chapter4. soul awakening 覚醒 -解放-
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 8
 
「………し……柴田先生!」
 
 殴られた頬を押さえながら、桜庭先生は、柴田先生を見上げた。
 信じられない、という表情で……
 
「その痛みが、判らないか!? この子が受けたのは、そんなモンじゃないだろう!」
 倒れている桜庭先生に跨って、掴んだ襟をぐいっと引き上げると、また殴った。
「ぅあッ!」
 痛そうな、桜庭先生の悲鳴。
「……なんで、こんなこと!!」
 柴田先生は、両手で首を締め上げるように、引っ張った体を揺さぶった。そして、苦しそうな声を絞り出した。
「……俺は、天野を助けたかった……克晴の分も!」
 
 ────!?
 
 
「だから、貴方に相談したりして……まさか、そのアンタがこんな……天野の抱えてる事が、こんなことだったなんて…」
 
 跨っていた膝を突いて、胸ぐらをもっと引っ張り上げた。
「おい! 聞いてるのかッ!?」
 
「………………」
 桜庭先生が、血だらけの唇を動かした。
「……愛してた……傷つけてなんか……」
 
「天野君を……ぼくは……必要としてたんだ…………」
 
 
 ─────!!
 掠れた声は、まだ僕の心を凍らせる威力があった。
 目の前で、柴田先生に吊し上げられながらも、僕を横目で見る。
 
「愛!?」
 驚いて一瞬、柴田先生が止まった。
 
「は……それを言うなら、俺だってクラス中の生徒を、愛してる!」
「…………! そんなのはッ……違う! 全然違う!!」
「黙れッ、自分勝手なこと言ってんじゃねえッ! 愛してたら全てが許されるのか? それを大義名分にして、何してもいいのか!?」
 
 
 怒りの声は、睨み合った先生たちの間で、激しくぶつかった。
 
「先生失格どころか……人間失格だ! お前は、自分の欲望に負けた!」
「───────!」
「そんな言葉に都合よく気持ちを押しつけて、ただ、天野を傷つけたんだよ!!」
 
「…………」
 桜庭先生の目から、涙が零れた。
「違う……ぼくは……」
 首を横に、振り続ける。
 
 
「……こんなことだけは、して欲しくなかった。天野は……生徒達は……俺ら大人じゃなくて、誰が守るんだよ……?」
 柴田先生の目尻が、また光った。
 
 僕を見て……座りこむ僕の格好を、上から下まで眺めて。
 ギリッと、奥歯を噛み締めた。その音が、呻き声のように響く。
 
 
「俺は、克晴の時から悩んでいた。……あの子を、救えないかって……」
 
 ────!? 
 また、それ……なに……?
 
 
「だからこそ、今度こそ、この子はって……思ってたのに。だから、お前に相談したんだ!」
 先生は叫び続けた。
「まさか、こんな地獄に堕ちているなんて、誰が想像する!?」
 グイグイと襟を引っ張り上げて、顔を睨み合わせる。
 
「俺は……本当に、信じていたんだぞ」
「……………」
「桜庭先生が、子供たちを本当の意味で……どれだけ愛していたか、俺は知っている。たくさんの子供たちが、どれだけ先生を信頼しているかも!」
「…………!」
「天野達も、初めはそうだっただろう? 俺は……その心をずっと、大事にして欲しかった!!」
 
「………先生」
 桜庭先生が、やっと言葉が聞こえたみたいに、間近に迫った顔を見つめた。
「もっと早く、気付いていれば……」
 悔しそうに頭を垂れて、柴田先生は首を振った。
「偉そうなこと言えないな。……俺も、天野を信じなかった……」
 
 
 
 ────柴田先生……
 
 
 
 グッタリした桜庭先生から離れると、柴田先生はスーツのジャケットを脱いで、僕の背中にかけた。
 そのまま膝を突くと、頭と肩を抱き締めてくれた。
 分け目も無くなるほど、前髪を振り乱して、額や頬を拭いもしないで……。
 
 
「後は、先生に任せとけ。……お前は頑張ったから、もう心配いらないからな」
 
「──────」
 その一言で、僕の中の緊張していた、何かが解けた。
 不安も、恐怖も、痛い心も……みんな、みんな……全身から…
「……………」
 声はまだ出ないけど、必死に頷いていた。
 
 
「センセ! 俺のも解いて!」
 霧島君が大声で、斜め上から訴えた。
「俺も、天野を殴る!」
 
 ────え
 
 
「天野! ……このバカヤロウッ!!」
 
 自由になった腕を振り上げると、霧島君は僕に飛びかかってきた。
 
「なんで言わなかったんだよ!? 俺、そんなに頼りないか! 信用できないか!?」
 
「─────!!」
 思わず目を瞑って、歯を食いしばった。
 
 
 ぺちん
 
 
 両頬が、軽い音を立てた。
「…………!」
 もっと痛い衝撃を想像していて、僕は戸惑った。
 薄く眼を開けると、眼を真っ赤にした霧島君の顔……
 
「最後は、勇気出したな……ちゃんと言ったな」
 その目からも、光る筋が伝っていた。
 
 
「…………きりしまくん」
 僕の我慢してた涙も限界で……言葉より先に、あふれ出た。
「うぇ……ええぇ……」
 
「俺が知って、お前をどう思うって? 嫌いになると思ったのか!?」
 
 泣き崩れる僕に、霧島君も泣きながら聞く。
 もっと叩くかと思った手は、ぎゅっと僕を抱き締めた。
 
 僕が、振り払っちゃった腕……
 その腕が、霧島君の体温と、匂いと一緒に、僕を抱き締める。
 懐かしくて、嬉しくて、哀しくて……
「ごめ……ごめんなさ…………うああぁぁぁ」
 
 押し隠していた心が、今度こそ、完全に解き放たれた。
 僕は大声で、今までの分を全部吐き出すみたいに、泣き叫んだ。
「ごめんなさい………ごめんなさいぃ! ……うぁっ……うわああぁぁぁ……!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 柴田先生が警察を呼んで、桜庭先生が連れて行かれるまで、霧島君はずっと僕を抱き締めてくれていた。
 
 “ガチャン”
 
 と、手錠のはまるのを見たとき、僕はあの携帯のシャッターの音を思い出した。
 あれから、解放されたんだ。
 
 それでやっと、僕に嵌っていた枷や鎖は、全部外れた。
 それは総て、桜庭先生の手に足に、返っていった。
 ………そう思った。
 
 
「……天野君」
 保健室から出て行くとき、桜庭先生が僕を呼んだ。
 ビクンと震えた肩を、霧島君がぎゅっと押さえる。
 
「君を………言葉で縛り付けた。“恥ずかしいね”と羞恥を煽って、口を塞いで……」
 
「…………」
 
「“淫乱だ”と煽っては、感じさせて」
 
「……や…」
 ────言わないで! 
 霧島君の腕の中で、耳を塞いだ。
 
「君は素直に、ぼくのコトバに翻弄されて……それを信じて、従っていた」
「…………」
「そんな君が、愛しくて……」
「…………」
「君を愛してた。もっと、大事にしたかった。……いつか分かってくれると思ってたから」
 弱々しい、先生の呟き……
 僕を苦しめた、あの鋭い声とは……とても思えない。
 
 
「もういいだろ、行くぞ」
 先生を押さえている警官が、低い声で言った。
 
 
「柴田先生……ぼく、ホントに天野君を愛してた……生徒を好きとか、そんなんじゃないんだ!」
 突然暴れて、身体をこっちに向けた。
 
 柴田先生は、ぐっと拳を握り締めて、遣り切れない感じに見つめ返した。
「……愛と好きは、違う? だったらなんだ? 相手がその愛を受け容れない限り、それはどっちだって同じ事だろ!!」
 
 
 最後は怒りにまかせた、怒鳴り声だった。
「こんな“愛”があるか! 笑わせるなッ!! 早く連れて行ってくれ!」
 
「はは……天野君……ぼく、言ったよね…」
 桜庭先生は、引きずられながら、声を高くして笑い出した。
「愛はエゴだって! 君だってそうなんだ……!」
 ケタケタと、また凶器となった声で笑い続ける。
「……君の愛だって、エゴなんだよ!!」
 
「………………!!」
 
 廊下に連れ出されても、先生の叫び声は響いた。
 僕は、塞いでも聞こえてくる先生の声を、必死に振り払っていた。
 もう、あの呪縛は受けない! 
 聞いたらダメなんだ! って……
 
 
 
 
 
 
 小さくなっていって、聞こえなくなった、桜庭先生の絶叫。
 抱き起こしてくれる、柴田先生の腕。
 ずっと支えてくれる、霧島君の手………
「天野……?」
 優しく、僕を呼ぶ声……
 
 
 それを実感して、やっと終わったんだなって……
 せっかく立たせてくれたけど、僕の意識もそこで、途切れた。
 
 
 緊張も、哀しみも後悔も、何もかも、悪夢と一緒に………何もかも…………
 


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