chapter14. Only you -ただ、君だけ-
1.2.3.4.5.6.7.
6
克晴……克晴……
─── そう言い続けて。
“克晴のために”……そう思い続けながら、僕はどこかで怖がっていた。
自分のために悲しんで、報われるために、幸せになりたかった。
こんなことにまでなって、全てを捨てたつもりでも……まだ痛みを、恐れていたんだ。
無様に通路を走り回りながら、その恐怖を消せなかった。
でも、もう────
「……うぁああああああッ!!」
叫びながらその背中に飛びついて、克晴を掴んだ。
「んだ、テメ…!」
振り向いた男に、腕を払われた。
「アッ……」
それでもしがみついて、克晴を離さなかった。
「下ろせ…下ろせよッ!」
「……邪魔すんじゃねぇ!」
「…うるさいッ───克晴……かつはるッ!」
渾身の力を振り絞って、僕は克晴のセーターと腕を引っ張った。
「なんだ、コイツ…」
ボゴッという鈍い音と同時に、こめかみに激痛が走った。
「…ウァッ!」
─── くそっ…!
目眩を起こしながらも、男の肩に噛みついた。
「……イテッ…離せコイツ…!」
僕たちはもつれ合って、ベッドの足下に倒れ込んだ。
どさりと正体のない身体が、床に放り出された。
「………ん…」
微かに、意識の戻る声───
「……克晴!」
それを確認する暇もなく、金髪男が立ち上がってしまった。
「バカか、コイツ……退け!」
「……グッ」
剔られるような激痛───靴先で腹を蹴られて、床に丸まった。吐き気と痛みで、ガクガクと痙攣した。
「……ウゲ…」
その僕を、男が跨ごうとした。
「……ダメ…ッ」
僕は必死で、その足にしがみついた。後ろには克晴が転がってる……行かせるもんか!
「何だコイツ…」
鬱陶しそうに足を揺すって、また蹴り上げてくる。
こんなに掴んでいるのに……指に力が、入らない。爪が、剥がれちゃってて……
「ダメ…だめ……」
鉄の味が喉まで絡むくせに、舌はカラカラで……言葉も出ない。呻くのが、精一杯だった。
やぶれかぶれに縋り付いて、男の脛から太股まで、よじ登った。
あんなに寒かった体中が、熱い。全身に脂汗が、流れ落ちていく。
……克晴、克晴、起きて!
心で叫びながら、打ち下ろされてくる拳を、顔面に受けた。
「離せ……離れろッ…なんだ、気持ち悪ィな…!」
「ヒ……ヒィ……」
喉からは、笛のような呼吸。ゼェゼェと胸が鳴る。
もう、言葉も無理だった。喉に液体が溜まっちゃって、時々ゴボッと吐いた。
それでも……離せない…行かせない。
───克晴……克晴……!
想いは、そこにしかなかった。
……僕だけが、克晴を守れるんだ……今こそ…僕が守らなきゃ、いけないんだ。
「ヒィ……ゼ……」
痛みも感覚も、鈍くなってきて
……手に力、入ってるのかな。僕は、止められているのかな。
……克晴────君を……
この二日間、僕はずっと嘆いていた。
克晴と幸せになりたいと、願った。でも……幸せには、できない。
……巻き込んでしまったまま、助けることも出来ない。それを嫌と言うほど、思い知らされて。
克晴と何度も心をぶつけ合う中で、僕は判っていたのに……
……認めたくなかった。
狂ってしまった歯車を───今も回し続けるのは、自分なんだって。歪んだパズルは、僕自身だったんだ。
ねじ曲げてしまった、克晴の世界。僕の世界。
合わない「僕」という枠に、無理やり「克晴」というピースを持ってきて。
……それが嵌ると、信じていたなんて……
愚かだな───壊れてしまうのは、当然だったのに───
「ゥグ……ヒック……」
……汗と血で赤かった世界が、流れ落ちながら、滲んでいく。
しがみついている男のズボンに、黒い染みを作っていく。
どれだけ泣いたって、涸れやしない…後悔という名の湧泉。
でも、こんなものを、いつまでも垂れ流していたって……何にもならないんだ。
とりもどせないなら、今をなんとかしなきゃ……
───僕はそう、何度も何度も、繰り返し誓ったんだろ?
「……………ッ!」
歯を食いしばって、落ちそうになった意識を、保った。
「……はる………はる……ッ」
千切れてしまいそうな腕なのに、想えば想うほど…力が漲るようだ。
足はもう動かなくて、ただぶら下がっていた。
……ゼェ……ゼェ……
まだ男が、僕を殴ってくる。痛みはとうに無いのに、耳鳴りが凄い。
「いい加減に離せ、この野郎ッ! ……ウワチッ!?」
喚いていたその声が、変に驚いた色に変わった。
炎が周りを、埋め尽くしているようで……赤々とした眩しい光が、部屋いっぱいに広がっていた。
「……かつ」
心配で、思わず後ろを振り向いた。…燃えてしまう。
「…あ!」
僕の手が緩んだ隙に、男が体を引き剥がした。何かを大声で叫びながら、炎の外に走り去って行った。
「─────!」
いきなり支えが無くなって、僕の身体はべたんと床に這いつくばった。
………やった───逃げて…行った?
───僕は、克晴を……守れたのかな……
なにしろ、よく見えなくて。
砂嵐も酷くて、耳の中までおかしい。
「……かつ」
勝利感と不安感を抱きながら、ぼやけた視界で、克晴がいる方向へ這いずった。
「………オッサン…」
克晴の声。
壊れた耳にも、じわりと響いた。
オッサンて……まだ言うの。あんなに、お仕置きしたのに……
「……克晴……気が付いたんだ…」
………よかった。
にじり寄って、半身を起こしているそのシルエットを、片目に映した。
広い部屋の壁際から、炎は円を描いて広がっている。
その床の真ん中で。
僕らは、お互いに足を外に投げ出した、時計の短針と長針みたいだった。
「………」
涙が洗い流したはずなのに……見返してくる煤けた頬や伸びた髪が、赤く染まっている。
しっかりと顔を見たくて、僕は何度も瞬きをした。
強ばったように、寄せた眉。
形のいい唇はへの字に結んで、しかめっ面になっている。
そして燃えさかる炎と僕を映す、真っ黒な瞳……。火傷だらけの手を伸ばして、その頬に触れた。
「……克晴」
心臓が震える。僕の克晴…僕の総てだった……
──大好き──
今も……どうしょうもないね、この気持ちは……
「手、出して」
僕の声に正気を取り戻したように、ハッとした顔になって。
突然克晴は、周囲を見渡して、何か探し始めた。
「───シレン……シレンは、どこだ…?」
「…え?」
「さっき気付いたら、姿がなくて───オッサン、知らないか!?」
血相を変えて、座り込んだまま僕に掴みかかってきた。
急にそんなことを聞かれて、僕も戸惑った。
───シレン? あの赤毛の……
「……知らない」
首を横に振る僕を見て、克晴は息を呑んだ。
「……クソッ!」
歯軋りをして、床を叩いている。
「…………」
何があったか知らないけど…
「克晴…手、出して」
僕にはそれどころじゃなくて、もう一度乾いた舌で、繰り返した。
「─────」
じろりと、訝しげに睨み付けてくる。
「プレート…外すから……」
その眼に訴えるように、顔を乗り出した。
どんどん霞んでいくんだ……見えなくなっていく。手遅れにならないうちに、早く……。
やっと座り込んでいる体も、支えていられない。
「………どうして…」
驚いたような、少し掠れた声。眼を見開いて、見つめ返して来る。
───こんな顔も……いいな。
……愛しい……胸が震えてしまう。
「……君を幸せに、したいんだ」
「……は?」
少し険を帯びた、責めるような声に変わった。
目つきも鋭い。……いつもの…克晴だ。
「側に居なくても…もう一緒に居れなくていいから……克晴には、幸せになって欲しいんだ」
「──────」
「今は、ただ君の……幸せだけを、願う……」
震える声。
胸が熱くて……また目頭も熱い。
「………」
半信半疑のように、右腕を出してくる。その手を取ると、そっと、プレートを撫でた。
僕のモノ…その証。
所有者であり、拘束者であり………でも、こんなモノでしか、最後まで克晴を縛れなかった。
ポケットから鍵を取り出してプレートに向けると、そのつもりでは押したことの無かった、長押しをした。
───解放の時だ……
「……!」
克晴と僕と…同時に、深い息をついた。
二つに割れ落ちたプレートの下から、刻み付いた傷が出てきた。
深いナイフの剔り傷……肉が盛り上がって、手首に一生消えない痕になっている。
僕への、反抗の証。……そうか。拘束具の下に、こんなもの隠し持ってたんだっけ。
「……ふ…」
ぼやけて見えない目が、もっとぼやけた。熱い液体が、頬をこぼれ落ちていく。
これは…哀しみの涙だ。克晴が泣かない分も、僕が泣いた。
その手に頬ずりしながら、言った。
「ごめん……ごめんね…」
左手も外した。
何も言わずに、見つめ続ける克晴。こんな時でさえ、何も言わないんだ……。
「足、出して」
裾がボロボロになっているズボンを捲り上げて、左右の足枷も外した。
ガラン…という金属音が、業火の中に重々しく響いた。
「……これで、自由」
これで、最後。そのつもりで、動かないでいる克晴を抱き締めた。
「……ずっと言えなかった……克晴」
耳に囁く。
どれだけこうして、話しかけただろう。
車の中、ホテルで……あの、二人だけの城の中で……
でも、どうしても言えなかった───
「ごめん……ごめん───愛して…ごめん……」