chapter18. Say you -それがすべて-
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 2
 
「一緒に、料理…?」
 
 その日帰ると、とうさんがいつもより早く帰宅していた。
 胸までのエプロンをつけて、シャツを腕まくりしている。
 横では、心配そうに笑うかあさんがいた。
「めぐちゃんが帰るの、待っていたのよ」
 
 ……僕と一緒に、夕飯を作ろうって言う……
 そんなこと初めてだったから、一瞬、信じられなくて。
「やるやるやる!」
 寂しくなっていた気持ちが、いっぺんに吹き飛んだ。
 
 どうして、なんで? ワクワクとドキドキが止まらない。
 急いでコートを脱いで来てキッチンに飛び込むと、かあさんが僕にもエプロンを着けてくれた。
「お前と、話しがしたくてな。…いつもメールばかりで、最近は声も聞いていなかっただろう」
 年度の変わり目でこの時期、特に忙しくなるとうさんは、帰りが遅いことが多くなっていた。でも僕は、携帯メールで繋がっていられるから、顔が見れなくたって前より近い気がしてた。
「何を話題にしたらいいのか、色々考えたのだが……」
「…………」
 優しく目を細めて、見下ろしてくる。
 僕が入院した時、“ごめんな”って言ってくれた、あの時の顔だった。
「お前、克晴のこと知りたいって、何度も言っていただろう」 
「……うん?」
 びっくりした。
 今日で2回目……克にぃの名前を聞くの。
 見上げる僕の頭に、大きな手が伸びてきた。
「克晴が何を好きだったか、お前が産まれる前、何をしていたか…それなら父さんにも語れると、気がついたんだ」
 克にぃよりもっと、背が高いとうさん。
 頭に掌の熱を感じながら。僕も目一杯首を反らせて、見つめ返した。
 
「克にぃ、……帰ってくる?」
 つい訊いた言葉。
 
 ちょっと見開いた目が、ふと微笑んで、髪を撫でてくれた。
「ああ、帰ってくるさ」
「─────」
「だから、それまでにいっぱい話そう。恵が知っている克晴を、父さんにも教えてくれないか」
「…………うん、僕…いっぱい知ってる…」
 ───ドキドキ…心が熱くなる。 
 ふふと、かあさんが笑った。
「めぐちゃんが大きくなってからは、独り占めだったものね」 
「…うん!」 
 僕の笑顔に、かあさんも優しい微笑みをくれた。
 
 献立は、春巻きだった。……でも、中身が変!
 カツ丼に使うカツ肉を、春巻きの皮で巻いて、油で揚げて…。
 菜箸でつまみ上げた、きつね色の長方形の物体。
「名付けて、カツハル巻きだ」
 満足そうに言うとうさんに、僕はびっくりして、かあさんは苦笑いだった。
 かつはるまき…!!
 思いもよらなかった、とうさんのそんなジョーク。
 僕はもう、嬉しくて楽しくて、笑い転げた。
 その後は、味の品評会で克にぃの話しはできなかった。
 でも……
 
「父さん、お前とこうやって話す時間を作ってこなかった…済まなかったな」
「恵が頑張っているんだ。父さんも、もっと努力をする。時々、夕飯を作ろうな」
 
 お休みなさいを言った時、そう言ってくれた。
 突然の嬉しい出来事。
 ウソみたいな、幸せ時間。
 寝て起きたら夢だったんじゃないかって思うほど、今も信じられない気持ち。 
 
 ベッドに駆け込んで、わんわん泣いた。
 ───克にぃ……僕、とうさんと仲良しになれたんだよ…! 
 『自分から嫌いになったら、本当に嫌われてしまうよ』
 そう言われてから、“嫌い”って言葉は封じ込めた。
 嬉しい…嬉しい……克にぃに伝えたいよ。
 
 ……ありがとうって───  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 翌日は霧島君から、思いがけない話しがあった。
 ボランティアに参加することに、なったんだって! 
「タクマさんに、教えてもらってさ。子供達の面倒をみるんだ。天野も一緒に来ないか?」
 お弁当を食べ終わった、昼休み。
 僕の教室まで来てくれて、話し出した。
「えー、僕なんか、いいの?」
 目を瞠って聞き返すと、
「ああ、人数はいた方が助かるって。入れ替わりで色んな人、行ってるらしいぜ。俺は毎週日曜日、2時間だけだけどな」
「うあ…そしたら、行きたい!」
 また新しい体験だ! って、嬉しかった。
 いつも面倒を見てもらっている僕が、みる側に回るなんて!!
 
 それから僕も、昨日のこと、話したんだ。
 とうさんと一緒に、ご飯作ったって。
 ……“帰ってくるさ”そう答えてくれたことは、言えなかったけど。
「かつはるまき!?」
 そのネーミングに、霧島君も驚いていた。やっぱ天野のおじさんてどっかずっこけてる! って、ずっと笑っていた。
 
 
 
 
 
 緊張の、日曜日。
 前の晩、ドキドキしてよく眠れないくらいだったのに。
 僕の出番はあんまり無いことが、判った。
 なんでって霧島君は、体操のお兄さんとして、呼ばれていたんだ。
 身寄りのない小さな子達が暮らしている教会で、毎週日曜日にミサの後、神父さん達がいなくなるから。
 その間だけお留守番も兼ねて、募集したらしい。
 
 電車で二駅隣りのその教会は、大道路沿いにある茶色いL字型の四階建てビルで、一見、教会には見えなかった。
 でも駐車場の角に高い鉄塔が立っていて、その先端には十字架が掲げられている。ビルよりも上にあるそれは、遠くからでも、よく見えた。
「宜しくお願いします」
「コチラこそ」
 一緒にお手伝いする大学生のお兄さんと神父さんと、挨拶して説明を受けるのを、僕は霧島君の横にくっついて見ていた。
 まん丸い顔の神父さんは、とっても優しそう。
 頭の天辺だけぺかっと光っていて、後頭部の白髪がクルクル巻いてる。笑うたびに大きな声が、部屋中に響いた。
 下が長ーいスカートみたいになってる白いシャツが、首がまるっきり無いから、顎の下から直接生えてる感じ…。
 僕はその服が珍しくて、面白くて、じろじろ眺めちゃった。
「可愛らしいお友達、中を自由に見ていてくださいな。子供達が案内してくれますよ、フォッ!」
 大きな体を揺らして、笑ってくれた。
 
 建物の中からしか行けない中庭に出てみると、花壇や植木があって、小さな公園のようにも見えた。
 そこでちっちゃな子達が5.6人遊んでいて、僕を見たら、懐っこく走り寄ってきた。
 両側から手を引っ張って、案内してくれる。
「こっちが礼拝堂、あっちは上が家になってるの」
「外の十字架、夜にはあれ、オレンジに光るんだよ!」
 
 ───うわぁ…綺麗……
 礼拝堂は天井が高くて、シンとしていて、不思議な空気を感じた。
 ……こういうの、オゴソカっていうんだ。
 白い天井と壁。高い窓からは、柔らかい光が差し込んでいて。寒いのに、日の光の筋のとこだけ、とっても暖かそうに見えた。
 
 
「あれ……アレは、なに?」
 礼拝堂から庭に出る通路の横に、変な物があった。
 ……トイレ…じゃないよね…。
 小さな板張りの小屋の様な物。幅の細い扉が2つ、正面に並んでる。
「ざんげしつだよー!」 
「こっかいを、ここでやるの!」 
 口々に子供達が、大きな声で言う。バタバタと走っていって、そこに取り付いて、
「こっちに神父さん、そっちに、こくはくする人が入るの」 
 ぴたぴた扉を叩いて、説明してくれる。
 
 廊下も扉も、燭台やランプ…みんな綺麗な装飾で、美術館にいるみたい。
 それをちっちゃな手が、ぺたぺたと自分の物みたいに触ってる。
「…………………」 
 克にぃが僕を見るのって、こんな感じだったのかな。
 お腹の辺りでうろつく頭を、可愛いなあって思いながら、見下ろしていた。僕に弟や妹がいたら、こんな気持ちになったのかな。
 ───“克にぃしかいらない”って、ずっと思ってたのに。
 こんなふうに思う自分が、不思議で……そして嫌だった。
 
 
「霧島君、カッコ良かった!」
 体操を眺めていた僕は、教会を出ながら、興奮していた。
 体操っていうか…柔道の型みたいな構えの練習だった。大学生のお兄さん、増田さんは、道場の先生をやってるんだって。
 ちょろちょろ動き回る子を叱りながら、丁寧に教える二人に、参加しないちっちゃい子の相手をしていた僕の目は、釘付けだった。
 学校での霧島君じゃ、ないみたいで。
「これな、実は修業なんだ。…俺にとって」
「……修業?」
 駅に向かって、歩きながら。
 額に汗を光らせて、霧島君が笑う。
「人に教えると、自分の型を見直せるからって……タクマさんに教えてもらった」
「………」
「俺さ、将来格闘家になりたいんだ」
 眼をきらきら輝かせて、力強い声。
「……将来!?」
 びっくりして、聞き返しちゃった。
 
 ……将来って……
 
 そなこと、もう考えてるんだ…。
 なんかショックを受けていた。僕…何も考えてない────
「……そうなんだ」
 驚いてポカンと見上げる僕に、霧島君は足を止めた。
 もう駅は直ぐそこで。
 タクシーのロータリーと、電話ボックス。バス停とベンチ。
 人がごちゃごちゃ居る中で、じっと見下ろしてきた霧島君は、いきなり僕の腕を掴んで線路沿いの細い道に、移動した。
「…ちょ……霧島君…?」
 
 商店街の裏側でもあるそこは、薄暗くてちょっと怖かった。
「天野……話しがあるんだ…聞いてくれ」 
 フェンスに押しつけられるみたいに、立たされて、真剣な眼が見下ろしてきた。
「………」 
 声も出せない。真っ黒い眼を、ただ見上げた。
 さっきのキラキラしてた霧島君じゃない。時々見せる、苦しそうな顔……
 
 ………なに…?
 息苦しくて。
 そんな克にぃと同じ顔で、見下ろさないで。
 急になんでこんな眼をするのか、判らなくて……僕もどうしていいか判らない。
「……き…」
 
「俺、もう黙ってるの、ヤメタ」
「………?」 
 目の前の唇が震えて、きゅっと結び直された。
 
 
 
 
 
「俺……天野のこと、好きだ」
 


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