chapter7. crooked piece 歪んだ小片
-最後のピース-
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「僕は、辞めませんッ!」
それだけ叫んで、部室を飛び出した。
これ以上話していると、いつか怒りが勝ってしまいそうで───
「…ふん」
鼻で笑う部長の声が、背中に届いた。
────クソッ…!
悔しい、哀しい……
心の整理が出来ないまま、車に走った。
こんな所にいられない。とにかく今は、ここから離れたかった。
ハンドルを握ると、乱暴に切りながら道路に出た。タイヤの擦れる耳障りな音が、当てつけのように響く。
───そんなことって……そんなことって…!!
憤りとやり切れなさが、交互に心の傷を剔る。
またあの感覚が、僕を襲っていた。
“言えば良かったのか?” 克晴だけを見て、言葉にして、そしたら先輩にあんなベッタリはしなかった。
そしたら、こんな誤解なんか生まれなかった……?
運命は、悲劇をもたらした……当時、そう思った。
でも、意味の深さがまるで判ってなかった。
……悲劇だ……こんなの……
太腿に、黒いシミが出来ていく。
どん底に突き落とされていく、取り返しが着かない……という、失望の粒。
どうして……
どうして……
自分にも部長にも、怒りが湧いて、止まらない。
路肩に車を止めて、ハンドルに顔を突っ伏した。
「────ウッ…」
壊れる前に……憤りを哀しみにすり替えて、泣き続けた。
立ち直れるはずがないと、思った。
マンションに着くまでは。
リビングへの扉を開けた瞬間、香りが違う…暖かさも違う。
今までは、ひっそりとした、冷たい無人の部屋だった。
「……ただいま」
こっちを見やしない。
でも、しれっとした横顔が、モニターの前に座ってる。
それだけで、部屋の中が明るかった。
僕を見ても逃げなくなった、美猫───。
……かわいいな。
着替えもせずに、抱きつこうとしてしまった。
───ダメだ。また、嫌われてしまう……。
紅茶を入れたカップを二つ持って、隣に座った。
「飲む?」
「………」
僕をチラリと見て、うん、と首だけ縦に振る。
「……はは」
かわいい!
我慢できずに、結局、抱き締めてしまった。
「嬉しいなぁ……帰ってきたら、克晴とこうやって座ってられるなんて!」
「──!! ……雅義ッ…」
Tシャツの裾から手を突っ込んだ瞬間、厳しく怒鳴られてしまった。
買ってきたジーンズとシャツは、想像以上に似合った。
パジャマもイイけど──それは、僕の所有物という証し。
私服の克晴は、反対に制服を着ていた時と同じ魅力に、溢れていた。
だって、大学生だ。
私服が制服みたいな、もんだよね。
僕は、学ランを着たままの克晴を抱いた興奮を思い出して、止まらなくなってしまった。
ジーンズの前を開けたら……溜息だ。
シャツを脱がして、Tシャツを捲り上げて……
一枚一枚……初めて裸にするみたいに、楽しんだ。
それは克晴も同じで。
いつもの延長とは違う…そんな緊張感が顔に出ていて、また僕を煽っていた。
大好き…
もう隠さないこの思いは、何度だって口をついた。
でも、洋服を買ってきたのは「ご褒美」なんて理由だけじゃ、無かった。
本当は、もっと深刻だ。
アイツがいつまた来るか。
ビクビクしている僕のセンサー内に、チェイスの手下が何度か引っ掛かった。
会社帰りに近くで気配を感じた時は、足が竦む思いだった。
───やっぱり!
グラディスから何を言わせたって、奴自身が僕を構う限り、ダメなんだ。
そして思うのは、……同じコトだけは、繰り返しちゃいけない。
パジャマのままじゃ、連れ回せない。
イザって時に、パッと飛び出せる用意をしておく必要があった。
「似合うなあ」
他に何着も買ってきては、着させてみた。
僕がそう言うたび、ジロリとだけ睨むんだ。
“どうせ脱がすんだろ”その目は、そう言っていた。その通りなんだけど……。
だって、いちいち向こうの部屋に、着替えに行くんだ。
どれだけ裸を見てると、思ってるんだか。隠されると、余計に暴きたくなった。
「そんなに、恥ずかしいかな? 僕の前で着替えるの…」
「……視線が、嫌いなんだ」
捕まえて、脱がしながら訊いてみると、ムッとした声でそんなことを言う。
“恥じらいでる”って思われる事がすでに、許せないんだな。
プライドが高すぎる、困った僕の黒猫。
それでも、喋ってくれる。
洋服を与えてからの克晴は、明らかに変わった。僕を拒否しないよう、頑張ってる。
僕も……
自分の欲望だけを押し付けないように、頑張った。克晴の頑張りを、尊重した。
──ねえ、これって…お互い、歩み寄ってるみたいだよね……
グラディスが僕に乱暴しなくなってから、僕も少し変わった。
物扱いから、ヒト扱い、恋人扱い……それが気まぐれだって判っていても…。
大事にされてるって、気が付いてからは……。
奴も、……こんな気持ちを、感じてたのかな。
「目玉焼きが、硬い」
そんなこと言い出すから、何事かと、注いでいたホットミルクを零しそうになった。
「俺とメグは、半熟の方が好きだった」
……………。
毎回思うけど…何度でも思うけど……
克晴が喋ると、感動する。
飛び上がって喜んでしまう。
だけど、今回は格別だった。
───このとき熱くなった、胸の鼓動は……きっと忘れない。
だって、自分の事を話したのは、たぶん初めてだったから。
自然に出てきた“会話”だったんだ。
僕はまた嬉しすぎて、ちゃんと受け答えが出来なかった。
その後、物思いに沈んだ横顔を、寂しくは思ったけど…。“行ってらっしゃい”も、言ってくれなかったけど。
心底、思う。
克晴が、好き。
愛しすぎて……魂が震えるほどだ。
真っ直ぐな眼。語らないからこそ、その口が開く時は、真実だけ。
あの頑なまでの純粋さに、惹き付けられる。
「…………ッ」
僕もその後、いつものようにマンションのドアを閉めて、いつものように鍵を掛けて……行きたくない、行かなきゃ…いつもの葛藤。でも、そのドアに背中で寄り掛かった。
息ができない。さっきの感動を反芻する。克晴の声……自分の身体を、両手で抱き締める。
克晴が会話してくれた……!
克晴だ……克晴が、好きなんだよ……僕は……!
誤解…陰謀…危険───嬉しいのと、哀しいのと、怒り、そして恐怖……ゴチャゴチャが、僕の中で暴れる。
見失っちゃいけないのは、克晴だけ。
そのためだけに、動けって。自分に言い聞かせた。
後悔も、もうヤメだ。
何度も見過ごしてきた、分岐点。
……それはいつの時点だって、「克晴との別れ」
……そして、答えは「NO」
僕がそうである限り、僕の路は一本しか無かったんだから。
「そうだよ…6年間も引き剥がされたのに。…今、一緒にいるんだ」
声に出して言ってみる。それが僕の運命の、答えだと思った。
それだけを胸に、会社に向かった。