chapter18. Say you -それがすべて-
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 6
 
「天野、本当に行くのか? ……やめとけって!」
 
 次の日…先生に会いに行くギリギリまで、霧島君は心配して、止めようとしてくれた。
 
 
「……もう、決めたから…」
 学校が終わった後、家の前まで来てくれた霧島君に、僕は見上げて答えていた。
「でも、天野…昨日の電話では、ぶっ倒れそうだったじゃねーか!」
「…………」
 
 
 
 捨てられなかった、制服のポケットのメモ。
 あれに、桜庭先生の電話番号が書いてあった。
 ───いつまた現れるか…それに怯えるくらいなら、自分から会ったほうがいいんだ。
 神父さんに話を聞いてもらった後、そう僕は決心した。
 だから…昨日、ボランティアが終わった後、霧島君に家まで一緒に来てもらった。
 怖かったから、一緒にいてって、頼んで。
 
『天野…君? その声、君なのか……わからなかったよ…』
 
 先生の声は、変わらない…ものごし柔らかな、少し高い声。
『……一回だけ…僕も、会いたいです』
 それを言うだけで、精一杯。先生の声を聞いただけで、携帯を持つ手が震えた。
『ぼくも、話しがしたいだけなんだ。嬉しいよ……天野君一人で来てね』
 通話を切った後は、全身の震えが酷くなって。部屋の床で、霧島君にしがみついて動けなくなった。
 
 ───怖い……怖いけど……
 
 今は家の前。葉の落ちた薔薇のツルが絡むポーチの前で、しっかりと霧島君を見上げた。
 じっと僕を見下ろしてくる。心配しすぎて怒りの混じった顔。
 ───霧島君……
「…………」
 真っ直ぐ見つめ合って、胸が痛くなった。
 ───先生とのこと、全部知ってるのに…好きだって言ってくれた。
 それは、すっごく嬉しかった…でも……
 
 本当の僕のこと、知らない……
 
「僕ね……あんなことされて…自分を嫌い…。好きになってもらうなんて、できない」
 
「……天野」
 
 驚いたように、見開かれた眼。
 緩く首を横に、振ってる。
「だけど、これ以上嫌いに、なりたくない……嫌われたくもない……」
「──────」
「だから、……先生を、自分で断ち切らないと…駄目なの…」
 
 僕の真剣な訴えに、霧島君は悔しそうに、目を細めた。
 そして、グッと肩を掴んで、言ってくれた。
 
「わかった……でも、無理すんなよ。俺が後ろにいてやるから、安心しろ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 指定された、小さなコーヒーショップ。
 そこは駅から離れていて、人気の少なく目立たない場所にあった。
 ガラス張りの壁がお洒落だけれど、中は暗くてよく見えない。
 ドアを押すと、ベルがカランと、小さな音を立てた。
 
 店内には、静かな音楽が流れている。
 暗い照明。
 観葉植物がレンガで作られた区切り壁の上に並べてあって、各テーブルがボックスのように孤立されていて。
 その真ん中の奥側の、一番見えにくい場所に、桜庭先生は座っていた。
 
「──────」
 変わってない…。
 
 きちっと着込んだスーツ。一歩入って、その姿を見た瞬間に、息が止まった。
 白衣の先生、スーツの先生、……どっちも嫌な記憶。
 ぶたれた痛みを先に思い出すみたいに、身体が熱くなった。
 毎日のあの恐怖が、蘇ってくる。 
 
 途端に、僕は逃げ出したくなった。
 ……やっぱり無理……何を言われるの……そんなこと、ぐるぐる頭で廻って。
 息苦しくて、汗が凄い……
 ふわふわ、地に足が付いてないみたいに、目眩がした。
 ───あ… 
 その時、奥にいる、もう一人の姿が目に入った。
 桜庭先生の斜め後ろ…密集した大きな葉っぱの隙間の向こうに、頼もしい背中。
 帽子と眼鏡で顔を隠して、本を読んでる。
 ……霧島君。
 気の遠くなりそうな恐怖から、意識が戻った気がした。
 
 
 “お前が自分で頑張っただろ?”
 “俺が後ろにいてやるから、安心しろ”
 真剣な言葉が、僕の背中を押す。
 ……そうだよ、僕…あの時、勇気を出せた。
 進むにはそれしかないって、あの時知ったんだった。
 
 ───お前が言わなきゃ、何も変わんねーんだよッ!!───
 
 いつだって霧島君は、僕に大切なこと、教えてくれていた。
 ……そして今も、護ってくれようとする。
 
 
 
 ───自分で決めたんだ。……克にぃと、霧島君がいてくれる……
 力を振り絞って、僕はふらつく足を進めた。
 丸いテーブルに近づくと、先生がハッと顔を上げた。
 
「天野君…来てくれて、嬉しいよ」
 
 信じられないというふうに、ちょっと首を振って。
「───まさか、君から連絡をくれて……本当に逢ってくれるなんて」
 溜息まじりに、正面に座った僕をじっと見る。
「育ったね…あんなに可愛らしかったのに、顔つきが違う。綺麗になった……想像以上だよ」
 
「……………」
 近くで見ると、先生の印象も、なんとなく違った。
 真っ白い肌、優しい声、サラサラの長めの髪を揺らして、首を傾げる……それは変わっていないけど。
 少しやつれたような青白い顔色に、力のない目線。
 笑顔さえなんとなく、ぎこちなく見える。
 
 でも、手を伸ばせば届きそうな…こんな距離で、向かい合って。
 緊張しすぎたせいで、震えが止まらなくなる。
 僕は膝の上で、コートの裾を握りしめて、お腹にグッと力を込めた。
 “何かありそうなら、止めてやる”
 霧島君の、最後の言葉。今もこっちを窺ってる…それに、勇気をもらって。
 
「なんの…用ですか……今ごろ」
 
 絞り出した言葉に、先生はちょっと目を丸くした。
「ふ…今頃…か───」
 
「……そうだね。もう2年も経ってしまった」
 
 どこか空虚を見つめるような目の色で、口の端だけちょっと上げた。
 ……怖いけど輝いていた…あの目が、ウソみたい。
 同じような感情のない声で、先生は淡々と喋り続ける。
「模範生で服役して、早い出所ができたよ。それでも2年だ…長かった」
「…………」
「そのあいだ、ぼくは取調官や看守に、酷いことを言われ続けたよ」
 僕の飲み物も注文してくれて、先に来ていた自分のカップに、目線を落とす。
 スプーンで液体をかき混ぜる、細い指…。
 それを見ていて、気分が悪くなった。
 先生の手──どうしても体が勝手に、思い出す。
 
「ぼくはぼくで、我慢し続けた。早くあんな所、出たかったからね……でも」
 ぴたりと指を止めると、視線を僕に戻した。
「……奴ら、なんて言ったか、わかる?」
「……………」
 呟くように話していた語尾が、震えたのが判った。眼光に、怒りの様な閃き。
「変態だとか…虐待だとか、散々罵られた」
 
「──────」
 
「それだけは、違う…どんなに奴らの言うことに従っていたって、ぼくは心の中で思い続けた。……君への想いだけは、そんなんじゃないんだッ」
「───っ」
 ちょっと声を荒げられただけで、僕の身体はビクンと震えた。
 それに気付いて、ハッと我に返ったように、先生は口をつぐんだ。
「……ごめんね、驚かせた」
 先生自身が驚いたような顔で、周りを気にするように、視線を巡らせてる。
 一呼吸置いてから、そっとカップに口をつけて、珈琲を飲んで。
 
 カチャリと響く、陶器の音。
 店内に流れる、静かな音楽。
 緊張する、僕の心臓の音……ドクンドクン…変に熱い。
 
「本当は、君に会うことは禁じられている…こんな所を見られたら、不味いんだ」
 囁くように、言う。
「……ぼくはもうすぐ、別の仕事を見つけるため、ここを離れなければならない」
「────」
「でもその前に、これだけは…ひとこと言いたかった。君に…判って欲しくて」
 熱い視線でまた、見つめてくる…前髪の奥で、綺麗な切れ長の眼が、細くなる。
 
 
「天野君…君を愛していた。それは、本当のことだ…」
 
「決して快楽や君の身体だけを目当てにしたんじゃ…彼奴らが言う、変態行為なんかじゃ、無かった!」
 
 
 言いながらまた興奮してきた先生は、最後は叫ぶように訴えてきた。
「やり方は強引だったかもしれない、だけどぼくの愛は、本物だった!」
 手を掴んできそうな勢いに、僕は怖くなって後ろに仰け反った。
 イスの背もたれに、後頭部が当たる。
「…………!」 
 僕が逃げたこと、先生も判った。
 哀しげに眉を寄せて、両手をテーブルに突いて、乗り出してきた。
「君だって、わかったよね…ぼくは優しかったはずだよ……嫌がるようには、しなかった」
「─────」
 先生の目を見ながら、怖くて逸らすことも出来なくて……。
 でも、見つめ合いながら、胸の底から……哀しい怒りが湧いてきた。
 
「そんなこと、言いに来たんですか……」
 
 何も言い返せなかった、僕。
 “イヤ”と言うのも、精一杯だった。
 でも、今は違う。……先生のせいで、いろんなこと知ったから。
 
「先生は…僕がどう思ってようと、関係ない…」 
「………」
「自分の愛ばっかり、確かめようとしている……そんなの愛じゃない。今だって、認めない…」
 
「───天野君…」
 驚いた顔で、伸ばしてきた手を止めている。
 
「……僕は…先生にあんなことされて…嫌でした。辛かった……今でも辛いんです」
 ブルブルと、膝の上で握りしめた手が震える。
 怖いのと、哀しみと、怒りと……こんな先生のせいで、変えられてしまったことに。
 
 先生は、最後のあの時みたいに、信じられないという顔をして、首を横に振った。
「でも…君は…君の身体は、喜んでいただろう」
「────」
「ぼくの手に震えて、何度も絶頂を迎えていた…ぼくに、無防備な可愛い姿を見せてくれた」
 
「………っ」
 僕も、首を横に振った。僕の意志じゃない。無理矢理だったのに……
 
「君の小さな乳首を摘むと、ぴくんと肩を揺らして、息が熱くなって…」
「……や…」
 急に何を言い出すのか、僕は驚いて、遮ろうとした。
「聞きなさい…天野君…君は、確かにぼくに感じていた。お尻が好きだったよね…指を入れたときの締まり具合は、ほんとうに可愛かったよ」
「──や…やめて…せんせい」
 霧島君が聞いてるのに! でも言ったって、やめてくれない。
「しっかり前も、勃起していたよね。喜びの印をたくさん流して…とろとろに熱い身体を、ぼくに任せて…足を開いた。ぼくを受け入れたときの、吐息…喘ぎ声…目線…とても嫌がっているようには、見えなかった」
「うそ…うそ!」
 耳を塞いで、小さく叫んでいた。聞きたくない、誰にも聞かせたくない。
「あのまま、すごしていられたら、君はもっとぼくを受け入れてくれたはずなんだ…克晴じゃない、このぼくを!」
 
「───────」
 
 最後の言葉にはっとして、僕は顔を上げた。
 何言ってるの…今も苦しいのに。
 先生のせいで、克にぃに嫌われちゃうって、ずっと泣いてるのに……!
 
 視界の端に、霧島君が中腰で立ち上がっているのが見えた。
 怒りで、目を吊り上げてる。何か言いそうに、口を開けていた。
 でも僕はそれより先に、叫んでいた。
 
「先生なんかじゃない……僕……克にぃがずっと好き!」
 
「─────!」
 紅潮していた先生の顔が、さっと青ざめた。
 怖いくらい目を見開いて、見下ろしてくる。
「僕、先生に汚されてしまったこと…哀しかった。……克にぃのモノって資格を奪われた…」
 思い知らされる、先生の、恥ずかしい酷い言葉。
 気持ちはともかく、僕の身体は…本当に───
「それでも、僕は克にぃのモノでいたい……先生なんかに、邪魔させない…」
 絶対、心から受け入れたりしなかった。
 自分の意志なんかじゃない、喜んでなんかいない。
 何で判らなかったんだろう…身体のあの感覚に惑わされて、大切なこと、見失ってた。
 
「克にぃを好きでいる限り…僕は、克にぃのものなんだ……先生なんかじゃないッ!」
 
 もう泣かないって、何度も決めたのに。
 滲んだ眼から、熱い液体が頬を伝う。
 これが霧島君への答えでも、あるんだ。叫びながら、そう思っていた。
 
 こんな形で、自分の気持ち、確かめることになんて───
 


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