chapter18. Say you -それがすべて-
1.2.3.4.5.6.7.
 
 4
 
「サクラバ!?」
 霧島君も驚いて、僕の手から小さな紙切れを、むしり取った。
 
 “君に話したいことがある、一度だけ逢って欲しい”
 ……そのメッセージと指定日時、電話番号…“桜庭”のサイン。
 
「ざけんな、あいつッ!」
 血相を変えて眼を吊り上げると、ビリッとメモを破いて、手の中でくちゃくちゃに握り潰した。
 僕はそれを、地面に蹲ったまま、震えながら見ていた。
「………」
 体を抱き締めても、ガクガクと止まらない。
 ───何で、いまさら……
 捕まって…刑務所に入れられたって聞いて、安心してたのに。
 僕にもう近付くことは無いって、柴田先生が教えてくれたのに。
 
 なのに……なんで────
 
 
 これを受け取った瞬間から、動けなくて…中谷君達には、先に帰ってもらっていた。そして僕は校門の内側にしゃがみ込んで、霧島君が見つけてくれるまで、顔も上げられなかった。
 
 あの仕打ち……声、目線、言葉…僕を縛り付ける。
 まだ呪縛は、解けていないんだ……夜になると、アレにうなされる。
 夢にまで見るのに─── それをした先生が、夢じゃなく実際に出てくるなんて。
 
 
「……天野」
 霧島君が膝をついて、両腕を伸ばしてきた。
「気にすんな、無視しとけよ」
 ぎゅっと胸に抱き締めて、耳元でそう言ってくれる。
 校門の横には、大きな桜の木があって、僕たちを校舎から隠してくれたから。
 僕も腕を回して、胸にしがみついた。
「……こわい…よ…」
 ガラガラ声が、喉に詰まる。震えて余計に、喋れない。
 
「大丈夫だ、終わったんだよ、あれは。お前が自分で頑張っただろ?」
 真剣な声。
 あの時の必死さを思い出す。僕を助けようとしてくれた……
「……うん」
 
 動悸、目眩…いきなりのショックで呼吸困難みたいになっていたけれど、やっと落ち着くことが出来た。
「───俺、汗臭いだろ…ごめんな」
 いつまでも胸に顔を埋めている僕に、困ったような呟き。…そんなの気にして、謝るなんて。
 前にはなかった気遣いな気がして、思わず顔を上げた。
「………」
 怒りと困惑で、頬を赤く染めてるカオが、そこにあった。
 
「俺が、守ってやる。今回は先に知ることが出来た……天野…俺を頼れよ」
 
 
 
 
 ───霧島君……
 
 
 破いて握りつぶしたメモの指定日、それは翌日の夕方。
 そんな呼び出しに応じるわけもなく…それでもそのメモは捨てられないで、僕はそれを制服のポケットにしまい込んだ。
 外に出るのが怖かったけれど…霧島君の送り迎えのお陰で、登校することが出来た。
 
 そのまま三日が過ぎて、図書クラブでは、中谷君も月曜の僕の様子を心配してくれた。
 そして、その日渡されていたプリントで、思わぬ事を聞いた。
 《進路希望…進む高校に向けて、勉強の仕方を考える》 と印刷された紙。記入欄が、沢山ある。
 中谷君は、行きたい大学があるからそれの付属を受けるために、塾通いをするんだって。
 ……霧島君も、進路を決めていた。
 他の子も、はしゃいで聞きあったりはしてるけど、そんなに動揺してるようには見えない。
 図書室の大きな机を囲んで、それぞれが全然違う本を選んで、重ねていても。
 みんなが話す内容は、同じようなことだった。
「天野君は? どこ狙い?」
 中谷君も、当然のように訊いてくる。
「………まだ…決めてない…」
 
 ───僕は、この欄の何一つ、埋められない。志望校ひとつ、書けないなんて…
 克にぃが居たら、きっと同じ高校を目指した。
 すっごい頭が良くないと行けないんだ、あそこは。
 でも、克にぃと同じことをしたかった。
 だからきっと、僕…克にぃが教えてくれたなら、一生懸命頑張ったのに────
 
 
 
 時に押し流されて、僕は育って行くけれど。
 どこへ行ったらいいか、わからないよ。
 時計は周り、時は刻まれ──みんなが揃って“こっちだよ”と、流されてゆく。
 僕の身体にも、時間が流れて。
 手足が伸びて、背が高くなって、変化していく。
 
 “時間は総ての物に平等で、巻き戻しも早送りもできないんだ”
 そう、教えてくれた。それは嫌って程、わかったよ…克にぃ……
 消したい過去、巻き戻したい時間…思い通りになんか、絶対にならない。
 
 でも“時”はみんなに等しいような顔を見せながら、その足下に無数の未来を用意して。
 いつの間にかみんな、少しずつ違う方向を目指して、自分の道を、見つけているんだ。
 一緒に押し流される時間と空間の中で、───僕だけ迷子。
 
 
 眠れない青白い世界の中で、布団にくるまって。時間が止まってしまった、変わらない部屋の机やカーテンを、眺め続けた。
 キン…と冷たい空気だけが、肌に痛くて……今が冬だと教えてくれる。
 
 
 
 
 
「今回はやめとくか? 外に出たくないだろ」
 何事もないまま一週間が過ぎ、またボランティアの日曜日が巡ってきた。
 またいつ先生が現れるかも知れないと、緊張し続けていた僕は、やっと心が休まる思いでいた。
「ううん、行く」
 心配して訊いてくれる霧島君に、首を振って答えた。
 
 僕はこの一週間、ずっと怯えながらも夜の間中、考えごとをしていた。
 ……それは、桜庭先生と……霧島君のこと。
 どうしても、どうしたらいいか判らなくて…
 そしたら、ふと思い出したんだ。あの教会のこと───
 
 
「神父さん……ざんげって…誰でもできますか?」
 
 教会に着いて、増田のお兄さんと霧島君が挨拶している間に、僕は出掛けようとしている神父さんに、声を掛けていた。
 
 心を吐き出してしまいたかった。思い付いたら、このことしか考えられなくて。
 でも…僕なんかが、そんなこと…できるのかな。
 
「フォッ! 迷える子羊なのですね」
 大きいな温かい手が、頭を撫でてくれる。
 見上げる僕に、まん丸い顔に優しい笑顔を浮かべて、神父さんは丁寧に教えてくれた。
 コッカイでなく、一般の人の相談室もやっているって。本当は予約がいるらしいけど、今、日曜日は入れてないから、大丈夫ってことも。
「わたしは留守にしますが…代わりの神父さんが、聞いてくれますよ。何でも相談してみてくださいな」
 礼拝堂の入り口で、天井まで響くように笑う。
「新米神父なので、今日始めての相談役になります。上手く聞けないかもしれないけれど、大目にみてあげてくださいね。フォッ、フォッ!」
 奥の祭壇には、小柄な若い神父さんの姿があった。
 細い目が垂れていて、困ったような八の字眉。唇だけが厚ぼったくて、両端が常に微笑んでるみたいに、持ち上がってる。
 ───優しそうだけど…なんだか、線の細い人だなぁ……
 自信無さそうに、ちょっと猫背に首を垂れて、燭台にハタキをかけている。
 “神父さん”と言うには頼りなげな雰囲気に、ついそんなことを思ってしまった。
 僕が見つめていると、目が合った。
 頬を赤らめて、お辞儀をしてくれる。僕も慌てて、ぺこりと頭を下げた。
 ───儚げで、今にも倒れちゃいそうな感じ……だいじょぶかな。
 
 
 
 中庭では、霧島君が体操を教え始めた。
 僕も小さな子を纏めるのを手伝ってから、建物に戻った。
 元気な子供達の声。大通りの騒音。壁一枚隔てて、通路、礼拝堂…こっちに入ってしまうと、信じられないくらい、静かになる。
「…………」
 通路の奥の小さな小屋に、近付いてみた。そこだけ、違う空間が出来てるみたい。
 正面に、幅の狭い扉が二枚並んでいる。格子状に隙間のある窓が付いてるけど、内側のカーテンで中は見えない。
 ───もう、神父さん…いるのかな。
 あまりにも小さくて。
 扉を開けるのにも、ためらってしまう。
 
 “先に神父が入っています。あなたは後から入って、告白してください。最後に神父から言葉がもらえますよ”
 
 そう教えられていた。
 左側の細い扉を開けると、中は奥行きがちょっとある、小さなスペースだった。
「……入ります」
 小さく言いながら、中に入った。
 奥には、高い位置に小窓と床に丸イスが一つだけ。隣の部屋と通じているその窓には細かい格子状の網が嵌っていて、向こう側は見えなかった。
『……………』
 ゴソゴソと動く気配がして、神父さんが居るのが判った。
 
「─────」
 ……緊張する。
 扉の白いカーテンから、仄かな明かりだけ。
 狭くて薄暗い中で、僕もじっとしていられなくて。
 暑い気がしてコートを脱いでいたら、唐突に、小さな声が呟きだした。
 
『…ええと……父と子と…聖霊の…』
 
 ────? ……聞き取りにくい…
 
 
『……………アーメン』
 
「──────」
 
 
 
 それっきり、何も言ってくれない。……ごそりとも動かない。
「……………」
 変な静寂が続いて、自分の息遣いに気付くほどだった。
 無意識に深呼吸するたび、薄暗がりで胸に抱えたコートが、上下している。
 
 もう、いいのかな…? 不安になりながらも、小窓を見上げた。
「あの…」
 僕もガラガラ声を絞り出した。手に汗を握っていることに気が付いて、ズボンの脇で掌を拭いた。
「あの…聞いてもらえるだけで…いいんです」
 どう言い出していいか判らず、そんなふうに、僕の告白は始まった。
 
 
 
 僕は人に頼るってこと、できるようになったんだと思う。
 恥ずかしいこと、隠してないで…助けてって言うこと───大切だって知ったから。
 そうでないと、周りの人たちまで、悪い方へ巻き込んでしまう。
 
 ───これは霧島君が教えてくれた、大事なこと。
 だから僕は…霧島君と、真っ直ぐに向き合わなきゃ、いけないんだ。
 


NEXT /1部/2部/3部/4部/Novel