chapter4. soul awakening 覚醒 -魂をかけて-
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 1
 
「天野、……おい、天野!!」
 
 
 
 ───柴田先生…?
 
 
 
 
 体中を押さえ付けるような、力強い腕。
 僕は廊下の端っこで、スーツの胸に抱え込まれていた。
 
 
 
「天野、俺の言ってること、聞こえるな?」
「…………」
 見上げてこくりと頷く僕に、ほっとしたような溜息。
 
「よかった………なぁ、天野……」
 床に膝をついて、先生は目線を同じ高さに下げてきた。僕の両肩を掴んで、真っ直ぐに顔を見合わせる。
 
「先生には……お前が、ものすごく危険な状態に、見える」
「──────」
「お前を、助けたいんだ……」
 ……痛い。先生の掴む肩。
「この間からの、相談のことだろ?」
「──────」
「何があるんだ? なぜ言えないんだ……そんなになってまで!」
 
 
 
 …………いえない
 
 
 
 ───誰にも、言えない……見られたくない。
 あんなの見られたら、僕……もう学校に来れない。家から出れない。
 親だって…とうさんに顔、見せられない。
 
 
 口を開かない僕に、先生の顔が悔しそうに歪んだ。奥歯を噛み締めて、声を震わせる。
「俺の……力不足か! ───なあ、俺がダメなら、他を頼れ!」
 ………………。
「父親は、何も言わないか!? 先生、お前のことで相談したのに」
「……え」
「何か言えないほどの事を、悩んでるから。俺はそれを聞いてあげたくて、携帯を持たせてあげたいって……お父さんからも、訊いてあげてくれって!」
「────!!」
 ………いつ? ……それ……いつ……
 とうさんは、朝も夜も……今朝だって……挨拶しか…しなかったよ。
 
 僕は首を横に振っていた。何度も。
 
「そうか……」
 また、悔しそうな顔。
「ごめんな…頼りない先生で……」
 力無くそう言うと、顔を下げてしまった。
「…………」
 
 ────先生……
 今までの、必死な柴田先生だった。
 心が揺れる……
 先生になら……
 そう思うときが、一瞬あるから……
 なにもかも……そしたら、僕……自由になれるかな……
 
 
 
「先生……」
 
「天野、もう一度言うぞ………桜庭先生を頼れ!!」
「──────」
「もう、キライなんて言うなよ? 霧島だって、賛成したぞ!」
「………え?」
 
 ────霧島君……
 ……なんで、今……その名前……
「……きりしまくん? ……なんで?」
 
 
 反応した僕に、先生はまた眉を寄せて、深いシワを見せた。
「あいつも…何かあるクセに、俺には打ち明けない」
「…………!」
 
 最近、変だって……付き合い悪いって、噂されてた。
 ………それ?
 
「だからアイツにも、保健室に行けって勧めたんだよ。あっちのほうが、言いやすいこともあるだろって」
 
「───それで……霧島君は?」
 
 唇が乾いていく。
 声が掠れて出なくなるのを、絞り出した。
 ───霧島君はまずい……危ないよ…
 心臓が変な音で、ドクンドクンて言い出した。体中の血が引いていく。
 
 柴田先生は、寂しそうに笑ってから、ゆっくりと言った。
「うん! って返事をして……さっき、保健室に向かったよ。──おそらくな」
 
 
 
「─────なんで………なんでッ…!!」
 
 
 
 息が詰まる。心臓が止まっちゃう……その前に、叫んでいた。
 
「なんで霧島君にまで!! 桜庭先生はヤダって、僕……」
「天野ッ!」
 先生も、呆れたような声を上げた。
「まだそんなこと…!」
 お前こそ、なんでわからないんだ? ってふうに見つめて…。
 
 ────こないだと、まるっきり同じ……!
 
 肩にある先生の手が、僕の心臓まで掴んだかと思った。
 グシャッ!
 って音が聞こえるほど。
 
 悲しい……。
 それが一番、痛い。
 他のショックも合わさって、胸の中、もっともっと、ぐちゃぐちゃになってく。
 
 何も言えなくてごめんなさいって、気持ち……
 なんでわかってくれないのって、気持ち……
 どうして僕のコトバ遮って、桜庭先生…? そのせいで、大変なことが起ころうとしてる……!
 いろんなことが、僕を引っかき回した。
 
 ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ!
 もう、心臓の音は、そうにしか聞こえない。
 
 
 
「先生は……柴田先生は、生徒と先生の…………どっちの味方なの!?」
 
 
 
 それだけ叫んで、僕は先生の腕を振り払った。
 廊下を走って、階段を駆け下りた。
 
『君を助けたい』って……先生……なんでそう、言い続けてくれないの! 
 なんでいつも、差し出した手…引っ込めちゃうのッ!?
 刺さってくる。どうしようもない悲しい気持ちが、潰れた心臓に刺さってくる。
 信用したいのに、頼りたいのに、今こそって…今、ホントに……!
「……うっ……」
 階段を駆け下りながら、呼吸が止まりそうだった。
 
 ───このままじゃ、本当に窒息しちゃう……!
 階段の手摺りにしがみついて、足を止めた。そのまま、頭を腰より下げて肩で息をした。
「………はぁっ……はぁっ……」
 地球がひっくり返ったみたいに、目が回った。上と下が逆になって、身体も頭も、心も……グルグル……止まらない……
 
 
 
 
 ────ほんとは……本当は、わかってる……
 ……言えない、僕が…いけないんだって!
 でも……“嫌”って言葉だけでも、聞いて欲しかったよ……先生……
 ぎゅっと目をつぶった。
 涙と一緒に、汗がパタパタと落ちた。
 柴田先生の、必死に僕を覗き込む顔が、次々浮かぶ……
 
 先生と霧島君の顔が、重なって入れ替わる。
 まったく同じ、僕を心配する目。
「──────」
 胸に刺さった、もう一つのトゲ……
 心臓が冷えていく。
 走って熱いのに、汗が額を伝うのに……身体中の熱を失っていく。
 
 
 
 よりによって───
 霧島君を保健室に、送り込むなんて。
 ほんとに桜庭先生は、変になっちゃったから。
 あの狂気が怖い……もう信用なんか、出来ない……霧島君にまで、何かしたら───!
 
 薬で眠らされた霧島君が、ベッドに横たわってるのが、目に浮かぶ。
 ────ゾッとする。
 一枚、一枚……服をはいで、写真を撮っていく……脱がせた服を、裸の足下に置いて……
 “カシャッ” 
 あの音を、保健室に響かせて……
 口の端を上げて、先生が笑う。頬だけ少し赤くして、目を煌めかせて、クスクス笑う……
 
 
 
 
 ───だめ………絶対、ダメッ………!
 
 
 
 
 僕はまた走り出した。
 保健室に辿り着くと、夢中でドアを開けた。
「霧島君──!!」
 
 叫びながら中に飛び込むと、桜庭先生が一人で、いつも通り机の前に座っていた。
 驚いた顔で、顔だけこっちに向けている。
 
 ───いない! ……まだ来てない…!?
 
「先生……霧島君は!?」
 ハァハァしてる息を飲み込みながら、訊いた。
 
「………来てないよ」
 本当に驚いたような顔で、目を丸くして、僕を見ている。それから急に眉を寄せて、恐い顔を作った。
「………丈太郎が……なに?」
 僕の慌てぶりが、気に入らない……そんな感じで、立ち上がりながら、バシンと机を叩いた。
「────!!」
 
 
 でも、そんなのは一瞬で……
 ビクッと震えた僕に、今度はニコリと微笑んだ。
「それより、……今日また会えるなんて……」
 妖しい微笑みを浮かべて、ゆっくりと近づいてくる。
 
 
 
 ────あ…!
 霧島君が心配で……ただそれだけで、動いていた。
 
 
 
「───────」
 たった一睨み。蛇に睨まれたみたいに、自由がきかなくなった。
 
 
 
 身体中に巻きついた鎖の重さを、手足が思い出していた。
 先生の細まった目が、僕を丸々飲み込んでいく。
 
 もう、うるさかった自分の呼吸も聞こえない。
 視界が真っ暗になって……その真ん中に、白衣だけが、真っ白に浮き上がっている。
 先生だけが……僕の世界。
 
 
 何の覚悟も出来ていなかった……
 あんなことがバレて、それでも笑ってる先生……。
『いくら君でも、許さない』
 そう言われたんだ。地を這うような、冷えた声で────
 
 
「………ッ!」
 腕を掴まれて、ベッドに連れて行かれた。
 ヒヤリとした先生の手が、さっき潰れた心臓まで、掴んだ。
 ───や………怖い……
 ランドセルや上履きもそのまま、乱暴にベッドに放り上げられた。
「せんせ……!」
 
「天野君……誉めてあげる」
「───!?」
 先生の手は、破けそうなほど強引に、服を剥いでいく。
 もうギブスは取れていて……ちゃんと動かなくても、充分だった。
「………その努力は、偉いね」
 怖いほど乱暴なのに、囁く声は…ウソみたいに優しい。
「……………?」
 
「自分から、お仕置きを受けに、来たんでしょう?」
「──や──ちがっ…!」
 悲鳴を上げそうになって、キスで唇を塞がれた。
 “お仕置き”は、その時によって違う。
 
 ───始まる………何を…されるの……?
 
 恐怖で、指先までベッドに縛り付けになった気がした。
 先生の動く方の手が、胸の上を滑った。
「んっ……んん…!」
「ほら、身体もちゃんと反応するし」
「あっ……」
 胸を吸われて、思わず出た声を、手のひらで抑えた。
 ───やぁッ…!
 
 
 
 
 その時────
 
 
 
 
 
「桜庭せんせーい」
 
 
 
 
 ノックも無しに、後ろのドアが開いて、霧島君が入ってきた。
 
 
 ───────!!
 
 
 僕と先生は、動きをピタリと止めて、見つめ合った。
 衝立カーテンの向こう側に、霧島君が立ってる………
 僕の心臓は、また動き出していた………
 
 ドック、ドック、ドック……
 ────気が付かないで! 気が付かないで!────
 こっちを覗いちゃ、ダメだよ! 
 ………お願い、霧島君─────!!
 
 
「…………………」
 目だけで見上げる僕に、先生が無音の口付け。
 “わかっているね?”
 という、合図。
 静かに待っていなさい…っていう……。
 
 
「なに? どうしたの」
 先生は返事をしながら、すぐに衝立カーテンから出て行った。
「また、ケガ?」
 優しく、笑ったりしてる。
 声だけ聞いていると、たった今こっちで起こっていたことが、まるっきりウソみたいに……。
「……………」
 僕は服もなおせずに、息を殺して、じっとしていた。
 先生にされたままの格好で、シーツに貼り付けで…。
 もし音を立てて気付かれたら……こんな格好、見られたら……
 いつもそう思って、こんな時は、ただ待つしかなかった。
 
 
 
「せんせー………今日は、相談…」
 
「相談? ふふ…丈太郎がね………で?」
 明るく笑いながら、“カウンセリング先生”の声。
 
 向かい合って、座る気配。
 キィッという先生の回転椅子の音が、変に響いた。
 
 
 
 
 ────────? 
 それっきり………………霧島君………?
 
 
 
 
 
 
「先生………天野のこと、教えてほしいんだ……」
 


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