chapter14. Only you -ただ、君だけ-
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7
「オッサン……」
低い声で。
俯いたまま、克晴が唸った。
「アンタは……狂ってた」
「……うん」
ふ…と、吐息で笑っちゃった。……今更そんなこと。
「……今も…克晴に、狂ってる」
「……最後まで、俺のせいかよっ」
腕の中で憎々しげに身じろぐのを、しがみついて押さえた。
「違う……言えなかった、僕のせい!」
「──────」
「弱虫で……振り向かせられなかった、僕のせい」
終わりたくないから、始められなかった……僕のせいなんだ。
「縛り付けてごめん…言えなくて─────ごめん……」
ほろほろと、僕の中の何かが剥がれ落ちていく。
僕の意地…想い…情熱……克晴に向けられていた全てが。
言葉にした途端、浄化されたように、解けてゆく。
「アンタは…俺にとって、二人目の父親だった」
「……えっ」
今度は僕が、驚く番だった。
顔を離して、克晴の目を覗き込んだ。
「……あんなことさえ、しなけりゃ……アンタは俺の…家族だった…」
「…………」
「拘束も陵辱も……何もかも……そしたら、嫌わずにすんだのにな」
───睨み付けてくる。ずっと変わらなかった、あの眼で。
僕はやっと、腑に落ちた気がした。
時々見せた、あの感情。僕を受け入れている様な気がした、あれは───
「…………そうか…」
それが聞けて、僕は……幸せだった。
僕の人生の中で…克晴に受け入れられていた部分が、やっぱり少しはあったんだ。
胸の底から、熱い泉が湧き上がる。
途方もない喜びと…哀しみと…
だって…克晴……
家族じゃ……僕は、やっぱり我慢できなかっただろう───
「…………!」
最後のキス。触れただけで、振り払われた。
そして、本当に──僕の最後。
「克晴…行って……」
「……グラディスが…船用意して……待っているから」
「………?」
不可解な目で、僕を見つめる。
「僕…もう無理だから……克晴だけは───行かなくちゃダメだ」
動けないのは、とっくに判っていた。
それでも良かったんだ。克晴さえ、助かれば。
それに、僕は……グラディスとなんて…。
「……このコート、君に着せたかった」
凄い寒いんだ…外は。これは実際、助かったから……でも…
「…ごめんね…もう───脱ぐこともできなくて…」
目を瞠って、僕を見る。
「早く…………炎が完全に回る前に……」
入り口の方を心配で、見やった。
そして視線を巡らせたとき……
…………!!
────え…?
こんなにも、痛みも何もかも、失っているというのに。
まだそこまで感じるか…という程の恐怖が、僕を突き上げた。
ベッドの後ろに、何か居る。
どんどん狭まってくる包囲網の、赤い幕の中に。
もうもうと黒煙を噴き上げる、視界を塞ぐモヤの向こうに。
黒い影がある。
……それが、じっとこっちを見ていた。
むくりと、もたげた頭……それは、ちりぢりに焼けこげた、プラチナブロンドだった。
───── チェイス!
「克晴、走って!」
抱き締めていた体を、ドアの方へ突き飛ばした。
その反動で立ち上がった僕は、勢いに任せて、巨体に躍りかかった。
ソイツの顔は焼けただれて、怒りの形相のせいで、目玉も歯茎も剥き出しにして……魔獣のような恐ろしさがあった。
「マサヨシ……許さねぇッ…ぶっ殺してやるッ!」
口の端に泡を吹きながら、太い腕を振り回してきた。でも僕の足ももつれて、手前で転倒してしまった。
「チィッ!」
「ウク……ッ」
空振りしたチェイスの腕の下で、僕はさっきみたいに、両腕だけでごっつい片脚にしがみついた。
「克晴、早く……今のうちに!」
首だけ曲げて、そっちを見ると、無言で立ち上がる克晴がいた。
「………?」
不自然にふらついている足下に、心配になった。
でも二三歩おぼつかない足取りを見せた後は、真っ直ぐに立って、こっちを見ている。
「……行って」
僕はそう言って……微笑んだ。
───よかった……これで、克晴だけは助かる。
意識ももう限界で………でも、やれることはやった。そう思った。
そしたら、本当に安心したから。
背中を見せて煙に紛れていく姿に、今度こそ…
克晴……さよなら───
チェイスを押さえきれるなんて、思ってない。
克晴が逃げるだけの、間があれば、それでよかった。
ズボンを掴んでいた指が解けて、ズルズルと床に滑り落ちて行くのを、とめられないでいた。
とどめのように、踏みつけてきた靴底に、痛みも感じない。
呻いたのかな、叫び声も出ない。
……なのに。
途切れかかる意識が、落ちきれずに強引に引き戻されて、呆然としてしまった。
走り去ると思った克晴の姿が、炎の中から戻ってきた。
「─────!」
……なに、してるの…克晴。
もう、それも言えなくて。
ずり落ちた僕の体は、完全に床に横たわっていた。
何で……せっかく助かるのに……逃げてくれない……
───もう……、本当に僕の言うことなんか、聞かないんだから……
……強情っ張りで、……意地っ張りで……
…………
朦朧とした意識は、もう考えるのも無理みたい……
ただ霞む視界で、それを眺めていた。
その耳に、思いも掛けない言葉が届いた。
「……権利なんてものが、あるなら……雅義を殺していいのは、俺だけだ」
低い、押し殺したような声。
克晴の、怒りに震えた声……“雅義”……その振動は、壊れた鼓膜を突き抜けて、僕の心まで振るわせた。
───克晴……!
夢でも…見ているのかな。
ぼんやりした視界に、魔獣ケルベロスと、美しい軍神が対峙している。
炎の赤を纏った黒髪は、神々しいまでに、輝いて見えた。
僕の素敵な黒猫……チェイスに飛びかかっていく姿は、それは、しなやかな黒豹だった。
暗くなる視界に、その姿を留めて。
“雅義”……そう呼んでくれた声を、脳裏に刻み込んで。
僕はなにもかも……ほんとうになにもかも……手放した。
………格好いいなあ……克晴……