chapter3. true courage -ほんとうの勇気-
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───あ、霧島君だ……
新学期になって、久しぶりに教室に入った時、すぐわかった。
入り口で立ち止まって、見つめちゃった。教室の後ろの方で、他の子たちと仲良さそうに、騒いでる。
……また背が高くなった。顔も、大人っぽくなったと思う。
……ますます、克にぃに似てくる。
“本当は、霧島君と克にぃが、兄弟なんじゃないの?”って、拗ねたことがあった。
僕もあんな風に、カッコ良くなりたかったんだ……。
「よ! ひさしぶり」
後ろから急に、声を掛けられた。振り向くと、爽やかに笑う顔。
「……おはよう。緒方君」
あれ……? 見上げる角度が、上がった気がする。
「緒方君も……背、伸びた?」
「ああ! わかるよな、やっぱ。すごい伸びたよ!」
嬉しそうに白い歯を見せて、笑う。
「でも、……“も”って?」
今度はおかしそうに眉を寄せながら、見下ろしてきた。僕の背が伸びてないことは、分かってるんだ。
「…………霧島君も!」
笑われたことにちょっとふてくされて、言いながら教室の奧へ視線を戻した。頭一つ飛び出してる、日に焼けた顔が眩しい。
「……いいなぁ。僕も背が高くなりたい」
チビとかオンナとか……言われなくて、すむのに。ただでさえ恵って名前、女の子みたいで嫌いなのに。
「ああ? 何言ってんだか! 天野は小さいから、可愛いのに!」
緒方君に、頭をポンと押さえられた。
─────!!
「か……カワイイは、ホントはヤなの!」
懐かしい言葉を、思い出してしまった。赤くなった顔を見られたくなくて、自分の机に走った。
『メグは、このままでいいのー!』
そう言っては、僕を後ろから抱き締めてくれた。
『メグは、可愛いからメグなんだ! カッコいいメグなんて嫌だなあ』
ほっぺた擦りつけて、首に腕を絡ませて……
僕が早く大きくなりたいと泣くたび、待ってるよって、言ってくれた。
でも、急がないでって……やさしくキスしてくれた。
────どうしたんだろう、僕……
克にぃのこと、思い出したら泣いちゃうのに……
思い出が、止まらないよ……
「………………」
席について俯いたまま、涙も隠した。
きっと、あんまり霧島君が似てるから……
いっぱい辛いことあったから……逢いたくなっちゃったんだ。
「…………えぇー」
「えーって、なんだよ? ……すっげー! 神様に感謝!!」
朝礼が終わって、席替えをして、新しい席に行ってみたら、後ろの席が緒方君だった。
……緒方君、ちょっと苦手なのに。
言うことがストレート過ぎて、どう返事をしていいか、困っちゃう時がある。
今もみんなの注目を浴びるほど、すっごい笑顔で喜んでるし。
──緒方君なんて、人気があるから隣になりたい子、いっぱいいるのになぁ…。
ちらりと見上げると、ん? て首を傾げて、優しい笑顔。
「……………」
この笑顔に……泣きたいときだけすがってしまう自分も、やだ。
それなのに。こんな近くで、毎日…………どうしよう…。
真っ直ぐ見つめてくる目を見返せなくて、半端に横を向いたまま俯いた。
「天野、約束破っただろ!」
明るい声でそんなこと言われて、僕はやっと緒方君に顔を向けた。
「………約束?」
整った顔が、ちょっと恐い顔を作って、ニコリと微笑んだ。
「連絡しろって、言ったろ? 夏休み、遊ぼうって」
「…………あ」
そうだ。
強引な約束……僕はつい頷いちゃったけど。そう言ってくれてたんだ。
「………ごめんね」
先生と会う以外は、一日も部屋から出なかった。誰かと会うなんて、とてもできなかったから。
「まあいいけど。霧島とも、遊んでなかったみたいだし」
にぃっと、いたずらっ子のように、口の端を上げた。
「……え」
───霧島君? なんで緒方君が……
思わず教室のはじっこに、視線が動いた。
霧島君の新しい席、さっき探しちゃった。一番向こうの一番後ろ……あんな向こう側……
「……そんな目で」
「え?」
「いっつも霧島を見てる。……天野は」
「…………」
「オレを見ろって! 近いんだからさ!」
「………緒方君」
緒方君と話すときには、窓を背にして、後ろを振り向く。そうすると、嫌でも霧島君が目に入った。
……嫌われちゃったから、もう話すこともできない。
なのに緒方君とは、こんな仲良くしてるなんて……
教室の一番端と端で。
僕たち………遠いね。
「ほら、泣きそうだぞ!」
頭をぽこんと、叩かれた。
「言ってるそばから、霧島ばっか見つめんなよ。妬けるなあ」
「…………!」
霧島君を想うと、悲しいことばかりで。
克にぃとの今まで。
霧島君との今まで。
僕のこれから……
そういうことを、どうしても考えてしまう。
「…………」
何て答えていいか分からず、緒方君をじっと見た。
「そうそう、そうやってオレを見てろって! 泣きたきゃオレの胸で泣けー!」
頭に手を乗せて、ぐりぐりと撫でてくる。
「そ…そういうこと……」
大きい声で言うんだもん……緒方君てば…! 僕は恥ずかしくて、結局また下を向いてしまった。
次の日から、僕は自分で保健室に行くことを決めた。
僕を庇って、ケガをさせてしまったから。先生が治るまでは、何もされないと思ったし……。
「……天野君」
桜庭先生が、驚いた顔で僕を見た。
「先生……」
近寄ると、そっと片手で抱き締められた。
「あのあと、大丈夫だった?」
優しく聞いてくれる。
「…………」
頷いてから、白い包帯の顔を見上げた。にこりと、目を細めて微笑んでくる。
「………痛い?」
「ううん。……来てくれると思わなかった。嬉しいよ」
「……僕のせいだから」
それに、横にいるだけなら…まだ、平気だから。
“ケガは大丈夫だから。それより、絶対内緒だよ”
その後も、そう言って、優しく頭を撫でてくれた。
それだけなら、僕…ほんとに………
先生の代わりに、お茶を淹れたり、お湯飲みを洗ったり。今までの僕からは、考えられないことをして、先生を手伝った。
だって、そんなの全部、克にぃがやってくれたから。僕はお茶を淹れるどころか、お湯を沸かしたことすら、なかったんだ。
…………あ。
また見てる。
お茶道具を片づけてる僕の背中を、先生がじっと見てる。
何もしなくても、時々怖い。……僕を飲み込んでしまうような視線。
それから、もうひとつ。
何かわからないけど、先生は変わった。
突然恐い顔になって、乱暴になる。僕には何もしないんだけど……
「……あッ!」
思ってるそばから、激しい音を立てられて、驚いてしまった。
先生が、スチールの机をけっ飛ばしたんだ。激しい衝撃音に、恐怖で体が震えた。
うっかり茶碗を落として、割っちゃった。
「天野君! 大丈夫?」
びっくりさせたのは先生なのに、驚いて飛んできた。
「……はい」
そっと見上げると、心配そうな顔。さっきの恐い空気は、すぐに消えてしまった。
───先生のケガが治ったら…
この暴力が、僕に向けられたら……
そしたら、何も変わらない。
平林君たちが、僕にしたことと。
暴力という痛みで、あんな酷いことを押し付けてきた。
………先生も、そうなるの…?
絶望しそうな僕の心の中に、一枚の紙の存在が消えなかった。
『救急センセイ』
~~なんでも相談してみよう~~
あれが配られたときは、何にも役に立たないと思った。
僕のこんなこと……
あの写真が他の人に見られるのが、怖いんだ。
こんな恥ずかしいことされてるなんて、知られたくないんだ。
相談なんか、出来るはずがない。
───でも。
どうしたら、勇気を出せるかな。
本当のことは言わないで、僕がどうにか変われないかな……。
その切っ掛けを、もしかしたら、くれるんじゃないか……
そんな気がしてたんだ。
それが心の隅に、ずっと引っ掛かっていた。