chapter13. Falling Angel -フォーリン・エンジェル-
1.2.3.4.5.6.7.
 
 1
 
 こここに居なければ、ならないのなら。
 もう帰れないと、言うのなら───
 
 “ファミリー”だと…… メイジャー …… そう言った、アンタだから。
 
 俺は………俺は、どうしていつも……自分で選ぶ道を、自分で切り開けないんだ。
 
 
 
 
 メイジャーとカルヴィンが、銃に倒れて。
 手下でさえ、殴り殺す───もはや王の証を手にした野獣…キング・チェイスに刃向かう者は、誰もいなかった。
 
 
 
 
 
「……克晴………メイジャーは……どこ…?」
 
 あの時、甲板の上で。
 シレンの絞り出した声に、現実を突き付けたのは…当のチェイスだった。
 
「オレが教えてやるぜ! あのクソオヤジを、オレが撃ち殺してやったのさ!!」
「この手で、脳天ぶち抜いてやったぜッ……ギャハハハッ!」
 
 この世の天下を確信するように、自信を漲らせながら。
 泣き震えながらも、チェイスは笑い続けた。
 
 
 俺は……言葉が出なかった。
 何発も銃弾を受けた、分厚い体が──目の前で、血飛沫を噴いた。
 あまりにもショックで。
 そして、俺に突き付けられている銃口。
 耳障りに続く、高笑い。
 ……腕の中で動かない、カルヴィン。
 ──── それらが代わりに、全てを物語っていた。
 
 
「オマエのせいだぜ、シレン。あのオヤジに、隙が出来たのはよォ!」
「オマエなんかを助けなけりゃ、こんな事にはならなかったのになあ!? ヒャハハハッ!」
 
「────ッ!」
 その言葉に、呆然となって聞いていたシレンは、今度こそ顔色を失った。
「………あ…うぁ…」
 喉を引きつらせて呻り出すと、急に立ち上がって。
「………うあぁ…ぁああ……っ」
 デッキの端に走り出した。
「…ぁああッ…………メイジャー!!」
 叫びながら手摺りにしがみついて、身を乗り出した。
 
 ────シレン!!
 
 飛び込もうとした身体は、チェイスの手下達によって、取り押さえられた。
「……ああぁッ…! ……ゥア……アアッ…!」
 叫びながら抗う姿が、今も目に焼き付いている。
 濡れた服、冷え切った体では、思うように動けない……逃げ切れるはずもなく。
 両腕、背中を押さえ込まれて、手摺りから引き剥がされた。
 振り向かされた顔は涙に濡れ、その目線だけは暗い闇に向いたまま、今度は舌をかみ切ろうとした。
「─────!!」
 それも寸出で口を押さえられて、シレンの自決は未遂に終わった。
「……勝手なことをするな、シレン」
 薄ら笑いで顔を歪めながら、ゆっくりとチェイスが近付く。
「……オレの、船の上ではなぁ…」
 蔑んだ目で見下ろし、歯茎を剥き出した。
 
「………アハッ……」
 
 顎を掴まれて、強引に見つめ合わされた白い顔が、不意に笑い出した。
 
「フ…フフ……ハハハ…」
 
 ─────!?
 ショックを受けすぎて、おかしくなってしまったのかと思った。
 見開いた目からは、涙が伝い続ける。銀色の眼は、暗がりの中で、異様な輝きを増した。
「メイジャーに…手を出すなんて……許されない───この世界は、お前を野放しにはしない! お前は今度こそ、終わりだ……! アハハハ……ッ」
 
 綺麗な顔を、見たこともない狂気に歪めて。濡れた髪を振り乱しながら、壮絶に笑い続けた。
「黙れッ」
 チェイスは苛立ったように拳を振るわせて、その横面を殴り飛ばした。
 甲高いサイレンの様な笑い声が、腹にも一発打ち込まれて、悲鳴に変わった。
「─── やめろ……チェイスッ!」
 そのまま嬲り殺してしまいそうで、ゾッとした。
 細い体は金髪の男達の腕の中で、首や腕を垂れ下げて、動かなくなった。
 
 
 
 
 ───今度こそ…真の闇の幕開けだ。
 
 俺は膝に抱えたカルヴィンを、下ろせなくて……
 血まみれで座り込んだまま、振り向いたチェイスを見上げていた。
 
 この時、シレンの命が失われなかったことを、良かったと言うべきなのか。
 その後の地獄を思うと、俺は………
 
「オレが、王様だ! オヤジの代わりに、オマエらを可愛がってやるよ!!」
 下卑た笑いが、これからを象徴するように、重くのし掛かってきた。
 
 
 雪交じりになった突風が、甲板の上を吹きすさぶ。
 夜の闇が、船ごと飲み込んでいく。
 体も心臓も、心も……何もかもを、凍てつかせて───
 
 
 
 
 
 
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「…………ハァッ…」
 後ろ手に縛られたまま、俺は寝返りを打った。
 ────痛ッ……
 チェイスに激しく殴られて、顔や腹が酷い状態だ。
 
 
 あの後、俺とシレン、そしてメイジャーの主だった幹部達は捉えられ、それぞれ別々の倉庫に放り込まれた。
 俺だけ一人、チェイスに連れられ、メイジャーの寝室に戻されていた。
 
 寝乱れたベッド、情事の跡も生々しいシーツや部屋の気配に、チェイスは興奮して襲いかかってきた。
 でも──俺の体内には、熱の冷めないメイジャーの残滓が残ったままだった。
 排泄する隙もないままに、あんなことになって……
 それをチェイスに、悟られたくなかったんだ。
 ───コイツに犯られるくらいなら、死んでやる───
 今まで暴力に恐怖していたけれど、もうどれだけ殴られたって……撃ち殺されたって構わない。
 俺の中でも、何かが壊れていた。
 
「グラディス命じゃなかったのかよ!? 俺なんか相手にしてないで、本命の所に行けよ!!」
 似たような台詞…オッサンにもそう言って怒鳴ったのを、頭の端で思い出しながら。
「殺せッ!」
 縛られたまま、ベッドの端に追い詰められて。それでも、睨み上げて。
「殺せッ……今すぐ、俺を殺せッ!」
「……ウルセェ、おとなしくしろッ!」
 殴られては叫んで、言葉通り、死にものぐるいの抵抗だった。
 
「チッ…邪魔なプレートだなッ」 
 蹴り上げた俺の足を掴んだ時、チェイスが忌々しげにそれを見た。
「────!」
 ハッとした俺に、凶悪な淫獣はニヤリと唇の端を上げた。
「ヒャハハ…この鍵……あれも、オレの物だぜ……」
 意識が霞みそうな目眩に、襲われた。 
 ……メイジャーが後で探すと言って、鍵はあのまま放置だった。オッサンからは、まだ奪っていなかったはずだ。
 拘束と陵辱の日々───脳裏をあのマンションでの事が、駆け巡った。
 ……あれが、繰り返されるのか?
「……死んでも、お前なんか…ッ」
 セーターを捲り上げようとする手を、蹴った。肩を掴んでくる腕に、噛みついた。
「ッ痛……コイツ…!」
 怒りにまかせて、殴ってくる。それでも俺は、叫び続けた。
 
「殺せよッ、俺を殺せッ!!」
 
 何発殴られてもそう叫び続ける俺に、興ざめしたのか。チェイスは何度も舌打ちを繰り返して、悔しそうに顔を歪めると、とうとう寝室から出て行った。
「今は許してやる…そのうちそんな強がりは、言えなくなるぜッ!」
 その捨て台詞がまた、オッサンと同じで……皮肉なデジャヴが繰り返される。
 ───でも、もっとタチが悪い。
 ヤツはオッサンに輪を掛けて、子供みたいだ。権力者に憧れ、暴力の効果だけはよく知っている。
 
 王座を取って代わるなんて、そんな器じゃない。とんだエセ・キングだ……
 
 
 
 
 
「───────」
 犯られなかったことにホッとして、もう一度寝返りを打った。
 ”殺せ!” 自分で叫び続けた言葉が、頭に響き続ける。俺の最後の希望。
   オッサンにもメイジャーにもそう言って、抵抗した。でもそれは、望まない未来への放棄宣言だった。
 ───さっきのは違う……反対だ。アイツなんかにはもう、絶対に……
 
 
 
 「……ゥッ」
 痛みに耐えかねて、思わずうめき声が出た。咳と共に血を吐いて、身を捩った。
 シーツの残り香に、顔が埋まる。
 ───メイジャー……
 毛だらけの胸と腕に、抱き締められている気がした。ここに居ないのが、ウソみたいだ。
 
 シーツに染みが出来ていく。哀しみが鼻頭を伝って、落ちていく。
 ……悲しくて……悲しくて……… 一生分の涙が流れ続ける。
 俺は、第二の家族を……失ったんだ。
 
 
 
 ……シレンは…
 他のクルー達、そして……デッキに放置された、カルヴィンは───?
 考えるだに恐ろしい、直視したくない現実が、朝を待つ。
 
 ……オッサンは…どうなる。
 あの時、グラディスが甲板にいたのに。あの銀王は、止めなかったんだ。
 ……それって────
 
 
 ………どんな悪夢よりも酷い。
 
 いっそ明日なんて、来なければいい。そう願い続けて俺は一人、眠れない夜を過ごした。
 
 
 
 
 
 
 
 それでも───翌日には、否が応でも悟らされた。
「船底の隠し倉庫に、手を着けたぜ」そう得意げに話し出した、チェイスの言葉で。
 
『この船には、秘密が一杯だ。チンピラ風情をあそこまでは、行かせない』
 そう言って、ニヤリと不敵に笑った。ブラック・キングが構築して守ってきた、世界と秩序と、秘密─── それらが全て暴かれ、汚された。
 
 “メイジャー”という国が、本当に崩壊したんだと。
 


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