chapter13. Falling Angel -フォーリン・エンジェル-
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 6
 
 見下ろしてくる、冷たい双眸───
 さっきも俺の醜態の一部始終を、ずっとこの眼で見ていた。
 
 
 ……何しに来た…?
 
 
 
 手足を縄で縛られ、猿ぐつわまで噛まされて───ベッドにただ転がされている俺は、まるっきり……まな板の上の鯉だ。
「……………」
 薬だってまだ抜けきっていない…体力も気力も、限界を越えていたけれど。
 得体の知れない恐怖と緊張感で、目の前の白いスーツから目が離せない。まだ少し眩しい視界で、銀糸の滝を睨み上げた。
 
 
「その眼」
 
 
「─────」
 
「同じ眼を、マサヨシはしていた。マサヨシはお前しか見ない…何をしても」
 
 
 ──────? 何を、いきなり……何をしてもっ…て……
 
『もう死ぬって…何度も思った。その度、従うんだけど…ダメなんだ……僕には克晴が……』
 オッサンの言葉を、思い出した。……酷い暴力を受けたとも。
 
 ───何……する…つもりだ……
 
 
「このわたしを見ない…そんな人間は、初めてだった」
 フ…と、薄い唇の端を上げて、笑った。
「お前を見た時に、判った。この眼をマサヨシは、自分に向かせたかったのだな、と」
 
「…………」
 ピンと張った緊迫感……息も飲み込めない。
 
 
「…んッ」
 いきなり両手が伸びてきて、俺の頭を抱え込むように後ろに回した。
 頬に当たる腕や髪に、ビクッと反応してしまった。
 
 ───あ…?
 
 その手は、猿ぐつわを外していた。
 
 
 
 
「新薬の効果を、観察していた。……お前のデータだけでは、アレをB級品にしてしまうところだ」
 
 メイジャーとは違う…太くて響くけれど、少し高い声。
 首の紐を解いて、口の中に突っ込まれていた布の束を取り出すと、姿勢を戻して静かに語り始めた。
 腕組みをして真っ直ぐに見下ろしてくる銀の瞳は、相変わらず冷たい。
「…………」
 何かされるわけでは、ないのか…。
 それ以上は触ろうともしない態度に、背中の冷や汗は引いていった。
 
 
 
「なぜあれほど、我慢をする?」
 ほんの少し眉頭を動かして、細い溜息を吐いている。
 
「───我慢……?」
 俺はそれを見上げながら、無意識に反芻していた。水分を奪われてカラカラに乾いてしまった舌と喉が、引きつれる。
 ……そんなこと、訊きに来たのか…。
 無感情の眼は、俺を“ドール”だと笑った、あのメイジャーとの会合の時の様な、威圧感はない。ただ理解できない人間を、眺め下ろしているようだった。
 
「……我慢じゃない……抵抗だ」
 ……自分でも…よくあんな責め苦に、耐えたと思う。
 たったさっきまでの苦痛を思い出して、俺も深い息を吐いた。
 
 
「言える訳がない…それだけだ」
 
「なぜだ?」
 
 
 顔色ひとつ変えずに、訊いてくる。
「は─── チェイスになんて……冗談でも、口に出来るわけがない」
 いい加減、辟易する質問に、嫌気が差す。
「“愛してる”…それだけは言わないって……メイジャーにも言ったんだ」
「……………」
「俺は…この言葉だけは、護りきる。それだけが、メグに…してやれること……だからだ」
 顔を出来る限り持ち上げて、銀の瞳と対峙した。熱を帯びないクリスタル。
 
「わからない。そんな誓いに、どんな利益がある?」
 
 ……機械のように、無機質な物言い───淡々と訊いてくる。
 その声は、顔は…あまりにも冷酷すぎる。
 
 
「もう側に居ないお前のことなど、相手は想っていないかもしれないのに。それでも想い続けるのか」 
 
「ここに居もしない…二度と会えない相手に誓う? ……そこに、いつまでも愛なんてあるのか?」
 
 
「──────」
 ……いつまでも…愛なんて……? グッと胸に刺さる言葉だった。
 置き去りにして、見捨てられたと感じていたら…恵は───
 
「……俺がそれを言ってしまったら…メグを愛した…そのこと自体が、消えてしまう。そんな気がして…」
 それは、“メグが俺を愛してくれた”……その想いも消してしまうって、ことなんだ。
 ───そんなの、絶対にダメだ。
 俺に応えてくれた恵の頑張り、優しさ…あの子の存在そのものを、俺はまだ感じるから…
「俺のためじゃなくて…メグのために…」
 
 この愛は、二人でないと成立しない。俺が挫けたら、恵を泣かせる。
 
 
 言いながら、俺もやっとそこにたどり着いた気がした。
 オッサンに意地張ってる間も、負ける気がしないってずっと思っていた。メイジャーにもチェイスにも…行為が酷くなればなるほど、負けちゃいけないって…
 
「俺、…自分で頑張ってると、思ってたけど……恵に支えられてたんだ」
 
 銀眼を睨んでいたはずだった視線は、力が抜けて。
 心の中の恵と、見つめ合っていた。
 
 
「……相手がお前を支えている。そうである限り、克晴は穢れない――か」
 
「成る程……マサヨシが執着し続けても、手に入らないはずだ」
 
 
 静かな声でゆっくりと…自分に納得させるような言い方。少し眼を瞠って、俺をしげしげと眺め下ろす。
「二人で一つ……こんな愛が、あるのか」
 
「───────」
 俺も驚いていた。
 神父さんにも訊いた。
 自分でも問うていた“愛”。……ここに答えが有ったんだ。
 
 
 
「わたしをユニコーンと、呼んだそうだな」
 
 急に話を変えて、グラディスが微笑みを零した。
「……え」
 俺は場違いにも、赤面した。……メイジャーが話していたのか!
 
「光栄なことだ…だが、わたしには……お前こそが、そう見える」
 
 
「……漆黒の一角獣」
 
 
 するりと伸ばしてきた手が、俺の顎を掬った。
 
「その高潔な気質ゆえ――決して飼い馴らすことは出来ず、抵抗し続けたあげく……最後は自害してしまうという…」
 
 滝のように落ちてくる銀色の糸。長い睫。その影に隠れてもなお、輝く碧みがかった銀の瞳。それが、真っ直ぐに俺の眼を捉えた。
 
「お前は、相手の所へ戻るべきだ」
 
 
 ───────!
 
 
 
 
「お前を助けてやる」
 
 
 
 
 無表情のまま…眉一つ動かさずにそれだけ。
「……………」
 俺の顎を支えていた長い指が、肌を滑って離れた。それ以上は何も言わず───
 
 ───えっ…?
 
 さっき外した猿ぐつわを、俺に噛ませ直した。
「──んぐッ…!」
 また布を突っ込まれて、舌が封じられた。その上から布紐を噛ませてくる。言った言葉と反対の行為に驚いて、俺は非難の声も出せなかった。
 
 ────助けてやる…って! どういう意味だ……!?
 
 余りに急なことで、間近のグラディスの顔に眼で訊いていた。だったら、この手足の縄を解いてくれよ……
「…………」
 俺の視線なんか目にも入らないように…布紐を首の後ろでしっかり縛ってしまうと、ついと体を起こした。
 そして、さらりと髪をなびかせて、部屋から音もなく出て行ってしまった。
 
 
 
 「──────」
 
 元通りの雁字搦めの、拘束にされて。一瞬だけ聞こえた、救いの言葉……
 
 なに……?
 
 感情の読めない冷たい眼。それだけが、俺の眼に焼き付いている。
 1秒でも期待させて…それで、放置ってなんだよ。……からかったのか?
 気持ちの高ぶりは、すぐにドス黒い怒りに変わって行った。
 
 ─── クソッ…!
 
 
 ───漆黒の一角獣…抵抗し続けたあげく───
 
 ヤツの言葉が、耳の奥で繰り返される。
 ……判っているなら…せめて、これを外したままにしておいてくれれば…!
 奥歯で布紐を、力一杯噛んだ。
 ギリギリと音が立つほど噛み込んでも、歯と歯は合わさらない。突っ込まれている布のせいで、舌も挟めない。
 ───自分で自分を自由にする、唯一の手段だったのに。
 
 ……クソッ…! 悔しくて、硬いベッドに額を擦りつけた。
「………………」
 
 もうあの微音は聴こえない。
 ……体中が痛い。幻聴と入れ替えに、痛みを連れてきた。
 
 なるべく楽なように、縛られているなりに、体を伸ばして横向きになった。仰向けだと、後ろの手が背中で辛くて。
 正面には、動かなくなった鉄の扉が見える。
「…………」
 もう一度、声にならない溜息を吐いた。一日が長い……こんな日が、何日続いているだろう。
 ……夜も長い……明日に脅えて、眠れない。
 
 
 “Falling Angel”
 ………恐ろしい新薬。“金の成る木”だと。メイジャーもグラディスも……コレの話をする時は、目の色を変えていた。
「…………」
 ───支配者には、絶対的なヤクだよ…本当にな。
 胸の中で、毒づいた。
 他に何を知ってる訳じゃなくても、そう思う。あの快感の支配力は……
 ゾクリと腰が疼いた。
 思い出しただけで、内側から込み上げてくる……昇天への期待。脳髄まで痺れる恍惚感……絶頂の喜悦。
 従い、従い、乞うことが至福だった。……そして背中合わせの、苦痛、恐怖。
 
 ────嫌だ…
 
 明日また、打たれたら。
 アレを何度も、味わわされたら───俺の本意など、本当にどっかに行ってしまって…
 今度こそチェイスの言うがままに、なんでも口走ってしまうかも知れない。
 俺が俺で、なくなってしまう……
 シレンのように…?
 そう思うとゾッとして、疼いた腰すら萎えた。
 
 ────嫌だ…嫌だ………恐い……
 
 
 
 ……助けてやる…だって?
 
 グラディスのあの一言に、縋る気にもなれない。
 不安な夜……
 身体の疲れには勝てず、俺は何の解決もできないまま、意識を落としていた。
 


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