chapter7. crooked piece  歪んだ小片
                    -最後のピース-
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 4
 
「雅義…こんな所に、いたのか」
「先輩!」
 
 
 
 ………イヤな所を、見られちゃった。
 
 克晴に勇気をもらって、勢い込んだはいいけれど。
 来てみたら、今日の仕事はこれだった。
 ……あるだけマシだと自分に言い聞かせて、手を付け始めた所だった。
 
「何をしているんだ?」
「……工作です」
 
 実際は、秋の社内オリエンテーションに向けてのアイテム作り。それと、ついでのように押し付けられた、会議用の書類のコピー。
 紙を刻んだり貼ったり、何百枚もひたすらコピーを取り続けたり、ましてやそれを丁合してホッチキスで留めていく、なんて……
 本来ならパートの子に頼むような、雑務ばかりだ。
 
 一応ここは営業企画部で、商品開発のアイデアマンから、イベント・限定企画の総括者が出入りする。……その補助室。
 何十坪もの広いフロアを、パーテーションで区切っている本家の隣りで、コピー機三台と机がいくつかあるだけの、小さな作業部屋だ。
 体よく隔離されて、一人ぼっちの惨めな姿は、最悪だった。
 
「……どうしたんですか? こんな所まで」
 
 窓際のコピー機の横で、僕はどれだけ情け無い男に、見えただろう。
 経理部とは棟が違うから、まさかこんな辺境まで来るとは、思ってもいなかった。
「……雅義」
 難しい顔をして、先輩が僕に近づいてきた。
「……はい…?」
 その表情に、不安を覚えた。
 いつもと何か様子が違う。……じっと僕を見下ろしてくる。
 
「妙な話しを、聞いたんだが。……お前……仕事が無いのか?」
 
 ──────!!
 
「や……何言ってるんですか! こうやって出社してるっていうのに」
「……そうだな…」
 見下ろしてくる目は、その雑用が仕事なのかと、訊いているようで……どうフォローしていいか、判らなかった。
 先輩は、何を聞いたんだ?
 
「誰ですか……変なこと言うの」
 
 胸の中が、もやっとした。
 僕を貶めようとばかりする、長谷川さん…? でも当の本人が、そんなこと言うはず無いし……。
 取り繕おうにも、声が震えた。
「変かどうか、それを確かめに来たんだ。事実なら、問題だろう?」
 先輩もキツイ目で、僕を見る。
「………………」
 心配だけは、させちゃいけない。僕はそれだけを思って、今まで先輩に笑顔を見せてきた。
 “克晴を、預けてはおけない”そう判断されるのだけは───
 
「……本当でした!」
 
 僕はニコッと笑って、明るく返した。
 ヘタに誤魔化さない方がいい。先輩はそういうの、だいっ嫌いだから。
「でもそんなの、この2日間だけです。今日はこれでも、レッキとした仕事ですよ」
 コピーしていた型紙を、ペラペラと振って見せた。
「今も、対応待ちだから。…取り敢えずこんなこと、してますけど」
「───本当か?」
「はい! 必ずちゃんとした部署に、復帰しますから!」
 
 ……ウソは言っていない。
 真っ直ぐに見返す僕の念が、届いたのか……厳しい表情だった先輩の顔が、少し和んだ。
「ならいいんだ。お前の不待遇が気になっていた上での、話しだったから」
「………先輩」
「俺が口を挟める話しではないが、功労者であり働き盛りの男に、役職どころか仕事も与えないのは、納得がいかないだろう」
 
 ………うぁ……
 胸が熱くなった。
 僕を心配するのは、本当はよくない事だけど。
 こんなふうに言ってくれるのは、やっぱり嬉しい。
 
 先輩は部下に厳しい分、成果は公平に評価する。だからこそ、誉められたら嬉しい。試合の時だって同じだ。
 ……理不尽な対処に、同じように怒ってくれたんだ。
 認めてくれてるから……だよね。
 
「わざわざ、ありがとうございます! でも本当に大丈夫ですから!」
 体の芯から熱くなって、力が漲るみたいだ。先輩からも、勇気を貰えたと思った。
 ……それで充分。
 これ以上先輩を巻き込むのは、危険なんだ…僕にとっても。
 
 
「先輩、それより……」
 先日の様子が、気になっていた。
「……恵君は、どうなんですか?」
 何があったかは訊けなくても、今どうなのか。先輩のあんな顔、それこそ心配だった。
 
「───ああ…まだ、何もな…」
 一瞬驚いたように体を後ろに退いて、目を反らした。
 そして、またあの暗い顔。
「……そうですか」
 まだ、解決してないのか。
 
 こんな顔をすると、さすがの先輩も年を感じさせる。
 野球さえできれば! って、輝いていた先輩を初めて見たのは、10年も前だった。
 もう中年期を迎える歳なんだから……年月の積み重ねは、隠せないと思った。
 それでも、同じ年代に比べたら、まだまだ若いけど。
 それこそ、あのイヤラシイ長谷川さんより、よっぽど……
 
 “若造が” 僕のこと、そう言ってた。
 ……でも僕は、克晴を見ていたんだ。
 当時、小学生だった。
 僕はオッサンて呼ばれてて、悲しかった。
 年齢のギャップは、僕にとっては年上過ぎるという、コンプレックスだったのに。
 ……その僕を、学生上がりだと妬むなんて……
 皮肉にも程がある。
 
「どうした?」
 先輩が僕を、覗き込んだ。
「いえッ…なんでも」
 びっくりした。
 造形は同じなんだ、克晴と。その顔がアップになったから、慌てた。
「あ、そうだ」
 克晴で思い出した。
「先輩……大事なのは、とにかく会話ですよ」
 
「──ん?」
 急になんだ? と、片眉を上げる。
 
「手を掛けて育てなかったって、言ってましたけど……それは、コミュニケーション不足ってことですよね?」
「……ああ」
「どうしていいか判らないなんて。……先輩からたくさん、話しかけてあげれば」
「……あれは克晴に懐いていて、俺の言うことなど聞かん」
 また恐い顔をする。
 僕に怒り出したのかと、一瞬思った。
 
「…………あ」
 むっつりと黙った顔を覗き込んで、僕は可笑しくなっちゃった。
 克晴と同じ。……困ってんだ。
「なんだ?」
「……いえ。でも先輩、そんなじゃダメですよ」
 つい、笑いながら言ってしまった。
「なんでも、言葉にしてあげないと。……子供はとくに、判らないんです」
 
 僕と克晴が、そうだったように。 
“伝わらないから”なんて、諦めてるのは、バカバカしすぎる。
 
「言葉で伝えて、抱き締めて……何度も、何度も」
「───雅義」
「すぐには上手く、伝わらないですよね……それでも」
 ……そのうち理解してくれると、信じて。
 僕はそんなふうに、克晴に、いろんな事を話した。この想い以外は。
 ……だからこそ
「ちゃんと伝えてあげてください。先輩が恵君のこと、大切に思ってるって」
「………………」
「嫌われること、……怖がっちゃダメだと、思うんです……よ」
 
 偉そうに! って、小突かれるかと、最後は尻つぼみになっちゃった。
 でも、心からそう思うから。
 先輩には、失敗してほしくない。
 せっかく恵君と仲良しになれるなら、そうしてほしいと思ったんだ。
 
 ………けれど本当は、こんな気持ちですら…
 “先輩から、克晴を奪ってしまった” その贖罪のつもり──だったのかもしれない。
 
 
 
「子供をもってるような…セリフだな」
 ちらりと見上げた顔は、怒るどころか感心したふうに、呟いている。
 僕は思わず、微笑んだ。
「だって僕…先輩と一緒に、克晴のこと、ずっと見てたんですよ! …育てたとまでは、言いませんが」
 それだけは、ホントだ。だからこそ、滲み出てくるその想い……。
 
 
「……そうだな」
 ふと先輩の口元にも、白い光が零れた。
 
 ブラインドの隙間から差し込む、柔らかい秋の日差し。
 キラキラと輝きが乱反射して、周りをぼやかす。
 
 先輩の笑顔が素敵すぎて、好きだった頃を思い出した。
 こんなふうに二人で向かい合って立っているだけで、すっごいドキドキしたんだ。
 今なら判る。“好き”止まりだったあれは、憧れに近い。
 だって、余りにも違うんだ。この身を焦がす想いとは……。
 
 
「先輩……克晴、頑張ってますよ」
 
 同じ真っ黒い目を見上げて、いつもの報告をした。
「そうか。迷惑を掛けては、いないな?」
 その後はいつも、コレを訊くんだ。そんなこと、あるはず無いのに。
「とんでもないですよ。僕が教わること、多いです」
 特に、あの芯の強さは……。
「……あいつがなぁ。恵にばかりかまけて、どうするのかと思っていた」
「…………」
「雅義に預けて、良かったと思っている。……礼を言うよ」
 
 ……………。
 克晴を連れ出すために、ウソばっかり言って、先輩を騙した。
 今も、嘘は言わなくても───騙している。
「…………」
 以前も、こんな事があった。
 僕の乱暴せいで克晴が高熱を出した時、先輩に相談されたんだ。
 ………こうやって僕は、罰を受けていく。
 何も言えずに、ニコッと笑い返すのが、精一杯だった。
 
 
「話しを聞いて、安心した。頑張れよ。俺は戻る」
 腕時計を確認しながら、ポンと頭を叩いてくれた。
 試合でマウンドに送り出す時に、よくやってくれるんだ、これ。
「はい! 先輩も、恵君のこと、頑張ってくださいね」
「…ああ」
 軽く手を挙げると、部屋を出て行った。
 
 
 
 
「…………はぁ」
 思わず、溜息を付いた。
 いきなりシンとした部屋に、戻ってしまった。
 
 机の上には、やり甲斐もクソもない、工作物の紙切れが散らばっている。
 何千万、何億、という大金が背後で動く仕事をしてきた人間に、これはないだろう。
 遣り切れない想いが、一瞬胸を掠める。
 ───負けちゃ、ダメだ……。
 握り拳を固めて座り直そうとした時、またドアが開いた。
 
 
 
 
「君は…何処まで、図々しいんだ?」
 
 
 ───長谷川部長…!!
 
 額に青筋を立てて、引きつった笑いを浮かべている。
 後ろ手にドアを閉めると、ゆっくりと歩いてきた。
 
「甘えて、付け入って……私があれほど、忠告しているのに」
「い…今の、覗いていたんですか!?」
 別に、やましいことをしてた訳じゃないけど。盗み見なんかしてたのかと思うと、腹が立った。
 いったい、何時から……。
 
「たまたま居合わせたのだよ。まったく君は、分別をわきまえないね」
「……分別って」
 どれだけ我慢してると…これが分別じゃなくて、何だって言うんだ!
「先輩も、言ってくれました! 貴方がしてることは、おかしいって! 僕に役職が無いのは変だって!!」
 ついに、怒鳴ってしまった。
「先輩は、認めてくれてるんです、僕のこと!」
 
 
「ふ……はははッ」
 
 途端に、部長が低い声で笑い出した。
「──────?」
 不気味に暗い目を光らせて、肩を揺らす。
「君を認めている? ……その評価を、誰が出していると思っているんだ?」
 
「……え?」
 
「君が行っていた6年間、私が査定を出していたんだよ。優秀な社員だから、ずっと向こうで活躍していられるように」
 
 ──────!!
 


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