chapter11. unusually soul  -異質の愛-
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 7
 
「死なせるくらいなら、保留にしておこう」
 
「─────」
「無理強いはしない。……手放さないと言ったろう」
 俺の濡れた頬を親指で擦って、メイジャーは笑った。
 
 結局、薬の話もうやむやにされたまま。
 でも俺の本意じゃない…それだけは貫き通すと、メイジャーに宣言した。
 
 
 
 
 
 
 その晩から一週間後の、早朝。メイジャーの下船が、決まった。
 直前の会議室への招集には、身内の幹部メンバーだけが呼ばれた。
 
「今回カルヴィンは、置いていく。…チェイスが気になる」
 代わりに、選りすぐりの猛者ばかりを数人、ボディガードとして用意させた。
「仕事もデカイ。……何が起こるか、判らねぇからな」
 
 きっちりとスーツを着込んで、ニヤリと悪そうに笑う。
 黒上下はシングルの1ボタン。下にはグレーのベストと同色ネクタイ。その上に黒いロングコートを、羽織っている。
 口と顎の髭を整えて、綺麗に後ろへ流したオールバックは、一筋の乱れもない。
 その正装は、野性的な面立ちも豪胆さも抑えて……頭領メイジャーを、貴族的な紳士に仕立て上げていた。
 それでも、長身で厚みのあるこの体格と、鋭い眼光だ。
 存在感が、圧倒的に違う……初めて見た時に感じた、得体の知れない貫禄───
 
「……メイジャー」
 左側のシレンが、物言いたげに見上げた。その紅い髪を撫でて、低い声が囁いた。
「留守を任せたぞ、シレン」
「……はい」
 不安そうに見えた白い顔が、きりりと引き締まった。吊り上がった目に、銀色の輝きが差す。
「銃を預ける。王者の証だ」
 コートの内ポケットから取り出すと、シレンに手渡した。
 黒光りするそれは、一瞬だけ俺を自由にした、あのリボルバーだった。
「これを持つシレンが、この船のボスになる…いいな」
「……Sir!」
 受け取った細く白い手がウソのように……その顔は凛として、女性的な雰囲気を消していた。
 銃のグリップを握ると、慣れた手つきで弾倉を外す。シリンダーに6弾、フル装填されているのを確認しながら、軽快な金属音を立てて回転させている。
「…………」
 ガシャンと重い音を響かせて弾倉を戻すと、その反動の勢いのまま、両腕を伸ばして銃を構えた。
 壁に向かって、銃口をぴたりと定めるシレン。
 踵に重心を掛けて軽く膝をまげ、腰を後ろに落とすように、両脚で踏み支えて。真っ直ぐに伸ばした腕は、俺が教えられたように、左手で右手の銃尻を支えている。
 染みついたような、一連の動き……そのサマになる格好には、驚いた。
「シレンの射撃は、あれでかなりのもんだ。惚れ惚れするねぇ」
 俺の横で、カルヴィンが溜息を漏らした。
「“あれで”はないでしょう。メイジャーに仕込まれたのだから、当然です」
 腰のホルダーに手の中の物を納めながら、シレンも冷笑を零した。
 
「時間だ」
 ボスの一言で、全員の意識が一点に集中した。
「今日中に戻る。帰らない時は…判っているな」
「Sir!」
 カルヴィン率いる船に残る部下達の表情も、厳しくなっていた。
 
 明け切らない空は、半分だけ闇が覆っているように暗い。
 デッキにはチェイスとその一派も、上がっていた。
 “この船の王……キング・メイジャーが、一時居なくなる”
 取引や積み荷なんかより、そのことの方が俺には、恐怖に思えた。
 メイジャーの存在感、絶対的秩序の制圧───それがこの船を、どれだけ安定させていることだろう。
 ………俺も……?
 震えた心に気がついて、驚いた。自分がこんなにも、それに頼っていたなんて。
「………………」
 いつも思っている。もっと強くなりたいと。
 それなのに、ぬくぬくと守られて……逆行してしまっていたんだ。
 ─── くそっ……
 拳を握りしめて、前を睨み付けた。
 デッキの中央には、仁王立ちで腕を組んでいるシレンがいた。
 カルヴィン達を後ろに従えて、悠然と出航準備を見守っている。その顔は、No.2としての険しさを崩さない。普段の華奢な体が、一回り大きくさえ感じた。
 大勢が見送る緊張の中、メイジャー達を乗せた小型艇は、西の闇に消えていった。
 
 
 
 
「克晴…戻るよ?」
 ふと立ち止まった俺に、シレンが声を掛けてきた。
「…………」
 視線を巡らせたデッキの端に、グラディスの姿を見つけていた。
 ───まただ…。……見送りに、甲板に出てきているのだろうに……
 携帯を耳に当て、メイジャーの消えた海とは反対の方を見て、何か話している。腰まであるストレートのプラチナブロンドを、柔らかく風になびかせて。
 白いコートの長身は、昇る朝日に照らされて、光り輝いていた。
「見とれているの?」
「……いや」
 
 
 
『美しいだろう』
 メイジャーにも同じように、笑われた。あからさまに擦れ違うたび、眺めていたからだ。
 こんなむさ苦しい、男達ばかりの船の中で。通路を歩く優美な姿は、気品に満ちていて……仕草の一つ一つに目を惹く。
 “人外の神々しさ”そんなオーラを放ち、薄暗い室内を眩しくさえ、感じさせた。
 
『…… 一角獣…』
『? ……なんだ?』
『銀のユニコーン……最初、そう見えた』
 つい言ってしまって、赤面した。“ロマンチストだ”などと、メイジャーにまた笑われて。
 
 ……でも、見とれていた訳じゃない。
 俺なりに、観察していたんだ───いきなり現れた、ホワイト・キングを。
 
 “グラディスに、会えれば”
 
 オッサンは、その一念に縋っていた。
 “自分を諦めさせて、縁を切って─── チェイスに手を引かせる”
 それが上手くいくと、信じていた。だからこそ、あんな無茶をしながら、渡米しようとしたのに。
 ─── そして、当のグラディスも。
 チェイスが嫉妬して殺そうとするほど、オッサンに拘っていた……はずじゃなかったのか?
 “なるようになったまで”
 あの時、耳を疑った言葉……その冷たい声にぞっとした。
 まるで放置したような言い方だった。”想定通りの動きをしただけだ” チェイスの狂気を判ってて、敢えて…? そんなこと、あるか?
 飼うだのドールだの、言葉も気に食わない。人を何だと思っているんだ……。その腹立たしさから、つい目で追っていた。
 ………グラディスの愛って、何なんだ────
 
 
「雅義に、一度も会いに行っていないって、……本当なのか?」
 それも信じられなくて。シレンに、声だけで訊いていた。
 ───俺なら…俺が恵を助けに来たなら、真っ先に会いに行く。
 次々と船内に戻っていく船員達の横で、俺の目は、まだデッキの端に釘付けだった。
「……カルヴィンの報告によると、そのようですね」
 シレンも冷めた目つきに変わって、同じ方向を眺めた。
「あの人は、いつも誰かと連絡を取ってばかり。何処に何があるのか……ああして、情報を掌握しているようですが」
「…………」
 積み荷の確認……それは、嘘ではなさそうだ。誰よりも、メイジャーが疑っていない。
 でも───なぜオッサンのことを、知らんフリをしている? まるで、仕事だけの為に乗船してきたような顔だ。
 ……それどころか、船内でチェイスとすれ違う時、何でもないように会話をしている。へつらうように言い寄る弟に対し、話に聞いていたような険悪さは見られなかった。
「理解しようなんて、思うだけ無駄です。あの人は、メイジャーにしか判りません」
 凛とした声を顰めて、シレンが冷たく言い放った。
「………ああ…」
 “愛を知らない男”だと、皮肉を込めて───あのメイジャーがそう言っていた。
 
 
「……行くよ、克晴。チェイスが君を見ている」
「────!」
 思わず振り返った、そこには……
 グラディスを見ている様で、その途中に立つ俺を映している、碧眼があった。
 ───この間と同じだ……絡みつくような、興奮した眼。
 ───何で……
 
 
 
 恐怖に背中を押されるように、船底のメイジャーの寝室に戻った。
 偽装タンカーの中心に、隠された寝室。二部屋続きの奥に位置するこの部屋は、この異世界では一番安全な場所だった。
 手前の部屋では、カルヴィンが護衛に付いている。俺が来て以来、その隣室でシレンは寝泊まりしていた。
 
「チェイスは、君に興味が移っている」
 部屋に戻ると、厳しい顔を崩さないまま、シレンが呟いた。
「─────」
 メイジャーのベッドに並んで、腰掛けさせた俺を、じっと見る。
 ─── チェイスが……?
 殺気立つ凶暴な野獣……総てが、心酔する兄のために……。
 
 グラディスを見て、変に納得する部分は、あった。
 ───あんな兄を持ったら。弟なら、一番身近でいたいと思うんじゃないか…だからこそ、兄が興味を持つ者を、排除しようとしていたんだ。
 
「………まさか」
 呟き返した俺に、シレンがふっと微笑んだ。
「克晴は、一途すぎる。移り変わる心も、あるのに」
「……そりゃ…」
 それくらい、俺だって判る…。でも、チェイスの狂信ぶりは……
「……愛は、一つじゃない」
「─────!」
 そのフレーズに驚いて、横に座る白い顔を、睨み付けてしまった。
 
「……完全密室だとね、窒息してしまうから」
 戸惑っている俺に、唇の端を上げて悪戯っぽく微笑む。後ろの壁を見ろと、視線で促された。
「………?」
 振り返ったその先には、ベッドの足下側…天井の角に取り付けられた排気ダクト。細い管が縦横に走っている中に、それはあった。
「隣の部屋と配管が繋がっているから、ここの声が聞こえるんだ」
「えっ…?」
 俺は無意識に、手で口元を押さえていた。
 顔が熱い。赤面したのが、自分でも判る。ドア越しから気配が漏れるのも、嫌だったのに……
 シレンがくすくすと、綺麗な目を細めて笑い出した。
「ボクだって、カルヴィンに聞かれている。そんなのは、恥ずかしがらなくていいよ」
 歯噛みした俺をもう一度笑って、するりと頬を撫でてきた。
「ねえ、克晴」
 手はそのまま、小首をかしげて覗き込んでくる。……鼻が付きそうな、今までにないほどの至近距離。
「もっと受け入れても、いいんじゃない?」
「……………」
 
 
 
「メイジャーを愛して……ボクたちと、ファミリーになろう」
 
 
「──────」
 
 
 
「君はもう…メイジャーを、愛し始めている」
「…………違う」
 
 吸い込まれそうな、銀色の眼。綺麗な顔が、妖しすぎて……一瞬、金縛りにあったように動けなかった。
「……俺の心は、恵だけだ」
 
「…ふふ、そう言うと思った」
 ふわりと微笑まれて、呪縛が解けた。
 近い顔に耐えきれず、体を引くと、やっと手を退けてくれた。
「出会う順番がある…それだけだと、思わない?」
「……順番?」
 座り直したシレンと、また見つめ合った。天井の照明のせいで、蝋の様に肌が白く透き通っている。
「ボクにも好きな人くらい、いたよ。……もちろん女の子」
「…………」
「でも、ここに連れて来られて……メイジャーを、愛した」
 ……静かに、微笑む。
 目を細めただけの優しい笑顔に、息が詰まった。
「ボクの愛も、克晴の愛も本物。“ただ一人、このヒトでないと”……そう思う人に、克晴は最初に出会ってしまった」
 
「……………」
 
「他は要らないんだ…その人だけ、居てくれればいい」
「……ああ」
 ─── そう、ただメグだけ。
 自分だけが言い張るのでなく、シレンからもそんなことを言われて……やっと心が、落ち着く気がした。
「……………」
 俺は少し、笑ったのだろうか。
 覗き込んできた綺麗な顔が、つられたように微笑んだ。
 
 
 
「……俺は、強くなりたい」
 さっきの、シレンのように。……メイジャーのように。何処にいたって、自分を見失わないよう。
 
 握り込んだ拳に、白い手が重なった。
「カルヴィンに、武術を習うといい」
「─────」
「強い精神は、強靱な肉体から。メイジャーが、いつも言っている」
「……………」
 そう言や、そうだ……。オッサンに捕まって、体力が落ちた時は…ろくな思考回路に、ならなかった。
 
「向こうで聞いているから、話は早い。行こう」
 排気ダクトを指さして、シレンが笑った。
「……は」
 俺も笑って、ベッドから立ち上がった。
 俺とシレン以外、誰もこの寝室に入ることは許されていない。話すなら、隣の部屋だった。
 
 
 考えてみれば───
 この部屋に一人で戻ることは、あったけれど……
 メイジャーと一緒ではなく……俺一人で出るのは、初めてのことだった。
 


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