chapter18. Say you -それがすべて-
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 3
 
「………え?」
 
 
 
「天野が、好きだ……友達なんかじゃなく…!」
 
 
 今度は力強く。眉を吊り上げて、怖いくらい真剣な眼。
「──────」
 僕は驚いて、ただ目を瞠って……見上げるしか出来なかった。
 だって…そんなこと───
 霧島君が僕の気持ち、一番わかってるはずなのに……。
 
「───天野…」
 片手が伸びてきて、僕の顔の横で、フェンスを掴んだ。
 ギシ…と軋む音が、心臓の音みたいに聞こえた。
「…………」
 影になって見下ろしてくる顔が、近い───動けない…。
 その黒い眼が急に細まって、辛そうに歪んだ。
「……お前と約束したよな、……隠し事はしないって」
「…………」
「俺、いっぱい反省した。それなのに、また失敗しようとしてる……緒方のことを思い出して、そう気付いたんだ」
 ───緒方君…? なんでここでそんな名前…
 眉を寄せた僕の視線に、
「もういいだろ…いいんじゃないか? ───いつまで、克にいを待つんだよ…」
 
 
「………!」
 
 
「俺……お前が克にいの事に触れるたび、泣きそうになるの…見てられない」
 
 見上げる視界は、涙で滲んで……ジンジン、胸が痛い。
 克にぃを思い出すと、……どうしても、苦しいから……
 
「もう居なくなって、3年経つんだぜ…いつ帰って来るか…それより、戻らないかもしれないんだ」
「! ……きりし…」
「俺が、天野の側にいる。俺が笑わせてやる。……それじゃ、駄目か?」
 
 言わないで…言わないで……!
 そう叫ぼうとした声は遮られ、ぎゅっと胸に抱え込まれていた。
 顔も腕も何もかも、身動きできないくらい、きつく。
  
「ずっと、こうして抱き締めたかった。克にいの代わりじゃなく…俺として、天野…お前を……」
 
 耳元で響く、こもった声。優しくて……哀しい。
 背中を抱き締めてくる、両腕の力…すごい強い。
 肩幅も、胸の硬さも、僕が抱きついていた頃の霧島君とは違う。
 ………苦しい……
 
「お前のそのカオ、やめさせたい。……俺と、前を見て歩いて欲しいんだ」
 グッと力を込めた手で、頭まで抱え込まれた。
「─────」
 それはまるっきり、克にぃが時々僕を力強く抱きしめていたのと、同じ感覚で………
 懐かしさに、目眩がした。
 
 
 
「……あまの…」
 腕が緩く解けて、押しつけられていた胸から解放された。
 と思ったら、両肩をフェンスに押しつけられて、霧島君の顔が降りてきた。
 ………え!?
「……き……、きりし…」
 熱い息が、頬にかかる。唇と唇が、あと少しで触れる──── 
 ─── や…!
 
 
 見開いていた僕の目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちていた。
 
 グッと唇を噛み締めて、苦しそうに眉を寄せている、目の前の顔。
 鼻先がぶつかりそうな距離で、霧島君も、今にも泣きそうだった。
 
「──────」
 ズキン───ズキン───痛い…哀しい……
 涙が止まらないまま、僕も唇を噛み締める。
「……ぅ…」
 
 ……どう言っていいか判らない。
 このまま、克にぃを、待つの───? ……本当に帰って来るの?
 押し潰されそうな不安……今こそ、止まらなくなる。
 ずっと我慢してたのに。
 
「………………」
 見つめ合いながら、張り付けられたフェンスに、後ろ手でしがみついて。
 涙を止められない。
 大声で泣き出してしまうのを、一生懸命我慢していた。
 
 
 
「───天野…」
 黒い瞳から、鋭さが消えた。
「ごめんな、酷いこと言って。泣くって判ってたのに、克にいのこと」
「………」
「でも、言わなきゃ進めないって…もう、その時期なんじゃないかって、俺───本当に、天野を泣かせっ放しにしてるの、もう…駄目だって思った」
 
「……霧島君…」
 
「緒方がさ…天野のこと、面倒見てくれたよな」
「……うん?」 
 さっきも言った。その名前…なんで今になって。
「お前は居てくれて助かったって、言ってたけど…」
 
 ……あの時、緒方君が居なかったら、僕…どうなってただろう。 
 
「でもな、アイツのやり方だって、本当は駄目だったんだ」
「…………」
「何も言わずに甘やかすのは、解決にならねえんだよ。そんなの、ちっともお前のためじゃない───今の俺、同じ事してんじゃねえかって、気が付いたんだ」
 
 真剣な眼が、真っ直ぐに僕を見る。
 今まで触れないように、気を遣ってくれてた。
 僕から話すときだけ、克にぃのこと、聞いてくれた。
 ずっと見ててくれた……霧島君も、哀しい顔────
 
「…ぼく……まだ……」
 どうしていいか、わからない。
「…天野…」
 首を横に振る僕に、霧島君の笑顔は、やっぱり優しい。
「そんな急に、どうこうなんて思ってねえし。ただ、……俺も言わなくちゃって。お前が俺を見上げるたび、苦しくて……」
「…………」
 伏せて逸らした目が、怒ったように眉を吊り上げているけど…頬が赤い。
 ……克にぃは、こんな顔…したことない。
 
「俺、言わなかったことで、後で後悔するのは、もう嫌なんだ。……天野が寂しそうなの、一日でも早く、少なくしてやりたい」
 
 
 ガタンゴトン…
 
 聞こえなかった電車の音が、聞こえてきた。
 裏道とは言え、往来で抱き締められたりしてて…
 
 
 優しい霧島君───いつも僕に真っ正面から、向かい合ってくれる。
 泣きやんだ僕は、その優しさにお礼を言いたくて、真っ黒い目を見つめ返した。
「………」
 肩を掴まれていて、距離も近すぎて。涙も拭けない。
 ハッと気が付いたように慌てて、霧島君は手を離してくれた。
 
 時々通る人が、僕たちを見ていく。
 やっとなんだか、恥ずかしくなってきた。
 冬の日の夕暮れは、とっても寒いはずなのに…心のどこかが、無性に熱い。
 僕も霧島君も真っ赤になって、下を向いちゃって───
 その後はどうやって帰ったか、覚えてないくらいだった。
 
 
 
 
 
『……俺って結局いつも、天野を泣かせてたよな』
 顔を上げたときの、困ったような笑い。カッコイイ眉を、ちょっと顰めて。
 ………これが霧島君なんだ…って、思った。
 こんな僕に、ずっと付いていてくれて、…そして僕はずっと困らせていたんだ。
 
 夜、ベッドに入ってから、思い返していた。
 右側の空間……克にぃが居た場所に、霧島君が寝てくれた時があった。
 克にぃしか要らないって言ってた僕の、直ぐ横で。……僕はそれの意味を、考えることもしなかった。
「………」
 グッと布団を掴んで、体に巻き付けた。
 
 “克晴しか存在を許さなかった、君の愛は…”
 桜庭先生の、最後の言葉。……最後の呪縛。
 今も、あの台詞が耳に付いて、離れないでいた。
 “君の愛だって、エゴなんだよ!”
 
 ───エゴって…今なら判る。……自分勝手ってこと。
 自分にも、相手にも、わがままってこと……。
 
 ───ごめんね、霧島君……
 でもやっぱり、どうしていいか判らない。
 克にぃが好きで、克にぃが好きで……ただそれだけで───
 いなくなっちゃったから、どうしていいか判らないんだ。嫌われちゃったの? 待ってていいの? 帰ってくるの………進めないでいるのに。
「……ふ…」
 何度一人で泣いたか、数え切れない。
 なのにいくらだって涙、零れてくる。
 ハタハタとシーツの上に、落ちていく雫の音を聞きながら、泣き声を噛み締めた。
 
 
 霧島君の気持ち…僕の気持ち……
 
 何を追うの…なにを置いていくの───知るのが怖いよ……
 
 
 ───でも、それだけじゃない……僕が本当に、怖いのは。
 寝苦しくて暗闇の中、寝返りを打った。
 ……身体が落ち着かない。
 憂鬱な気持ちが湧いてくる。これを思うたび、それこそ僕は、消えてしまいたくなる。
「………」
 噛み締めなおした唇を、指で触ってみた。
 ……あと少しで、触れるところだった。
 あの時、ダメッて思った。霧島君も、触れちゃダメ───こんな僕に。
 先生が僕にしたこと…消えないから。
 
 
「………はぁ……」
 落ち着かない感じ、まさかと思ったけど……やっぱり。
 時々襲ってくる、この感覚が怖い。腰が熱くて、どうしようもなくなって……
 先生がしたこと、したくなる。
 克にぃがしてくれたことなのに……もう、先生の手が全部、塗り替えちゃった。
 僕じゃなくなっちゃった…こんな体で、どうしたらいいの…?
 
 ───克にぃ……逢いたいのに……逢うのが怖い。
 
 カーテン越しの微かな薄明かりも、今は嫌だ。
 布団に頭まで突っ込んで、すべてから自分を隠して、泣きながら。
「……ん…」
 それでも、思い出すのは大好きな、優しい手。温かな掌に包まれて、体の熱を放出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 霧島君が、僕に教えた驚きは、二つだった。
 一つは……僕を好きだった、ってこと。……そしてもう一つは、“将来”って言葉。
 それは、僕の心に波紋を呼んだ。
 
 ───僕は…? 僕は、どうしたいんだろう……
 
 
「天野君、そろそろ閉めるよ」
 声をかけられて、顔を上げた。
 副部長の中谷君が、図書室の鍵を手に立っている。他にも、帰り支度を終えた数人が、横で待っていた。
「あ…うん、ごめん」
「いつも風景入りの本、読んでいるね。それ借りてく?」
 僕の手元を覗き込んで、言ってくれる。
「また来た時読むから、いいや」
 本棚に戻すと、みんなと図書室を出た。
 月曜日は霧島君が柔道。僕は図書クラブ。帰りが別々の日だった。
 
「旅行、好きなの? 天野君。こないだもリクエスト出してたし」
 校門まで歩きながら、話しをしていた。下校時間がとっくに過ぎていたから、他の生徒も少ない。
 落ち着いた感じの中谷君は、色々な本を知っていて、教えてもらうことが多かった。
「うん…行ったこと無いから、見ていて楽しい」
 僕は、みんなが冒険や探偵や童話などを読む中、一人で旅行記や歴史の本を選んでいた。読んでるだけで、行った気分になれるのが楽しくて。
 学校の図書室には余り無いから、置いて欲しいってリクエスト申請書まで書いていた。
「でも、実際に本で見たトコ行くと、面白いね」
 昨日教会を見て、僕はすごい感動していた。
「そうだね、見ると聞くとじゃ、大違いって言うし」
 神妙に頷いてくれる中谷君に、嬉しくなった。
「うん、それ!」
 写真やテレビでしか見たことの無かった、あの雰囲気を、実際に見て、感じることができて、読んだ知識を目で見るのって、面白いなって… ────
 
「…………」
 何かが僕の中に、産まれた気がした。……その時、
 
「ねえ、天野君」
 校門を先に出ていた他の子が、僕の所に、戻ってきた。
「あの綺麗な人、知り合い? ……これ、天野君にって」
「……綺麗な人?」
 
 オウム返しに聞きながら、差し出してくるそれを、受け取った。
 指し示す方向には、もう誰も居ない。
 小さな紙切れの、メモ……
 
 広げて、目に入ってきた文字……それを見て、僕は足が動かなくなった。
 
 
 
 “君に話したいことがある、一度だけ逢って欲しい。 ───桜庭”
 


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