飛び出した。
 これ以上話していると、いつか怒りが勝ってしまいそうで───
 
 
「…ふん」
 鼻で笑う部長の声が、背中に届いた。
 ────クソッ…!
 
 悔しい、哀しい……
 心の整理が出来ないまま、車に走った。
 こんな所にいられない。とにかく今は、ここから離れたかった。
 ハンドルを握ると、乱暴に切りながら道路に出た。タイヤの擦れる耳障りな音が、当てつけのように響く。
 
 
 
 ───そんなことって……そんなことって…!!
 憤りとやり切れなさが、交互に心の傷を剔る。
 
 またあの感覚が、僕を襲っていた。
 “言えば良かったのか?” 克晴だけを見て、言葉にして、そしたら先輩にあんなベッタリはしなかった。
 そしたら、こんな誤解なんか生まれなかった……?
 
 運命は、悲劇をもたらした……当時、そう思った。
 でも、意味の深さがまるで判ってなかった。
 
 ……悲劇だ……こんなの……
 
 太腿に、黒いシミが出来ていく。
 どん底に突き落とされていく、取り返しが着かない……という、失望の粒。
 どうして……
 どうして……
 自分にも部長にも、怒りが湧いて、止まらない。
 
 路肩に車を止めて、ハンドルに顔を突っ伏した。
「────ウッ…」
 壊れる前に……憤りを哀しみにすり替えて、泣き続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 立ち直れるはずがないと、思った。
 マンションに着くまでは。
 
 リビングへの扉を開けた瞬間、香りが違う…暖かさも違う。
 今までは、ひっそりとした、冷たい無人の部屋だった。
 
「……ただいま」
 こっちを見やしない。
 でも、しれっとした横顔が、モニターの前に座ってる。
 それだけで、部屋の中が明るかった。
 
 僕を見ても逃げなくなった、美猫───。
 ……かわいいな。
 
 着替えもせずに、抱きつこうとしてしまった。
 ───ダメだ。また、嫌われてしまう……。
 
 
 紅茶を入れたカップを二つ持って、隣に座った。
「飲む?」
「………」
 僕をチラリと見て、うん、と首だけ縦に振る。
 
「……はは」
 かわいい!
  我慢できずに、結局、抱き締めてしまった。
「嬉しいなぁ……帰ってきたら、克晴とこうやって座ってられるなんて!」
「──!! ……雅義ッ…」
 Tシャツの裾から手を突っ込んだ瞬間、厳しく怒鳴られてしまった。
 
 
 
 
 買ってきたジーンズとシャツは、想像以上に似合った。
 パジャマもイイけど──それは、僕の所有物という証し。
 私服の克晴は、反対に制服を着ていた時と同じ魅力に、溢れていた。
 だって、大学生だ。
 私服が制服みたいな、もんだよね。
 僕は、学ランを着たままの克晴を抱いた興奮を思い出して、止まらなくなってしまった。
 
 ジーンズの前を開けたら……溜息だ。
 シャツを脱がして、Tシャツを捲り上げて……
 一枚一枚……初めて裸にするみたいに、楽しんだ。
 
 それは克晴も同じで。
 いつもの延長とは違う…そんな緊張感が顔に出ていて、また僕を煽っていた。
 
 大好き…
 
 もう隠さないこの思いは、何度だって口をついた。
 
 
 
 
 でも、洋服を買ってきたのは「ご褒美」なんて理由だけじゃ、無かった。
 本当は、もっと深刻だ。
 アイツがいつまた来るか。
 ビクビクしている僕のセンサー内に、チェイスの手下が何度か引っ掛かった。
 会社帰りに近くで気配を感じた時は、足が竦む思いだった。
 
 ───やっぱり!
 
 グラディスから何を言わせたって、奴自身が僕を構う限り、ダメなんだ。
 そして思うのは、……同じコトだけは、繰り返しちゃいけない。
 パジャマのままじゃ、連れ回せない。
 イザって時に、パッと飛び出せる用意をしておく必要があった。
 
 
「似合うなあ」
 他に何着も買ってきては、着させてみた。
 僕がそう言うたび、ジロリとだけ睨むんだ。
 “どうせ脱がすんだろ”その目は、そう言っていた。その通りなんだけど……。
 
 だって、いちいち向こうの部屋に、着替えに行くんだ。
 どれだけ裸を見てると、思ってるんだか。隠されると、余計に暴きたくなった。
 
「そんなに、恥ずかしいかな? 僕の前で着替えるの…」
「……視線が、嫌いなんだ」
 
 捕まえて、脱がしながら訊いてみると、ムッとした声でそんなことを言う。
 “恥じらいでる”って思われる事がすでに、許せないんだな。
 プライドが高すぎる、困った僕の黒猫。
 
 それでも、喋ってくれる。
 洋服を与えてからの克晴は、明らかに変わった。僕を拒否しないよう、頑張ってる。
 僕も……
 自分の欲望だけを押し付けないように、頑張った。克晴の頑張りを、尊重した。
 
 ──ねえ、これって…お互い、歩み寄ってるみたいだよね……
 
 
 グラディスが僕に乱暴しなくなってから、僕も少し変わった。
 物扱いから、ヒト扱い、恋人扱い……それが気まぐれだって判っていても…。
 大事にされてるって、気が付いてからは……。
 
 奴も、……こんな気持ちを、感じてたのかな。
 
 
 
 
 
 
「目玉焼きが、硬い」
 そんなこと言い出すから、何事かと、注いでいたホットミルクを零しそうになった。
「俺とメグは、半熟の方が好きだった」
 
 ……………。
 毎回思うけど…何度でも思うけど……
 克晴が喋ると、感動する。
 飛び上がって喜んでしまう。
 だけど、今回は格別だった。
 ───このとき熱くなった、胸の鼓動は……きっと忘れない。
 
 だって、自分の事を話したのは、たぶん初めてだったから。
 自然に出てきた“会話”だったんだ。
 僕はまた嬉しすぎて、ちゃんと受け答えが出来なかった。
 
 その後、物思いに沈んだ横顔を、寂しくは思ったけど…。“行ってらっしゃい”も、言ってくれなかったけど。
 心底、思う。
 克晴が、好き。
 愛しすぎて……魂が震えるほどだ。
 真っ直ぐな眼。語らないからこそ、その口が開く時は、真実だけ。
 あの頑なまでの純粋さに、惹き付けられる。
 
 
 
「…………ッ」
 僕もその後、いつものようにマンションのドアを閉めて、いつものように鍵を掛けて……行きたくない、行かなきゃ…いつもの葛藤。でも、そのドアに背中で寄り掛かった。
 息ができない。さっきの感動を反芻する。克晴の声……自分の身体を、両手で抱き締める。
 
 克晴が会話してくれた……!
 克晴だ……克晴が、好きなんだよ……僕は……!
 
 誤解…陰謀…危険───嬉しいのと、哀しいのと、怒り、そして恐怖……ゴチャゴチャが、僕の中で暴れる。
 
 見失っちゃいけないのは、克晴だけ。
 そのためだけに、動けって。自分に言い聞かせた。
 
 後悔も、もうヤメだ。
 何度も見過ごしてきた、分岐点。
 ……それはいつの時点だって、「克晴との別れ」
 ……そして、答えは「NO」
 僕がそうである限り、僕の路は一本しか無かったんだから。
 
「そうだよ…6年間も引き剥がされたのに。…今、一緒にいるんだ」
 声に出して言ってみる。それが僕の運命の、答えだと思った。
 
 それだけを胸に、会社に向かった。
 


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