chapter3. true courage -ほんとうの勇気-
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7
「……………」
僕はやっと、その人の顔を見上げた。
あの時公園で、僕に酷いことをした中学生たち……その中にいた人。
顔は全然、覚えていなかった。
髪の毛は全部銀色で、前髪だけちょっと長くて、あとはすっごい短い。
似たような格好の人たちばかりだったのは、なんとなく覚えてるけど……
「あんときは、ごめんな。怖かったな」
また謝ってきた。
「…………」
今も、怖い……
僕は黙って頷いた。
「あれからあと、また何かされたか? ケンジや伸也さんに」
「………」
今度は必死に首を横に振った。
何か返事をしていないと、またいつ怒り出すかわからない。
「そうか、よかった」
それからその人は、思いがけないことを言ってきた。
「なあ、お前、天野って言うんだよな?」
「─────」
「もしかして、親戚に克晴さんって人、いるか?」
「────えっ!?」
「やっぱり。……あの近所だったはずだから。あの人」
「か……克にぃを、知ってるの!?」
怖い気持ちより、その名前に反応していた。
まさか、こんな怖い人から克にぃの名前が、出るなんて………!
「知ってるっつーか、写真でよく見てたから……」
「写真……?」
「ああ、兄貴のな。……このカッコイイ人、誰だ? って聞いたら、“天野克晴”って教えてくれた」
「…………」
「で、気になって、ここら辺うろついたことあったんだ。大昔の話しだけどな!」
「…………」
さっきまで怖かった人が、ちょっとそうでも無くなった気がした。
照れたような顔で、ニカッと笑う。
「お前のいとこ?」
「………兄…」
「えっ! 兄貴!? すっげー年の差じゃん!」
銀色の眉毛を目一杯持ち上げて、穴の空くほど、僕を眺めた。
「へぇぇ………似てねーなあ……」
「……!」
気にしていることを言われて、ムッとしてしまった。
それがばれちゃったみたいで……
「はは、怒った。かわいーなー」
掴まれた腕は痛いままだけど、笑い出した顔を見て、だいぶ恐怖はなくなっていた。
「逃げないから……離して……」
「ああ、ごめんな」
「オレ、啓太。お前は? 下の名前!」
「………恵……」
「めぐみ? 名前も可愛いな!」
「………」
また、それ……いい加減慣れたけど……
「めぐみ! こんな草ん中いないで、あっち行こうぜ!」
ケイタさんはまた強引に僕の手を掴むと、土手の上まで上がった。
「そこに、居ろよ! 帰んなよ!」
そう叫びながら自動販売機まで、ジュースを買いに行ってくれた。
僕はそこから逃げようと、思ったけど………帰りたくないし、他に行く場所もない…。
道の端っこ、草が生えててすぐ斜めに下ってる。そのきわのとこにランドセルを置いて、しゃがみこんだ。
「お、逃げなかったな!」
ちょっと遠かったみたいで、ケイタさんは走って戻ってきた。
嬉しそうに笑いながら言って、僕の抱えていた膝の中に、缶ジュースをすぽんと落とした。
冷たい缶の感触は、桜庭先生とセミを見たときのことを、何故か思い起こさせた。
「…………」
あの時も、車から降りて買いに行ってくれていた。
あの時の先生は、まだ優しかった。────変わっていく先生が……怖い…。
「どうした?」
「……ううん」
嫌な思い出……こんなの…先生とのことなんか、思い出したくもないのに。
僕は、霧島君に笑うみたいに、何でもない顔をした。
悲しいこと、ないふり……
消せないなら………記憶になんて、残らなきゃ…いいのに……。
「……な、めぐみ! オレと付き合わねぇ?」
「……!?」
隣にドスンと座って。ジュースをグイッと一気に飲んでしまうと、ケイタさんは恐い顔をこっちに、突き付けてきた。
「んなカオ、すんなよ! 嫌ならいいけど」
───イヤって……それより……
そんな急に……コトバの意味がわからない。
「……つきあうって……?」
うずくまるように座っていた僕は、隣の大きな人を怖々見上げた。
……この人だって、僕に乱暴しようとしてたんだ。今更ながら、僕の二倍はある、この見知らぬ人が怖くなった。
「オレさ……お前のあんなトコ見て…」
僕の目線に、また照れたような笑顔。
「スッゲー気になってた。可愛いし、色っぽいし……」
「………!!」
思い出すと、僕も恥ずかしい。あの時の酷い格好を、この人は見ていたんだ。
「あん時さ、あれで終わってよかったと、思った」
「…………え?」
「はっきし言って、オレらん間じゃ、あんなんしょっちゅうなのよ」
「……………」
「仲間内でも、まわしっこすんだぜ」
………?
言葉が、聞き取れない。
聞き返すのも怖いしじっと耳だけ傾けた。
「でも、お前みたいなの、初めてだった」
……なにが……?
「なんか、こんな子供なのに……スッゲー色っぽい……ての?」
「…………!」
そんなこと……
「普通なら、もっと汚く泣き叫ぶんだよ。それを楽しんでんだから。伸也さんは」
「……色っぽくなんか……」
桜庭先生が、よく言う言葉だった。
綺麗とか色っぽいとか、そんなこと言われるたび、刺激を強くされて、大きい声を出させられて……
また思い出すと、腰がぞくりとした。
………やだ。
慌てて、膝を抱え直した。
こんなのこの人に知られたら、何を言い出すか、何されるかわかったもんじゃない……。
「──────」
気を反らそうと思って、土手下に視線を移した。
河原の向こうの水面が、寒そうな空の色を映してる。
───もうすぐ、日が暮れる……。何処までも広がる空は、半分暗くなっていた。
でも……帰りたくない。頭の隅に、とうさんの車が一瞬浮かんだ。
「……なあ、オレと付き合えば、ケンジからは、護ってやれるぜ」
「…………」
つきあうって……さっきから……。
僕を脅そうとしてるようじゃないけど。
「なに、するの…?」
「えっ……まあ、デートとか……ナニとか……」
「……?」
今まで、僕の周りにはいなかった、ごっつい顔の人。
恐い顔が、照れたり笑ったり……今はビックリ顔で、僕を見下ろす。
「手始めに……キスしたい。……いいか?」
────キス!?
僕はまた怖くなった。
「あー、そんな顔すんな! ムリヤリは、襲わねぇよ!」
「………」
「オレを好きになったらで、いいから!」
────すき?
その言葉に、心の何かが引っ掛かった。
「そういうことは、相思相愛でやるのが、ハッピーってもんだろ」
飲み終わったジュースの缶を握り潰して、また笑ってる。
その顔に、思わず訊いていた。
「……好きって?」
先生は、毎回言う。
緒方君にも言われた。
……でも、僕は……
緒方君を、そう思ってないのに。
先生なんか、だいっキライ。
なのに……こんな僕の…どこがいいの……
この人だって、顔を合わせたの、今日で2回目なのに。
「僕のこと……知らないのに……」
「はは、可愛いナーって思うのが、好きの理由だって、いいじゃん」
「…………」
「お前、ガッコの女のこと、可愛いなって思って見たことねぇの?」
「………え」
女の子なんて、僕を守ってくれてた滝下さんたちしか、あんまりしゃべったことがなかった。
それって、変なのかな。
僕が女の子を好きになるなんて、あるはずなかったのに。
どう答えていいか判らず、下を向いて足元の草を引っ張っていると、大声で笑われた。
「はははっ! 初恋もまだなんだ! すっげー可愛い! マジで!」
「…………」
なんか、恥ずかしい……この人。
緒方君が可愛いって言う時みたいに、気持ちが落ち着かなくなった。
「ああ、そろそろ真っ暗だなぁ」
空を見上げて、急にそんなことを言い出した。
「…………」
僕も見上げた。
半分暗かった空が、ほとんど暗くなっていた。
…………帰りたくない。
「そう言えば、なんだって、あんなとこで泣いてたんだよ? おまえ」
「…………!」
柴田先生のこと、思い出した。とうさんの冷たい顔が重なる。
「………」
またべそを掻きそうになって、ぐっと我慢した。
「……たくさんワケアリって顔だな。いいとこの、ぼっちゃんみたいなのに」
ケイタさんは立ち上がると、僕も抱き起こして、立たせた。
「兄貴が心配する前に、おら、帰るぞ! 送ってくから」
お尻を、ぱんっと叩かれた。
「ここで、いい……」
ポーチが見えるところまで来て、僕は足を止めた。
この人……とうさんに見られたくない。誰だって聞かれても、説明出来ないから。
「そうか? んじゃオレも帰るけど……」
「………?」
鼻の頭を掻きながら、僕を見下ろしている。
「今日は、……逃げないでくれて、サンキューな」
「………うん」
「答えはいつでもいいけど、また会ってくれよな」
「……………」
こくんと一つ、頷いた。
恐い顔だけど、優しく笑うから。なんか、不思議な人だな…って、思ったんだ。
もうすっかり暗くなって、街灯の明かりだけが、僕たちを照らしてる。
そこに立っているケイタさんは、知らなければかなり怖いお兄さんに見えた。
「オレさ、お前のその目が……好きみたい」
「目?」
思わず聞き返していた。
あの時、目が気に入らねぇって、殴られたのに。
「ああ。犯られてる時、怯えて媚びるんじゃなく……どっか上の空……ての?」
「………」
放っておいて欲しいって……ずっと思ってた。
「女の子みたいな顔して、意外と神経太いんかなって、思ったワケ」
……それって、強いってこと…?
そんなことない…僕はすごい…弱虫───
「こうして喋ってみりゃ、真っ直ぐオレを見てくるしな……」
「…………」
頭をそっと撫でられて、僕の体はまた跳ね上がった。
「おっ、ごめん……、触られんの怖いか」
慌てて手を引っ込めて、またニカッと笑った。
「オレ、芯の強いヤツが好きなんだ。お前、素質あるぜ」
「……そしつ?」
そしつって、なに……?
「ああ、オレが保証する!」
親指で自分の胸を指して、またニッカリ笑う。
………答えに、なってないのに。僕はおかしくて、笑っちゃった。
「おお、笑った!」
足をぴょこぴょこさせて、喜び始めた。
────なんか恥ずかしい…!
やっぱ緒方君みたい。僕のヤルことで大きく動きすぎる……。
暗くて良かったと、思った。僕は、泣き笑いしてたから。
「……あのね…」
「ん?」
「……僕が強く……なれるとしたらね」
「……ああ?」
ソシツはわかんないけど、これだけは……わかる。
「それは、克にぃのおかげなんだよ」
克にぃの言葉が、思い出が……僕を強くしてくれる。
「……そっか!」
今度は、目を輝かして、頷いてくれた。
克にぃを知ってるこの人なら、なんか分かってくれる気がした。
克にぃのこと話せて、すっごく嬉しかった。
「今度、会わせてくれよな! じゃな!」
「…………」
出来ない約束に、笑って誤魔化しながら、その背中を見送った。
その日、僕は生まれて初めて「門限破り」をしたんだ。
すっごい真っ暗になってて……どれだけ、とうさんに怒られるかと怖かった。
でも、悪いことして怒られるなら……それなら、いいと思った。
「ただいま」
覚悟を決めて玄関を開けると、家の中が何か変だった。
──────?
「恵! ……何処行っていたの!?」
かあさんが、悲鳴を上げながら駆け寄ってきて、僕を抱き締めた。
「……ごめんなさい」
とうさんはいなくて、かあさんはずっと泣いてたみたいだった。
……なんだろう……なんか変……
僕を心配してるのと、違う気がした。変に怖くなって、かあさんを見上げた。
「……とうさんは……?」
「……ちょっと…すぐに帰ってくるから。───恵はご飯を食べて、早く寝なさい」
優しいけど、突っぱねたような声。
……かあさんはいつも、僕に説明なんか、してくれない。
「………ご飯、いらない」
悪いと思ったけど、きっと食べれないから。
胸がもやもや、気持ち悪い………
「…………あれ」
やっと帰ってきた部屋で、ランドセルを机に置いたとき、何か変な気がした…。
────?
……まあいいか…
緒方君のこと、柴田先生のこと……ケイタってヒト……
それから、とうさんとかあさん……
考えることが、たくさんありすぎて────
今日一日だけで、何日分もの出来事があったみたいで……
疲れ切っていた僕は、いっそ何も考えたくなかった。
ベッドに潜り込むと、膝を抱えて丸くなった。
とうさんが帰ってきたことも、その頃起きていた事件も……
何も知らないまま、僕は気絶するように眠っていた。