chapter10. time and time again 穿たれる楔-調 教-
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 5
 
「なにそれ」
「………!!」
 
 あの後、何度も名前を呼べと言われては、反発して放置された。
 その度俺は、一人残された部屋で恵を呼んでいた。
 その途中で、ヤツが入ってきたのだった。放置された後引き返してきたのは、初めてだった。
 
「なに……僕のこと呼ばないで、そんな名前……」
「…………」
 
 俺は、自慰を見られたことの恥ずかしさと、オッサンの血相の悪さで、身動ぎできずにいた。
 
「お仕置きに、なんないじゃん。そんなの」
「…………」
「僕、もっと克晴が苦しんでると、思ってた。僕が中途半端に熱くした身体を、自分で慰めるなんて……そんなの、克晴には……」
「─────っ」
 俺は顔を逸らして、俯いた。
 聞きたくない、聞くに耐えない! 
 本当に耐えられなかった……壊れそうになる自尊心。
 啼かされた身体を、傷ついたまま、慰めなければならない。どうにかして、自分を保っているために……。だから恵に逃げたのに。本当はそれもイヤだった。あの子を汚すようで。
 
 オッサンが、ゆっくり近づいてくる。
「……………」
 俺は、オッサンの後ろを見た。
 出入り口のドア。外から施錠するタイプで、中からは掛けられない。
 今、ドアは鍵が開いているのだ。
 パジャマだけど、全裸じゃない。裸足だって構わない。
 両手も今は自由だ。リモコンさえ動かさなきゃ、プレートは引き合わない。前回より、ずっとマシだ……
 
 俺はずっと考えていたんだ。────逃げ出すチャンスを。
 
 
 のし掛かってきたオッサンを、力一杯、窓の方へ突き飛ばした。
「──ァッ!」
 オッサンが尻餅を付くのを、背中に音で聞きながら、ドアを目指して走った。
 
 もう、プレートが外れなくてもかまわない。
 磁気が発生してくっつかなきゃ、只のブレスレットだ! 手錠だろうが、手枷だろうが、リングが一生嵌ってたっていい。
 死んで焼かれて、骨に嵌ってたっていいさ。墓場まで、持って行ってやる!
 
 ───それよりこんな所、逃げるんだ──!!
 
 ドアを開けて、俺はそこから飛び出した。見覚えのあるダイニングキッチン。廊下へ続く正面奥の扉。
 ……やった!
 ───そう思った瞬間、
 
 
 
「あっ、───痛ッ…!!」
 
 
 
 ぶつかり合う、金属音。肩まで這う、痺れ。
 
 ───えっ!?
 
 衝撃で、立っていられなかった。
 胸の前で引っ付いた手首のせいで、バランスが取れない。
「……!」
 俺は勢い余って、後ろに背中から倒れ込んだ。
「ッ痛ぅ……」
 頭も打ってしまい、ぐらりと視界が揺れた。それでも眩んだ目で、天井…壁…必死に見渡した。
 何が…起こったんだ────
 まさかの拘束に、パニックになった。
 倒れたまま首をねじ曲げて、今飛び出してきた部屋の中に目を凝らすと、絨毯に埋もれたおっさんが、半身を起こそうとしている。
「……!?」
 その姿はどう見たって、リモコンを動かしてない。
 ───じゃあ……どうして…? 
 
「………くそ…」
 
 まだグラリとする感覚に酔いそうになりながら、束ねられた両腕を、目の前に持ち上げた。
 天井の照明で、逆光になる。
「─────」
 ブレスレットなんて、生やさしいモンじゃない……物々しい、鉄の固まり。
 ……これが外れている状態で、逃げなけりゃ…意味がないんだ。
 
 ───今度こそ……そう思ったのに……
 
 拘束された手首には、見えない鎖が幾重にも絡んでいて、それが部屋の中から続いているように。
 俺を引き倒したまま、動けなくさせていた。
 
 
 
 暫く放心していると、オッサンが部屋の出入り口に立った。
「いつまで、寝っ転がってるの」
 いつも通りの口調。
 俺はオッサンを、逆さに見上げた。
「こっち、来なよ。ベッドに戻って」
「………………」
 両手を床について、のろのろと立ち上がってから、振り返って、外の廊下に通じる扉を見つめた。
 曇りガラスが嵌ってる。向こうがあるって、見えるのに…
 
 ……あそこから、出たかった。
 
 悔しくて、胸が痛い。
 唇を引き締めて、オッサンの待つ牢獄へ向き直った。一歩、二歩……数歩で逆戻りだった。
「あっ!」
 部屋に入った瞬間、プレートが離れた。
 その反動でよろめいた肩を、オッサンに受け止められた。
 意味深に、その瞳が笑っている。
「ダブルトラップにしてあるんだ。センサーだよ」
 
 ベッドに俺を座らせると、その横に腰掛けて、左腕を掬い上げた。
「僕が克晴の目線に、気付かないはず…ないでしょ」
「…………」
「後ろのドアを見たのは、わかった。ああ、なんか企んでるって」
 プレートを回転させて、弄びながら。楽しそうに、眼を細める。
「でも、僕もこの効果を、見てみたかったし……」
 シルバーリングに指を通して、目の高さまで吊るし上げた。
「克晴にも、教えるつもりだったからね。もっとも効果的な、やり方でさ……はは」
 声を出して、笑い始めた。
 
 俺は……
 いつか逃げられると、考えていて……
 逃げれた! と、喜んで……
 
 その先が、無かった。
 真っ暗闇だ。
 
 
 唇が塞がれた。
 なま温かい異物が、口の中を這い回る。舌を探し出すと、力一杯吸われた。
「んんっ───!」
 痛い、苦しい!
 俺はオッサンの胸を叩いて、抗った。
 唇を外したオッサンは、俺の両肩を抑えて、真っ正面に見据えてきた。
「………!」
 こんな時、大人の怖さを感じる。得体の知れない、逃げられない圧迫感。
 
「ねえ、僕、かなり怒ってるんだけどさ」
 低い声で、言い出した。
「………」
 なんだ……? 
 コイツの言い出すことは、いつもろくなモンじゃない。
 掴んでくる肩が痛い。竦む気持ちを怒りに変えて、俺は睨み返した。
「……その眼は、いい。その眼は好きだから……でも、言葉は嫌だ」
「…………」
「克晴の言葉は、僕を傷付ける」
「────!」
 どっちが! ……どっちが傷つけてんだって!?
 俺は呆れ果てた。殴って歯が折れた時も、そうだ。どれだけ、図々しいんだ!!
「だからね、本当は嫌だけど……。このままにしとくのは、もっと嫌なんだ。……だから……お仕置き第三弾」
「………っ」
「これは、調教じゃなくて、お仕置きだから。……わかってね」
 
 ───なに……また、訳のわからない事を言い出して……
 
 俺の顔は、真っ白になったと思う。
 底の知れない恐怖。悪魔の顔になったオッサンが、俺にのし掛かってきた。
「…やっ!!」
 思わず声をあげる。
「ヤじゃない、僕は許さない」
 左右の手首がまた、引き寄せられた。
「───つうっ!」
 激しい金属音と、衝撃。強引な磁力に、肩から腕が軋んで痛い。合わさった手首は、さっさとベッドに繋がれてしまった。
「嫌だ!!」
 鎖の音を立てて、俺は暴れた。
 ──嫌だ! 嫌だ!
 何をされるかなんて、わかんないけど、もう辛いのは嫌だった。
 我慢とか、意地とか、すぐに砕けそうで、それが怖い。俺が自分を保っている、最後の砦を崩されそうな気がした。
「……くそ……外せよッ!」
「……克晴…」
 斜めに、のし掛かってくる。オッサンの顔が、あの時と同じだ。……この間の地獄、何を言っても聞かない。そういう時は、乱暴になる。
 
 ……また、アレを噛ませるのか!?
 
 唇を引き結んで、睨み付けた。
「今回は、ギャグはなしだよ。……あの時は、言葉は要らなかったから」
「─────」
「僕は、多くは望んでない。ただ……オッサンなんて呼ばないで……名前で呼んでほしいのに」
「……………」
「何度言っても、絶対に呼ばない。克晴のばか」
 俺の横に座って見下ろしてくる。頬を片手に包まれた。その親指が、引き結んでいる下唇を、撫でる。
「……………」
「オッサンて呼ばれるの、すっごく、すっごく嫌なのに」
 
 
 その目の色が称えているのは……
 哀しみだけでは、なかった───
 


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