chapter14. Only you -ただ、君だけ-
1.2.3.4.5.6.7.
4
日が暮れだしたのか───
夜の闇に飲みこむように、凍てついた空気が船を蝕み始める。
その冴えが伝わってくる頃、真っ白いロングコートに身を包んだ男が、音もなく倉庫に入ってきた。後ろには、あの双子を従えている。
「グラディス! 何があったんだよ?」
長身を曲げて横に屈むのを待つのも、もどかしくて。気が気じゃない僕は起きあがって、しがみつくように訊いていた。
「克晴は……!?」
「─────」
じっと僕を見下ろす眼は、相変わらず透き通っていて……。
射抜く力は鋭いくせに、何を考えているのか、感情をまったく出さない。
「克晴を助けるって、……言ったじゃないか!」
チェイスに何をされているのかと想像すると、眠ることも出来なかった。必死の形相の僕に、グラディスはやっと薄い唇を動かした。
「守るとは、約束していない」
「…そんな……」
「状況が変わった。そんなに助けたければ、自分でやれ、マサヨシ」
────え…?
「もともと、わたしには関係のないこと…」
呆然としている僕の肩に、ボアフードの付いたハーフコートを羽織らせると、さらさらと銀の髪を肩に零しながら、立ち上がった。
「お前が連れてこい。わたしは船で待っている」
流し目でそう言い置いて、コートの裾を翻しながら、また音もなく部屋から出て行った。
────お前が……って
「ちょ……グラ───!」
取り付く島もない。呼び止めるのも許さない、そんな迫力さえ帯びて。
「………克晴……どこにいるんだよ!?」
白い背中が消えたドアに向かって、叫んだ。
やっと姿を見せたかと、思ったら───なんだよそれ……!
「静かに」
「コートを着てください」
一緒に出て行くと思っていた双子が、僕に近付いて来た。
「君たち…居場所を知ってるんだろ、克晴の……教えてくれよ……!」
縋る思いで、彼らを見上げた。
大きくて真っ黒な双眸がふたつ、その片方が僕の目線まで下りてきた。
「場所は知っています。ここを出たら、お教えしますが…」
「…………」
綺麗な日本語で、意外に低い声が、囁くように語り出した。
「我々が目撃されるわけには、いきません。……後は貴方の力で、救い出してください」
後ろで立っている青年も、寡黙に頷く。
黒い肌に、黒のシャツとズボン。後ろで束ねている髪留めさえ、黒い。
影の従者────その役名通り…闇に紛れるには、恰好の二人だった。
「………でも…」
僕は咄嗟に、二人を交互に見た。
───手伝っては……くれないのか……?
怪我の回復が、まだまだなんだ……どれくらい動けるか、わからないのに。
「これを、お使いください」
僕の不安を汲んだかのように、後ろの青年が、腰に下げた袋から何かを取り出した。
「……それは…」
口の先に布を巻き付けた、ジュースの瓶のような物を二本。
そして、ライター。
「使い方は、貴方次第……奴らを掻き回すことぐらいは、できます」
「───────」
受け取りながら、息を呑んで、瓶の中の液体を見つめた。
掻き回すって……こんな物───船内で…使って、いいのか?
淡々とした声は、事の重大さなどはまるで問題にしていないように、聞こえる。
とんでもない道具に、僕は頷くのも間に合わなかった。
「決して無理は、しないでくださいね」
片膝を付いている青年が、僕を覗き込むように言う。
「……無理もなにも…」
全部自分でやれって、言ってるくせに……
こんな物持たせて、あのチェイス一味に、僕一人で立ち向かえって……?
僕のねめつける視線に、見つめ返してくる黒目がクスリと、笑ったように見えた。
「……カスター、始まった」
ふいにドアの方へ顔を向けて、立っている方が鋭い声を出した。
「では…我々も始めますよ」
それに反応した青年が、僕を立たせた。
カスター…?
何となく記憶に過ぎるものを感じて、僕は頭一つ大きい二人を見上げた。
「……あれ、君たちの名前だったのか」
カストールとポルックスだ。
「……記号です」
チラリと僕を見て、黒い眼が光った。
「…………はぁ……」
初めて出た薄暗い通路は、ずっと閉じこめられていた倉庫より、もっとヒヤリとした空気で、張りつめていた。
白い息で指先を温めながら、指し示された前方を見つめた。壁の角に寄りかかって、そっと顔を出して。
真っ直ぐに伸びたそれは、鉄板で四方を固めていて、窓が一つも無い。天井には、距離を置いて照明が点灯し、奥の方は暗がりで見えない。
この通路の先に、克晴はいるのか。
………そう思うと、心が逸る。早く助け出したい。
「……行く…」
壁に肘を突きながら、足に力を入れて一歩一歩、広い廊下へ踏み出した。
左壁には階段室への入り口があった。右壁には、等間隔にドアが並んでいる。そのドアをいくつか越えた頃、右に細い通路のあるT字路に差し掛かった。
誘導していたカスターが、足を止めた。
「この先です。あとは貴方だけで、行ってください」
「……どの、部屋…?」
僕の戸惑いに、振り向いている斜めの顔が、意味深に微笑んだ。
「近付けばわかりますよ。……興を楽しんでいる騒ぎが、外まで漏れています」
「─────!」
「捕まらないように。危険を感じたら、逃げてください」
横で僕を支えながら、もう一人が囁く。
「……逃げろって…」
「では」
「………あ…!」
本当に、あっという間に、二人は姿を消した。
凍えるような寒い通路に、一人ぽつんと取り残されて、僕は唖然とした。
───なんで……
お膳立てだけされて、いきなり放り出された……そんな心細さと憤りが、湧き上がる。
───逃げろったって……どこをどう行きゃ、いいんだよ……
「………くそ…」
床に視線を落として、手の中の瓶を握りしめた。液体特有の臭いが、鼻を突く。
こんな物が、どれだけ役に立つのか……でも……
───頼れないなら、自分でやるさ……!
グラディスへの不満を胸に押し込めて、先を急いだ。なによりさっきの台詞が気になる。“興を楽しんで”って……それって───
「……!」
そこから三つ目のドアに近付くと、微かにチェイスの声が聞こえた。
『もうすぐだぜ…カツハル……すぐに、オレしかその眼に映らなくしてやる…』
『んんッ…!』
───ここだ!
全身が総毛立った。───克晴の呻きも……!
……ダメだ………ダメだッ……待て、チェイス……!
心で叫びながら、ノブに取り付いていた。恐怖も不安も、今は後だ。
そっと開けたドアの内側は、異様な興奮状態で、咽せ返るような熱気が立ちこめていた。
手前に金髪の男達の背中が、山のように立ち塞がっている。いかにもチェイスの手下…チェーンを首に下げたり、手に棒やナイフを持っている者もいる。
奥にも、かなりいるのか?
何かを見守るように固唾を呑んでいて、見上げた背中はぴくりとも動かない。その人影の狭間に、チェイスと取り巻き達の姿が見えた。
「んッ…んんッ───!!」
克晴の呻き……ただならぬ緊張感───僕の心臓まで、絞られた。
なに……?
…だ…ダメだ───ダメだ……ダメだ……!
聞いたこともない克晴のそんな声に、ゾッとした。早く助けなきゃ… やっぱり、これしかないんだ……!
そう悟って、両手にあった瓶を、片手の指の間に持ち直した。
……くそ……ガクガクと震えてうまくいかない。やっと反対の手で、ライターも握った。
気付かれる前に、早く……恐怖と焦りで、手元が狂う。
いつ目の前の男が振り向いて、襲いかかって来るかわからない。そしたら、全てが終わりなんだ………! 瓶を握る手が、汗で滑りそうだ。
───早く───早く───!
瓶の口に押し詰めてその上から更にグルグルに巻き付けてある布に、自分の指も炙りながら火を点けた。
……カチャ
緊張のあまり、手が震えすぎた。2本のガラス瓶が擦れて、音を鳴らした。
「………………!」
手前の男達が振り向いた。
一斉に注目を浴びた。
僕も、男達も…唖然としたように、動けないでいた。
でも、僕が驚いたのは───見つかったからじゃ、なかった。
対峙した向こう……人影の間から現れた、光景は────
広い部屋の中央に、一つだけのベッド。
その上で、十字架に磔にするような格好で押さえられた、猿ぐつわの克晴。
半裸で跨るチェイス。
取り囲む、大柄の男達………
そして、捲られた二の腕に食い込む、ゴム……構えた注射器。
そのおぞましさ────非現実すぎて、世界が止まった。
「マサヨシ……!?」
こっちを見て驚いてるチェイスの声が、室内に響いた。
「……うッ……うわああああぁぁッ!!」
絶叫を上げて、僕は火の点いた火炎瓶を二本、部屋の奥めがけて投げつけた。
血が滾るような、怒り──頭が、体中が、破裂するほど熱い。
余りにも心臓が震えて、それは号泣にも似ていた。
後は何もかも、ただ真っ白になった。
ガラス瓶は粉々に割れて、中から飛び散った重油が、一瞬にして床に炎を広げた。
僕の叫び声。
瓶の砕ける音。
炎の上がる瞬間の、空気が膨れるような風圧と破裂音。
「Oh……!」
どよめいて、ゴロツキ達が輪を崩した。
突然の騒ぎと惨状に、部屋の温度が急激に上がった。
──あっ…!
驚いた一人が、持っていた鉄パイプを床に落としている。
「ウアアアアッ!」
僕はそれに、夢中で飛びついた。
「どけッ……退けぇッ…!!」
取り返そうと手を伸ばしてきた男の腕めがけて、両手で掴んだそれを、思いっきり振り回した。
「ゥギャッ!」
気持ち悪い叫び声と同時に、僕の肩にも激痛が走った。──でも、絶対に離してなるもんか!
「ウオオオオ…!」
汗で滑るパイプを握りなおして、なぎ倒したソイツを踏みつけた。手に入れた武器を振り回しながら、奇声を上げ続けた。
威嚇しろ…威嚇しろ───攻撃させるな……!
叫んでいないと、泣き出しそうで。手を止めたら、反撃が来る───その恐怖が僕を、支配していた。
「離れろっ……離れろよぉッ!」
がむしゃらにパイプをぶん回して、輪を突破すると、ベッドに突っ込んで行った。
「なんだコイツ…ッ!」
チェイスも血相を変えて、向こう側に飛び降りた。
その奥壁からの炎に煽られて、手下達が右往左往するのが、余計に混乱を招いている。
「オイ、早く消せよ! …チクショウ!」
それを尻目に、僕はベッドに取り付いて腕を伸ばした。
「……克晴!」
身体を引き寄せて、抱き締めた。
「………ッ」
硬直して、肩も背中も小刻みに震えている。
「克晴───克晴────!!」
叫んで、呼び続けた。
「どうしたの……何された!?」
腕のゴムと戒めの縄を全部外しても、真っ青のまま、ガクガクと震えている。
小さな僕の克晴……
腕の中の感触は、懐かしい僕の─────
抱きしめた温もりと体臭が、自分の体に染みついた感覚を目覚めさせる。
髪、肩、腕、吐く息まで……僕が愛した…僕が助けた……小さな克晴だ。
喜びと怒りと、哀しみと……途方もない感情の波に、襲われた。あまりに激しくて、目眩を起こす。
「克晴…克晴……かつはるぅ……!」
もっと抱き寄せて、抱き締めて、むせび泣いた。
───もう本当に会えないかもしれない、何度もそう覚悟してたから……
「オイ、銃はまだかよ!?」
チェイスが、苛立った声を上げた。
「こんなやつ、ひと撃ちにしてやるのに!」
そこに外から戻ってきたらしい手下が、血相を変えて入り口から、大声で叫んだ。
「ボス……ヤクが…積み荷が、なくなってます!!」
「──ハァッ!? 何、寝ぼけたこと……」
その時────
ドドォォォーーンッ……!!
その報告が合図のように、船底の方から、もの凄い爆音が起こった。
地響きのような揺れが、床を振るわす。
───なに……!?
「ウワッ!?」
さらに、何発かの凄まじい爆音が、立て続いた。
「──────」
───何だ…何が起きたんだ……?
揺さぶりも、半端じゃない。
不穏な轟音と地鳴りの中、足下から掬われるような浮遊感で、転びそうになった。
───そんな……
僕は克晴にしがみつきながら、まさかの感覚を味わっていた。
………この船………爆発しているのか…?