chapter14. Only you -ただ、君だけ-
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いきなり現れたグラディスの、唐突な言葉に。
ちょっと顔を上げただけだった僕は、肘を突いて半身を起こした。
「………え?」
「明日、お前を連れて船を下りる」
冷たい眼は、それだけ言って、見下ろしてくる。
もうこの部屋には、来ないんじゃないか── そんなことすら、思っていたのに。
───明日…? ……お前をって……
突然すぎて、戸惑って……
───克晴は…?
見上げた僕に、冷淡な顔は、表情を動かさない。
……克晴も、一緒じゃないと……
「かつ……も…」
カラカラに口が乾いている。舌がもつれた。
巻き込んでしまったのは、僕なのに。
自分だけこの船から、連れ出されるなんて───
「克晴も……助けて…」
今、どうなっているのか……さっきの騒ぎが、気になって。
……なんで、チェイスに…?
胸を切り裂かれる思いで、目の前のグラディスに縋った。
「……克晴を一人、置いては行けない」
「わたしには、関係ない」
冷酷な声が響いた。放つ視線も、ひたすらに冷たい。
「─── そんな…」
「あれは、メイジャーの物だ」
「─────」
僕は真っ青になって、首を振っていた。
「だめだ……メイジャーなんかのじゃ…ない」
その呟きに、銀の細い眉がぴくりと動いた。口の端を、うっすらと引き上げる。
プラチナブロンドが、切れ長の眼の端で、揺れて煌めいた。
「………醜いな」
「────!」
こんな顔した男に、そんなこと言われて……惨めにも、僕は赤面した。
涙の跡を頬に幾筋も引きずったままの僕を、片膝をついたまま少し体を離して、観察するように見下ろしてくる。
克晴を守りきることも出来ずに、奪われて。殴られ続けて、ボロボロになって……。
やっと死の淵から這い上がってきただけの、血と汗で汚れた、無力な僕……
取り戻せる手だてなど無いのに、返せと、泣き続けている───
「あのペットのことで、まだそんなにも醜態を…晒せるものか」
また同じように、口の端を歪めて嗤う。
「── ペ……ペット!」
今度は怒りで顔が熱くなった。……変わっていない!
「あんたと同じ感覚で、人を見るなッ」
「………」
「僕は克晴を、飼っていた訳じゃない!」
震える腕で身体を支えて、鼻先の顔を睨み付けた。
躾やご褒美なんて言葉で、“調教”はしたけど……コイツとは違う。グラディスは根本的に、人に対する感覚が間違ってる。
「だいたい僕なんて、もう要らないだろ? プレート外して、解放したくせに! それなのに、わざわざこんな所まで来るなんて……何で…ッ」
憤りと、絶望……渦巻く感情と興奮で、喉が詰まった。
それ以上、何も言えなくて。
「……………」
2年前と変わらない憎らしい顔を、睨み付けた。
白のスリーピースと革靴──全身を純白に纏い、銀の長い髪は肩に胸に背中にと流れて、澄んだ流水のようにきらきらと煌めいて揺れる。嫌味なほど自分を判っている格好で、出会う人間を魅了していく。
オモチャなんか、沢山あるくせに……なんで……いつまでも、僕なんかに執着するんだ。
「お前を見ていると、面白い」
「お……面白い……?」
冷徹な表情は崩さず、思いもつかないことを言い出して…僕はオウム返しに、訊き返していた。
「面白いと気付いてから、……手に入れておきたくなった」
銀の瞳が、妖しげな輝きを零した。
「─────」
「あの時わたしは、チェイスの狂乱が面倒になっていた。そして、マサヨシの本社移動の件も耳に挟み、潮時かと……もう要らないかと、一度は手放してみたのだが……」
白い手が伸びてきて、僕の仰け反らせている顎を、下から撫で上げた。
細い親指が、頬を擦る。
「飽きてなど、いなかったようだ……お前がいないと、世界がつまらない」
「──────」
……つまらないって……
あんな大きな組織と会社を、操っていて……。目を瞠った僕に、更に顔を寄せてくる。
「しかもお前は、数年と経たないうちに、その名をわたしの前に晒した」
「…………」
「見てみれば、会社まで興していた。それもわたしが教えたセオリーに乗っ取っていて、見事な手際だと感心したよ。マサに手を貸したいと、純粋に思ったから連絡をした」
経営理念も、流通の法則も鉄則も……グラディスに従って側にいたからこそ、覚えられたことだった。それだけは実りになったと、思っていたけれど……こんな形で返ってくるなんて……。
「…んっ」
顎を引かれて不意のキスに、慌てた。
唇が触れて離れたとき、濡れたような碧銀の瞳が僕を覗き込んだ。
「マサヨシは…やはりわたしを、見ないのか。もう一度その顔を、見たかった」
うっすらと双眸を細める。微かなそれは、微笑んだのか……
「…………」
「ここに来て、独りよがりに七転八倒しているお前を観察していて、退屈しなかった」
「……え」
克晴を想っては泣き、生きるためには、腐った飯でも食べていた。カルヴィンや他の男が、僕を素っ裸にして体を洗うのを、何度も堪えた。
あれを、どこからか見ていたのか……。
……自分で思い返したって、屈辱と羞恥に満ちたここの日々…。どれだけ生き汚く、布団の上でのたうっていただろう。その殆どが動けないまま、悔しさに泣いてばかりだった。
「その醜悪さが面白い……やはりもう一度手元に置いておきたいと、再確認をした」
クックッ…と静かに喉の奥を鳴らして、銀の睫毛に覆われた目を軽く瞬かせた。
「……………」
───何と、言っていいか……。
一番見られたくなかった行為を、いきなり暴かれた気分だ。
そんな姿を面白いと笑われて…、どうしていいか判らない。
悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて───いろんな自分への負の感情が、僕を打ちのめす。
でも、精一杯だったんだ。怪我を治すのも、生き続けるのも……克晴を想い続けるのも……しょうがないじゃないか。
「…………」
勝手に、目尻が潤んできた。
でも、それ以上に───本当に、変わらない…この男。自分のルールで、周りを動かしてしまう。
“興味”…ただそれだけで、僕の人生を狂わした。
僕の顎を掬っている白い手…細くて華奢なように見える指が、想像以上に強い力を持っていることとか……その手は、繋がれた鎖より冷たくて痛いこととか……肌に触れる感触や、伝わってくる体温にさえ、当時の恐怖を思い出すようで……。
────声が出ない。
ごくり…と空唾を、飲み込んで。
面白そうに笑っている自分勝手な男を、その碧みがかった銀の瞳を、滲んだ視界で睨み返した。
「……その眼が、いいのだな」
……え?
ふいに小さく口の中で、呟いた言葉……僕が首を傾げた時には、もう冷たい眼光に戻っていた。
「…………?」
訝しげに見上げる僕の頬を、するりと撫でると、手を離した。
「克晴を見たが」
「………!」
「あれはマサヨシには、手慣らせない…」
「……そんなことッ…」
「あの誇りの高さは、持って生まれた気質だ。……お前の手には、負えまい」
僕の意地に声を被せて、決定打のように静かに言う。
「──────」
その克晴を手に入れたいと…この男の興味が移ってしまったかと、心配だった。
一目見たら、そう思わずにいられないんじゃないか。克晴だけさらって行ってしまうのでは─── そう思うと、気が気じゃなかったんだ。
グラディスなら…やりかねないと……。
「いくら泣いていても、無駄だ。あれは諦めて、わたしを見ろ」
「……………」
───また…このセリフ……僕を捕まえた時と、同じだ。
でも……? 変な違和感が、込み上げてくる。
“悪戯心に火を点けられた”と、無理やり服従させられた。それが始まりだったけど…。
「──────」
無感情に冷たい眼が、じっと僕を見下ろしてくる。長い髪で影になったその顔を、僕も見つめ返した。
行動原理に“情”を必要としない、利害を重んじる男。
なのに……僕の中に、少ずつ生まれていた疑問が……
興味だけで、この男が…ここまで動くのか…?
さっきの言葉…やっていることも……それはまるで、一定の方向を、指し示しているようで。
まるで…克晴を欲しがっている、僕みたいだ────って思った。
「…………」
………そんなはず、あるか!
自分で考えていながら、過去の記憶が、すぐさま激しい否定をした。
気紛れに、言い寄ってくる人間をオモチャのように弄んで壊しては、次のをまた壊して……。その間…僕が一番長い期間、拘束されていたのは、単に僕が…克晴だけを見ていたからだ。
“躾”なんてもんじゃない…言うことを聞くようになるまでの、惨忍さと言ったら──
……そんなヤツが…。
奥歯を噛み締めて、奇妙な思いを振り払った。
それに、そうだよ……あの6年間も…今も……僕は克晴が好きなんだ。
「……諦めろなんて……そんな命令…」
精一杯睨み付けて、そこで僕はハッとした。───鍵!
プレートのコントローラー …唯一の、克晴との繋がり───あれを、回収しないと……
「………………」
思わず振り仰いだ天井は、あまりにも遠い。
青灰色の蛍光灯が等間隔に、並んでいる。目を惑わすような灯りの羅列は、余計に距離を作って、その隙間に鍵を隠してしまうように見えた。
───どうしよう……
がむしゃらに投げ上げて隠したから、明確な場所も判らない。
そのうち、必ずチェイスが取りに来てしまう。
「……そんな……」
急に、現実の恐怖に晒された。
あの鍵をあそこにそのままなんて、それだけは駄目だ……!
「グラディス……鍵を、取って……」
こればっかりは、もう駄目だと……
咄嗟に判断した僕は、横にいるこの男に頼るしかなかった。
「天井に、鍵があるんだ…克晴のプレートの……」
僕の急変した態度に、グラディスは微かに眉を上げただけだった。
横で片膝をついたまま。何も言わずに、あの観察するような冷たい目で、見下ろして来る。
「……お願いだ!」
片手で起こした体を支えながら、反対の手で白いスーツの腕にしがみついた。
「あれを他の誰にも、渡す訳には、いかないんだよ!」