chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
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3
細長く四角くに開いた、小さな覗き穴。
鉄格子の隙間から、倉庫の中の様子が窺えるようになっている。
手前には壁に寄せて、発泡スチロールの箱が積んであるようだ。その向こうの床に、毛布にくるまったオッサンが転がっていた。左の壁奥には、鉄扉が見える。
───ここは……あの部屋の……
この船で俺が一番最初に目を覚ました場所、そしてその時リンチを受けたオッサンの、放置部屋になっている倉庫だった。
倉庫と言っても、“仮置き場”だと後から聞いた。一時的に乗せた荷物を詰めておくための小部屋が、いくつか並んでいる。そのうちの一つだと。
俺はグラディスが乗船した日、メイジャーに連れられて、一回来たきり……
あとは全体の説明を受けて回ったくらいで、この空間には、立ち寄っていなかった。
─── グラディス…なんで、こんな所から。
よく見えないけれど、オッサンは一応暖かそうな服装で、毛布を被っている。
でもぴくりとも動かないその様子は、死んでいるようにも見えた。
「…………」
また複雑な気持ちが、湧き上がってきた。
さっきの殴り合いで思い出した、苛立ち。“あの悪魔を、いつかこの手で殺してやる”───犯られる度、何度思ったか。
……でも、本当に殺そうとしたチェイスを、俺は……止めてしまった。
銀の野獣…アイツの蛮行は、間違ってる。…そう思ってしまう自分は、何なんだろう。
ドアの内側では、見張り役なのか、船員が一人蹲っている。
……グラディスなら、入れるだろうに…。
さっきチラリと見えた横顔は、人形のように冷たかった。とても感情があるとは、思えないような……
───本当に何年も、オッサンを囲ってたのか…?
だいたいあの存在感からして、オッサンなんかに目を留めること自体、どうしても信じられない。
「…………」
───なんで……いろんな疑問が、湧く。
“想定通り”って、何なんだ。一枚も二枚も噛んだようなこと言って、知らん顔して。
メイジャーの方が、詳しくは知らないはずなのに、判ったような顔で笑っていた。
でも、俺には……
もう一度、聞き出したい。なに考えてんだって。
「─────」
白い影が消えた方向。真っ直ぐに船首へと続く、メイン通路。
目で追っても、もう白い姿は無かった。
……階段を使ったか、手近な部屋に入ったのか?
探せば、まだ近くに居るはずだ。
俺は追おうとして、走り出した。
───え……
その時……右側の細い通路から、まさかの姿が現れた。
─── チェイス!
部屋の終わりの角、そこは初めて俺が逃げるために、走った廊下だった。
そのT字路から、兄を追うような早足で、銀髪の野獣が出てきた。背後には、取り巻きを3人従えている。
「………うぁ…!」
ぶつかりそうになって、慌てて足を止めた。
「…Oh!」
振り向いたチェイスも、俺に気付くと驚いたように、見下ろしてきた。
「─────」
あまりの至近距離に、その一瞥で身体が凍り付いた。
記憶より先に、恐怖と痛みが蘇る。
動けない俺、驚いたままのチェイス……数秒息を止めたまま、向かい合った。
「……よう」
先に銀獣が、碧い目を瞠って、唇だけ捲り上げた。
「………」
───しまった…
いつもはメイジャーが横にいて、こんなにチェイスと接近する事など、なかった。
あの巨体の厚みが、どれだけ俺をコイツから守っていたか……今更ながら、実感した。
───このすぐ先に、階段があるのに……。
巨体に通りを塞がれた形になって、擦り抜けられない。
メイジャーやカルヴィンほどは、大きくない。でも薄暗いトンネルのような通路で、その威圧感は俺を震えさせるのに、充分だった。
「一人でお散歩か? ……カツハル」
興奮を抑えたような声で、喋りだした。
白い頬を紅潮させて、ニヤリと歪めた口だけで笑う。
「びしょ濡れじゃねぇか」
上から下まで、舐めるように視線を動かして、眺めてくる。
甲板で俺を見ていた、あの目だ……
“チェイスは、君に興味が移っている”……シレンの忠告が、頭を過ぎった。
───俺には、信じられない。
あのグラディスに、心酔してんだろ……それは判る……
それが、何だって……
「オレの部屋に来いよ、構ってやるぜ」
変な猫なで声を出して、手を伸ばしてきた。
───冗談……!
「……触るなッ!」
掴まれる前に、その手を払った。喋り方にも目つきにも…ナメクジのような気持ち悪さに、怖気が立った。
「──────」
チェイスの薄笑いが、張り付いた。目玉だけがギロリと動いて、俺を捉える。
負けじと、その碧眼を睨み返した。
「……お前なんか……何で…」
取り巻きにも囲まれてしまい、俺は必死だった。
「グラディスを、追ってろよッ! 俺はもう、関係無いだろ!?」
その途端、チェイスの顔が豹変した。
首から上を真っ赤にして、額に青筋が立っていく。
「優しく言ってやりゃ、コイツ!」
「───ッ!」
両腕を捕んで引き上げられ、背中を壁に叩き付けられた。
「オマエ、誰にも懐かねぇんじゃ、なかったのかよ!?」
顔を近づけて、噛みつかんばかりに、口臭を浴びせてくる。
「…………!」
「すっかりメイジャーの、人形じゃねえか!」
目まで真っ赤にさせて、歯茎を剥き出し、息も吸えない俺の眼を、鼻を、口を、その恐ろしい形相で、睨みつけて。
そして狂気の塊のように、激しく吼え立てた。
「ハッ! そんなにオヤジの“アレ”の、具合がいいのか!?」
下卑た嘲笑が眼光に浮かぶ。
「おう、だったらオレの方がスゲぇからよ、虜にしてやるぜ」
頭の上でガッチリと手首を押さえられて、逃げる所じゃない。吊るされて押し付けられている背中が、更に密着した。
「覚えてんだろ…? 二回もヤッてやったんだからな……もっともっと、本気で喘がしてやるぜぇ…」
腰と腰をいやらしく擦りつけるように、当ててくる。
「……やめ…」
「オレの方が、メイジャーよりイイって、言わせてやるよッ、オラッ!」
「……うぁッ」
唇を近づけて、キスしようとしてきた。
「やめろ! ……離せッ」
冗談じゃない、コイツとなんて絶対嫌だ! 顔を必死に背けて、拒絶した。その何もかもが逆効果のように、野獣の怒りを暴発させていく。
「抗ってんじゃねぇッ、来いよ! 今すぐ、犯ってやるッ!」
「─────!」
目眩がするほどの、恐怖、戦慄……
……嫌だ……
「離せッ、離せよ!!」
俺は死にものぐるいで暴れた。脚で空を蹴って、全身を捩って、肘で引き剥がそうと。
「大人しくしてろッ」
メイン通路を乱暴に引きずられ、広い倉庫に連れ込まれた。同じように、段ボールが端に積み重ねてある。
「……痛ッ!」
入り口で突き飛ばされて、床に転がされた。
「今すぐ、天国に連れて行ってやるよ」
凶暴な笑みを浮かべると、手下に何か怒鳴りつけて、俺に跨ってきた。
「今、仲間を呼びに行かせた」
「……え?」
「ヒャハハッ、大勢に見物させてやるぜ。オマエのよがる顔を!」
膝立ちで跨って、金属音を鳴らしながら、自分のベルトを外し始めた。二人の手下が、心得たように俺の手足を押さえていく。
「──やッ───」
セーターが捲り上げられ、シャツのボタンが飛んだ。
───マジか……
あまりにも急すぎだった。後悔も恐怖もすっ飛んで、真っ白になった。
……あっ!
見上げていた野獣の後ろに、さっき見た姿がまた現れた。
─── グラディス…!!
開いたままのドアの向こうで、引き返してきた様に、居住区へ向かう横顔………
……えっ!?
通りすがりに、チラリと寄越した。
その綺麗な銀色の眼は、確かに俺を見た。
そして右手には、お決まりの携帯……
長方形のぽっかり空いた空間に、ふっと現れた輝く銀馬は、一瞬にして視界から消え去った。
「…………」
まさか……
冷たい横顔───この状況を、見捨てたのか……?
「──────」
一瞬でも助かる気がした俺は、暗転した闇に、瞬時に突き落とされていた。
狂気に取り付かれたチェイスは、何も気が付いていない。
愕然としている俺を見て、気味の悪い声で笑い出した。
「ヒャッヒャッ……カツハル、そう脅えんなよ! メイジャーなんかより…あんなオヤジより、ずっと良くしてやるぜ」
腰に跨ったまま、露わになった俺の胸を、尖った舌先で舐め始めた。
「………!」
背中を、悪寒が走る。
───何でこうなる……
ピクリと身体が揺れてしまう。
この屈辱感。俺の意に反した拘束と服従、感触と反応……!
この遣り切れなさは、とことん俺を惨めにする。
…………何でまた、俺なんだ…!
「止めろ! ……離せよッ……チェイスッ!!!」
悔しくて、睨み付けながら叫び続けた。
血走った目が食い入るように俺を見て、いやらしく手を這い回す。
ギャラリーがどんどん、増えていくようだ。囃し立てては指笛を吹いて、俺の声を掻き消していく。
その勢いに乗って、チェイスが暴走していく。
「……ハッ…ハッ…!」
盛った犬のように荒い息を吐きながら、左右の胸を執拗になめ回した。
「……クッ…」
突き離したい……逃げたくても、大の字に押さえられた手足と、のし掛かってくる体重で、まるっきり動けない。
「────ッ」
握った拳に力を込めて、湧いてくるおぞ気に耐えた。
プレートが床の鉄板に擦れて、金属音を鳴らす。まるで、噛み殺した俺の声の代わりのように。
「……んッ…」
首を振るたびに、濡れた髪も、耳元で音を立てた。
「……オマエのその顔が、忘れられなかった…」