chapter18. Say you -それがすべて-
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 7
 
「……そうは言ったって…」
 
 先生も苦しそうに、片頬を歪めて呻いた。
「帰ってこないなら、もう……ぼくは知ってるんだよ、未だに克晴が戻らないこと」
 
「────!」
 急な、反撃の言葉。
 別の傷を剔られたように、息が止まった。……なんで、そんなこと…。
 
「天野君が言い張っていても、それだって、君…自分の愛ばかりじゃないか」
 眼を吊り上げて、脅すような怖い顔。 
 
 僕はぐっと唇を、噛み締めた。
 両手も握りしめて、気持ちが潰れそうになるの、堪えた。 
「……克にぃが要らないって、言ったって……」
 
「……もう…戻って来なくたって───」
 涙が溢れて、零れていく。口に出すと、胸が痛い。
 何で帰ってこないかなんて、判らないから……。ほんとはもう、とっくに嫌われちゃっているのかとか、不安だった。
 ……それでも…克にぃが好き。
「僕の気持ちは変わらない……もともとこの気持ち、克にぃがくれたんだから…」
 湧き出す…愛しい気持ち。
 誰にも消せない。
「僕を大事にしてくれた克にぃが、いつまでも…好き…先生になんか…わかんない」
 
「─────」 
 
 精一杯、見つめ返した。
 何を言われたって、怖くない。そう思わなきゃ。
 こんなに哀しくて、悔しかったこと、無いって思った。
 僕が克にぃを好きなこと…克にぃが僕を愛してくれたこと、先生に何か言われるの、おかしい。
 変にされちゃった身体……そのことばかり哀しんで、消えてしまいたかった。
 ……でも、違う…それじゃ、間違い…。
 喜んでなんかない…ほんとに違うんだから。
 ケガされたからって───僕が汚れたわけじゃないって、そう思わなきゃ。
 
 
「天野君……」
 掠れたような、声。
 白い頬に赤みが差して、唇を振るわせて。
 見開いた険しい眼が、飲み込むような勢いで見つめて来る。
 
 
「──── やはり君は…」
 暫く睨みあったあと、先生の視線から、鋭さが消えた。
 
 悩ましげに眉を寄せて、眼を細める。
「魔性の少年だ……君を見ていたら、もう一度この手に……そう思ってしまった」
「…………」
「君には、甘えるような…誘うような色香があった…でも今は、違う輝きを発している」
 赤い舌で唇を湿らせて、溜息のように呟く。
「その眼…唇、高揚した頬……妖しすぎるね───育った君は、また…格別に綺麗だ」
 
「─────」
 まだ言うの……僕は見返しながら、首を横に振った。
 
 先生も、ふう…と溜息をついて、額を押さえながら首を振った。
「そんな顔をしないで……もう何もしないよ」
 紅かった頬が、青ざめていく。
「────」 
 そして一瞬、唇を噛み締めてから、真っ白になった顔で、視線を彷徨わせた。
 最初に喋りだしたときのような、どこかを見つめる目。
 
「………………」
 いつの間にか、僕の前にも紅茶が置いてあった。
 とっくに冷めているようで、湯気も立っていない。
 そのテーブルの下で僕は、コートの裾を掴み続けていた。
 
 ぴくりとも動かないでいる僕を、桜庭先生は最後に、チラリとだけ見た。
 
「君のことは、諦める……二度と逢うことはないだろう…」
 自分を抱えるように、両腕を抱き込んで、眉間にすごいシワ。
 口の端をグイと引き上げて、苦々しい笑顔を浮かべた。
 
「ぼくだって、もう…あそこに戻るのは、真っ平だからね」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「大丈夫か?」
 よろけた僕を、霧島君が支えてくれた。
 “先に出なさい”…そう言われて、店を出て。駅に向かう途中の大通りで、ガードレールに手を突いていた。
 
「………霧島君」
 見上げると、帽子を斜めに被って、眼鏡を掛けて…一瞬誰だか分からない顔が、心配そうに見下ろしている。
「歩けんのか? 顔、真っ青だぞ」
「………………」
 どう言っていいか…思い付く前に、僕は笑っていたみたい 
「カッコイイ…大人みたいだよ」
 
「何言ってんだ」
 霧島君も、ホッとしたように表情を和らげて、微笑んでくれた。
 変装道具を、外しながら、
「これでも、精一杯考えたんだぜ!」
 
 喫茶店に一人で入るのなんか初めてだろ、俺も緊張した! と、白い歯を見せる。
 僕も、そう言えばそうだと、溜息をついた。
 
 そして駅の中のハンバーガー屋さんで、霧島君はお祝いだと言って、ドリンクセットを買ってくれた。
 あんなお洒落なお店じゃなくて、いつもの騒々しい雰囲気。硬いイス。
 やっと気持ちが落ち着いて、身体の力が抜けた気がした。
「天野……よく頑張ったな」
 向かい合った席から、優しい眼で顔を寄せて、言ってくれる。
 
「……うん」
 
 いつも助けてくれて、今日も霧島君がいなきゃ、無理だったかもしれない。
 目の前にあるその顔を、僕も感謝を込めて、じっと見つめた。
 
 違うと言っても、やっぱり似てる…忘れられない顔。
 眉、眼、鼻、口…輪郭───格好いいな…すっとした顎。
 手を伸ばして、触りたくなる。抱きつきたくなる。
 ……こんなに克にぃに似ていなかったら、どうだったんだろう。
 僕…違った目で、霧島君のこと、見れたのかな…。
 
 大好きで、大切な───僕の…学校での保護者…そして、友達。
 
「……ありがとうね、霧島君…また助けてもらった 
 
 
「いや…今回俺、何も出来なかったし。天野が一人で、頑張ったんだ。……もう怖くなんか、ねぇよな」
 ちょっと眉を寄せてから、もう一回、ニコリとそう言ってくれる。
「うん……もう、怖くない」
 心底それは、思う。
 ほんとうに、……先生とは、終わったんだって。
 でも、側にいてくれるってだけで、どれだけ心強かったか。
 それをもう一度言おうとしたら、
「あのさ…」
 今度は言いにくそうに、じっと僕を見た後、視線を逸らせた。
 頬を紅くして、目を吊り上げて……
 
「さっきの話しの中で、サクラバが言ってた…」
  
「…?」 
 
「お前の、その…はんのう……からだの…」 
 
 
 ─────。
 何を言っているのか、始めは判らなくて。余りに声が小さいから、肘を突いて、うんとテーブルの上に体を乗り出していた。
 
 
 ………はんのう? ……体!?
 
 真っ赤になって目を見開いた僕に、おんなじカオした霧島君が、ちょっと仰け反って距離を離した。
 そして、意を決したみたいに、ごくりと唾をのんだ。
「誰でも、そうなるって。……あんなことされりゃ」
「………」
 
 ───あんなこと…
 保健室での、僕の格好。それを思い出してるんだ……霧島君。
 ……耳まで赤くしながら、真剣な顔で見つめてくる。
「……そう…かな」
 
 でもふと過ぎる、嫌な気持ち。
 ホントに怖い反応。
 恥ずかしくて消えてしまいたいと思う、僕……それは、あの時の事より……
「………」 
 せっかく励ましてくれてるのに、悲しい顔になってしまう 
 
 僕の顔を見て、霧島君も泣きそうに口を歪めた。
「他にも」
「……え?」
「もういっこさ、今も…夜、困ってんだとしたら……」
 
 ─────!
 
「誰にでも、あるヤツだと思うぜ…、たぶん。サクラバとは、関係なくてさ…」
 目まで真っ赤にさせて、もっと真剣な顔。
 僕はまた、目を見開いて聞いていた。
  
「………なんで?」
 なんで知ってるのって…驚いていた。
 
「俺…先輩からいろいろ聞くし、少しは知ってんだ…そういうの。だからさ、お前だけ…変じゃないから。ぶっちゃけ、俺もだからッ ───恥ずかしがるなよ」
 
「…………………」
 
「克にいがいたら、克にいが天野に、教えているコトだと思う。もう知ってりゃ、それでいいけど……何かお前、泣いてる気がして」
 
 ───霧島君……
 
「それで落ち込んでるんだとしたら、間違いだぞ。…お…男なら、しょうがないんだ」
 
 困りながらも、目を吊り上げて。最後は、言いにくそうにすごい小声で…。
 でも、僕は良く判った。
 その言葉で、思い出したんだ。
 克にぃが、教えてくれた“男の生理の解消”って言葉。
 ……克にぃは…教えてくれてたんだ、僕に…ちゃんと…
 
 それが実際にどういうことか…霧島君が受け継ぐように、教えてくれたと思った。
 二人の気持ちが、熱く心に流れ込んで来るみたいだった 
「……うん」
 本当に、優しい……僕のこと、わかってくれて。
 こんな言いにくいことでも、言ってくれる。
 
「……克にぃにね…教えてもらってた。でももっと、今…知った」
 ───僕は、その度に成長できる 
 
 
「うわ、ポテトに塩が!」
 顔を突き出したまま、お礼を言っていた。
 温かい感謝の心…その雫が、ポテトの上に落ちていた。
「平気…たべる」
 涙と鼻水にまみれながら、僕はバーガーもポテトも、無理して食べた。
 それを心配そうに、霧島君が眺める。
 自分のはとっくに食べ終わっちゃってて、邪魔そうにトレーは片付けちゃっていた。
 僕は食べるのが遅くて、でもその間中頬杖をついて、黙って見ていてくれた。
 
 ガヤガヤ学生服が入れ替わって行く店内で、僕たちのテーブルだけ切り取ったみたいに、不思議な空気に包まれていた。
 
 やっとジュースをストローですすり終わったとき、
「天野、強くなったな」
 優しい声で、霧島君が言う。
「…うん」
 
「成長したな」
「……うん」
 
「天野は……本当に かつにぃが好きなんだな」
「───うん……」
 
 ………?
 見つめてくる目が、何か変。
 なんか、寂しそうに陰って。微笑んでる口元にも、力がないみたい……
 
 
「俺がいなくても、…もう大丈夫だよな」
 
 
 ─────え?
 
 
 
「俺さ、来週いっぱいで、……タイに留学するわ」
 


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