chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
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4
「……メイジャーめ、独り占めしやがって」
胸を舌先でいたぶっては、顔を離す。唇を噛み締める俺を、じっと眺める。
「あのオヤジ…偉そうに威張りやがって……オレをナメやがってッ」
言いながら勝手に、激高していく。
まるで日々の溜め込んだ鬱積を、爆発させていくように。
「まさかオマエから、飛び込んでくるとはな……」
私怨と嫉妬が入り交じった顔で、嗤う。
腹いせのように俺を呻かせて、胸や腹を舐め回した。
「…ァアッ!」
尖りに激しく爪を立てられて、声が漏れた。
「…………」
ビクンと揺れた俺に、チェイスがまた、目を瞠って眺めて来る。
「……本当に、イイなオマエ…」
頬を紅く染めて……気味の悪い薄笑いが、驚喜の笑みに変わっていく。
「ヒャハハッ…面白れぇ! オヤジが戻る前に、狂わしてやるゼ」
歯茎を剥き出して、見開いた碧眼が、凶暴な光を放った。顔に掛かる巻き毛を振り乱して、また胸を舐めまわし始める。
「オレの味を忘れなくさせてやるよ、カツハル!」
「……ッ!」
動けない───どんなに藻掻いても、振り解けない。嫌なのに、ねっとりと肌を這う舌は、確実に俺を変化させていく。
「……くそッ!」
悔しくて、全身が身震いを起こした。
自分で自分を守れない……“力”の前で、俺はいつも無力だ。
───でも……駄目だ…嫌だ──コイツには、負けたくない。
「………お前なんかに……誰がッ!」
怒りと苛立ちに背中を押され、後先も考えずに叫んでいた。
こんなやり方しかできない乱暴者。オモチャを欲しがる駄々っ子だと、メイジャーが言っていた。その通りだ!
オッサンに感じた傲慢さと、同じ……あの憤りが、沸き上がる。強引に身体を奪ってしまえば、俺がなびくと思っている。
「は…虜だって? …バカにすんな……お前の何処に、そんな魅力があるんだ…」
コイツはあの悪魔より、もっとタチが悪い。
「好かれたかったら、それだけの事をしてみろよッ!」
……包み込む……メイジャーの腕を、感じていた。いつも。
俺はメグに与えていた……安心して微笑んでいて欲しいから。
オッサンですら、それはあったんだ。
───なのに…
「何でお前は、それが判らないんだ……」
「─────」
驚いたように瞠っている、碧の双眸。悔しそうに口の端が、歪んでいく。
「……俺は、誰にも懐かない…」
当たり前だ……今更、何をされたって。憎しみを込めて、跨っている男を睨み付けた。
「───でもお前には……特にお前になんか…」
“愛を知らないグラディス”の弟。
欲しがるばかりで、与え方を知らない。それどころか、思うままに排除と略奪を繰り返す……最悪だ───
「俺が受け入れるわけ、無いだろッ!」
「───コイツ…ッ」
一瞬泣き笑いのような顔を作って、首から耳まで真っ赤になると、チェイスは苛立った声で、手下に何かを叫んだ。
「……ンッ…!」
誰かの手が、俺の口を塞いだ。首を振っても、剥がれない。
「ナマイキなこと、言いやがって…!」
みたび豹変した凶悪な相貌が、眼を血走らせて、見下ろしてきた。
「…………!」
目を合わせた瞬間、背筋が凍り付いた。
───最初に犯られた時の、空気……
暴力的な威圧感、破壊だけを目的にした、狂気の眼だ。
「お人形は黙ってろッ、今すぐぶっ壊してやる!」
その片頬を歪めて、俺のベルトに手を掛けた。
「─────!」
手足を押さえている奴らも、興奮したように顔を近づけて覗き込んでくる。
こんな……こんな状態で、晒し者にされるなんて………!
「や………」
下着ごと引きずり降ろされる、感覚────
俺の叫び…
それと同時に、鈍い音がした。
身体への圧力が急に消えて、入れ替わりに視界に映ったのは………
───メイジャー!!
目前にあった白い塊が、黒い壁と入れ替わっていた。
真っ黒いコートを翻して、拳を放った巨体が無言で動く。
「メイ……」
後ろから横殴りに吹っ飛ばされたチェイスが、振り仰ぎながら真っ青になった。
……ゴッ!
鈍い音が立て続けに響いた。ギャッという、断続的な叫び。
体重を掛けた重い拳が、チェイスの顔や頭を殴り、殴って、殴り倒した。
「……No…!」
俺を押さえていた奴らも、口々に恐怖を叫びながら、慌てて下がった。
………ハァ…
騒然とした部屋中が、一変した緊迫感に包まれて───
「…………」
耳が痛いほど、静かになった。
部屋の入り口で、殴り止めたメイジャーが仁王立ちになっている。両腕の拳を構えたまま、額に太い青筋を浮かべて。
背後にはシレン達。そこを開始点にぐるりと輪を取り巻いて、中心に俺とチェイスが転がっていた。
真っ黒い髪と髭面、長身に黒いロングコート。
その姿はそこに立っているだけで、誰をも圧倒する存在感だった。
「……………」
激高した顔は、眼も眉も吊り上げて。足下のチェイスを射殺すような、鋭い眼光。
無言で怒る黒い壁は、怒鳴りつけるよりも恐ろしかった。
「シレン」
押し殺した低い声で呼びながら、右手を横に突き出す。
背後から進み出たシレンが、メイジャーに腰の銃を渡した。
「……チェイス」
無造作に左腕を伸ばして、銀髪を鷲掴みにすると、問答無用に引っ張り上げた。
「………ウッ」
痛みで膝立ちになったチェイスの口に、その銃口をいきなり突っ込んだ。
「……ブゴッ!」
「この銃は何だ?」
「……ォグ…」
咥内で銃口を掻き回して、メイジャーが静かに言い続ける。
「これは、この国の王の証…コイツを持っている者が、この船のキングだろ?」
恐怖に歪んだチェイスの顔に、怒りで吊り上がった黒い目を近づける。
「なあ……誰がオレのモノに、手を付けていいと言った?」
ゴリゴリと音がするほど、銃口を歯や喉の奥に突き立てる。
「……フェ……フェイ…フォーイ…」
俺のすぐ横で、引っ張り上げられた身体が、ガクガクと震えている。
何か言おうとしても、言葉になっていない。
「オイ、チェイスよ、何とか言えッ!」
一際激しく揺さぶって、撃鉄を上げた。
ガチャリ
「ヒィッ! …フェイッ……アガガ……」
血と涙を頬に伝わせて、チェイスがその音に反応した。
恐怖でむせび泣くように、喉の奥から、悲鳴を絞り出している。
「オレの船で、勝手なことをして……」
チラリと視線を、俺に落とした。
脱がされた下着とズボン。はだけたシャツ。
ズボンだけは引き上げて、シャツは前を掻き合わせただけ。捲られたセーターも戻せず、やっと半身を起こしていた。
……情けない姿……
震えてしまう腕を、自分で抱えて。……助かったことを、まだ実感できないでいる。
茫然自失の俺を見て、メイジャーは怒りを再燃させたようだった。
チッと舌打ちする音。
「……これほど頭の足りない奴とは、思わなかった」
言うのも忌々しいという風に、吐き捨てて。
「オマエは、何様になったつもりなんだ。…え? チェイス…」
ドスを利かせた低音で、凄む。
殴られてボコボコに腫れてきた顔を、ぶらぶらと揺さぶる。
「……ァグ……アガ…!」
「ルールを犯して…そのままお気楽に生きていけると、思っているのか?」
「ヒョ…ゥガア…」
脅えきった泣き顔が、瞬きも出来ないで、唸っては首を横に振っている。
「オウ、返事しろよガキがッ」
鼻先にあるブラックキングの黒い眼光は、迷わずに引き金を引きそうだった。
「─────!!」
声にならない声で、チェイスが泣き叫ぶ。
たった今の今まで、俺にのし掛かっていた男……天下を取ったような威勢っぷりだった。
この世に怖い者無しの傍若無人さで、暴力に任せて好き勝手に…。
その男が、メイジャーの迫力に、脅え震えている────
……目の前で起こっていることが、にわかに整理できなくて。俺はただ呆然と、その光景を見上げていた。
心底チェイスに、恐怖したんだ。太刀打ちできない凶暴さに、俺は絶望した。
なのに、この光景は……格の違いなんてもんじゃない。それ以前───まるっきり大人と子供のような、次元の差だった。
騒ぎを聞きつけた船員達が集まって、円陣が分厚くなっていく。
もはやこの状況は、見せしめの制裁の場と、化していた。
メイジャーは敢えてそのギャラリーに、見せつけるように巻き毛を引っ張り上げて、地鳴りのような低音を響かせた。
「覚えておけ、チェイス」
「……ォゴッ…」
突いていた膝も床から上がってしまい、苦しそうに藻掻く。
「グラディスが乗船していなければ、オマエなど、ここで終わっていた」
「二度とオレのモノに手を出すな、判ったか!?」
「アガッ、…ガッ…ゥウ…!!」
突き立てられた銃口に、再度恐怖の叫びを上げる。
完全に萎縮した野獣は、泣きながら必死に頷いた。コクコクと首を縦にゆする様子は、俺から見ても惨めな姿だった。
「……………」
メイジャーはそれを冷たく見下ろすと、前髪を掴んだ手はそのまま、銃だけ口から引き抜いた。
撃鉄を戻して、コートの内ポケットに滑り落とす。
「……ハァ……ハァ……」
ホッとしたように目線だけでそれを追っているチェイスの顔を、もう一度引っ張り上げると、
「これで許されることを、感謝しろ」
言い終わらないうちに、甲高い音を横っ面に響かせた。
「──ッ!!」
左頬をもの凄い力で平手打ちされたチェイスは、輪を作っている手下の足下まで、吹っ飛んだ。
「……ゥグ…」
痙攣して倒れているそれを、取り巻き達は一斉に息を呑んで、見下ろしている。
恐ろしげに顔色を変えて、輪を崩していく者もいた。
「……オマエの子分共は、誰一人、オマエを助けようともしないな」
面白くもなさそうに、眺める。
「……ウゥ…」
肩で息をしながら、チェイスが首だけ少し起こした。
何か言いたげに、腫れ上がった顔の中から、細い眼をメイジャーに向けている。
「オマエの存在は、所詮その程度だと言うことだ」
冷ややかに見下ろして、吐いて捨てた。
それっきり興味を失ったように、キング・メイジャーはチェイスを視界から外した。
踵を鳴らして俺に近付くと、腕を伸ばしてきた。
「─────」
立てないでいる体を、無言で引っ張り上げる。
シレンも横に来て、俺の服を直した。
「ボクがいながら…ゴメン」
怒りと後悔を混ぜたような、震えた声。
「──────」
……シレンは何も悪くない…そう言いたくても、声が出ない。
「間に合って良かった…戻るぞ」
耳元で響く、低い声。
ふらつく腰を抱き込んで、逞しい右腕に支えられた。
「……………」
いつものポジション、聞き慣れた重低音……
───やっと助けられたことを、実感した。
息を呑んでたたずむ、船員達。
メイジャーの部下も、チェイスの手下も、ぴくりとも動けないでこの状況を見ている。
鉄板に転がったままのチェイスを誰も振り向きもせず、俺たちはその部屋を出た。