chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
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5
その後はシャワーでチェイスの汚れを落とし、寝室に戻った。
「早く脱いで、ここへ来い」
メイジャーは黙ったままの俺たちを、同時にベッドへ呼んだ。
豪快に全てを脱ぎ捨てて、全裸を晒しているキング。その向こうには、艶めかしい裸体が、俯せで横たわった。
「………………」
いつもはバラバラだから、まだマシなのに……。困惑したけれど、抵抗する気力も出ない。俺も服を脱いで、のそりと手前に上がり込んだ。
大きめのダブルベッドの上で、メイジャーにしがみつく様に、二人は両脇に抱き込まれた。
「もう落ち着け……オレがいる」
そう囁かれて、初めて気が付いた。
腕枕の右手に、頭を抱えられて。吐く息も白くなるほど、冷えた寝室で……寒さなど感じる余裕もない俺の体が、ずっと震えていた。
“オレがいる”
……メイジャーらしい、物言い─── その自信に匹敵する安心を、感じざるを得ない。
分厚い胸板の向こうには、真っ白い肩と腰の稜線が見え隠れしている。
……シレンも何も言わない。
俺は咽せるような体毛に顔を埋めさせられ、それでもあまり嫌悪しなくなっている自分に、複雑な気分になった。
「……………」
知らぬうちに馴染んでいた、俺の場所。当然のように耳横で響く、低い声。いつも左側にある大きな山の存在に、気付かぬうちにどれだけ頼ってしまっていたのか。
「シレン、克晴、……よく聞け」
ナイトランプだけに搾った明かりが、パイプの走る天井を薄暗く照らす。
ショックが抜けきらない俺たちに、メイジャーの声が温かく響いた。
「オレは仕事があれば、必ず下船する」
「……………」
「その度、克晴を寝室に閉じこめて置く気はない。シレンと同じく、自由でなければならない」
────自由……
「克晴が一人で行動したこと、シレンが克晴から離れたこと……それは当然の権利だ」
「……メイジャー」
シレンが緊張の解けない声で、呟いた。
俺も驚いていた。
自分の後悔を……そんな言葉で、宥められるなんて。
「それでいい。あんなチンピラ風情…このヤマが片づくまでだ。気にするな。」
「……………」
「……んっ」
グイと首の後ろから引き寄せられ、急に唇を合わされた。
深く舌を絡めた後、ブラウンの眼が俺を見つめた。
「……だが、未遂でなかったら、あの場で殺していた」
「…………」
殺気───
一瞬黒い閃きを覗かせたその眼光は、静かな怒りを燃やした。
本当に…殴り殺してしまうかと、思った。……そして、俺も。オッサンの時とは違って、止める気もなかった。
「メイジャー……なんでチェイスを、船に残しておくのですか」
納得いかないというシレンの声が、響いた。
「アイツは危険だと…言っていたのに」
「そうだな。本来ならこんなに長く乗船させては、いない」
「…………」
「売値の相場を割り出してから、出直させても良かったが……」
「今回の積み荷は、今までのとは訳が違う」
「──────」
「それは、グラディスが乗り込んできたことでも、証明している」
─── グラディス…!
重々しく響くメイジャーの声に、背中に戦慄が走った。
冷たく俺を見捨てた、銀獣の眼。“チェイスより危険だ”……そう言っていたんだ。このブラック・キングは。
その男が目的とする、積み荷って………
「………何なのです? …それは…」
俺の心を引き取るような、ソプラノ。白い身体が起きあがって、艶めかしく、ウェーブした赤髪を掻き上げた。
「……今回の件は、シレンにも詳しくは、話していなかったな」
「はい…」
「この目で実際に見るまでは、公に語れるブツでは無かった。幻で終わる可能性が高かったからな」
「………」
メイジャーの声から柔らかさが消え、空気がピリッと鳴るように緊迫した。
「Falling Angel……“天使でさえも堕ちる”威力を持つと言う………新薬だ」
───天使でさえ……
シレンも一瞬、息を飲んだように目を瞠った。
「精神を破壊してしまうほどに強烈な、幻覚作用…快感の増幅」
「……………」
「……打たれたら、虜だ。己を失う」
「……そんな物を…」
「そうだ。秘密裏に精製された、新薬……これは“SH”の上位種に当たる。効果は無論……それ以下であるはずは、ない」
「SHの……!」
シレンが目を見開いて、顔を白くした。
「通称SH、“Sleeping Heaven”。今まで取り扱った中で、群を抜いた高値で取引された薬だ」
じっと聞いてるだけの俺に、メイジャーは説明した。ヤク、と言っても千差万別、命に係わるものから救うもの、人格を破壊するものから軽い幻覚作用だけの物、痛覚、神経、精神、何に効かせるか…ニーズによってグレードも変わる。“強さ”が売価のバロメータではない事。
メイジャーが扱うのは、その中でも特級クラスの“ヤバイ”薬のみ、だと……。
「開発は難航していた……それは、トップ中のトップシークレット。知る者だけが、水面下で睨み合いを続けていた訳だ」
ニヤリと髭面を歪ませて、勝ち誇ったような笑いを見せた。
「今日を皮切りに、世に出回る。そのスジには情報を流した。手に入れたら“金の成る木”だ。暴利を貪る輩が欲しがって…蟻のように集って来るぞ」
「……………」
発している言葉の恐ろしさと、この光景のギャップに……俺はゾッとした。
愛しそうにシレンの頬を撫でながら、優しくキス…。白い体に逞しい腕を絡ませては、背中を撫で上げている。
……でも。
俺にはまだ、納得できない。取引のために、チェイスをのさばらせておく意味はないだろう。
「新薬と、チェイスの放置は……どう関係あるんだ?」
つい訊いてしまった。この妖しげな光景を、止めさせたかったのもあった。
なにもメイジャーが居ないときに、アイツを乗船させていなくても……それに、それこそ…
「積み荷に手を出したり、しないのか…?」
「お前には、まだ判らないか」
メイジャーは太い眉を少し上げて、子供をあやすような目で俺を見ると、抱えている右手で頬を撫でた。
「シガラミ、とも言えるが……オレはそこに有るモノは、何でも利用する」
「─────」
「よく言えば、“必要悪”だ。どんな人間だろうが…あんな男でも、何かの役に立つこともある。毒には毒の役目もあるってことだ。……腐ってもグラディスの弟だしな」
「………………」
「邪魔だからとその都度排除してしまうのでは、ただの独裁者で終わってしまう。世界も狭くなる。それでは、つまらないだろう」
……俺には確かに判らない、と思った。
役に立つ……? 悪さしかしないだろ…あんな奴……。
「オレが憎いのか?」
知らずに歯ぎしりしていた顔を、覗き込まれた。
「……え?」
「今お前は、オレに腹を立てた。なんであんな奴を許すんだ…と」
一瞬沸いた苛立ちは、自分でも深くは考えてなかった。
でも…俺はメイジャーに腹なんて……
「……図星はいいが、そんな悲しげな顔をするな」
頭を抱え込んで、撫でられた。
「人は弱い。腹を立てれば同じだけ制裁を加えたがる。気を晴らすのを第一とするからだ」
「………」
「オレは、そこが弱みだと考える。……お前もそう感じたから、今そんなカオをした。自分を恥じただろう?」
───弱い?
“役に立つ”ってキーワードで、無意識に怒りに火が付いていた。
メイジャーが、チェイスを同じように憎んでいないのかと、認めてまでいるのかと… 一瞬、悔しくなったんだ。
そんなこと考えてしまった、自分にも……。
「…………」
私怨で、話の本筋が見えなくなっていたんだって……気づかされていた。
抱え込まれた腕の中で、拳を作って握り込んだ。
「克晴…オレはアイツを許した訳じゃない」
ぞっとするような低い声───思わずびくりと、肩が震えた。
「お前はチェイスを、どれだけ知っている?」
───え?
「俺は、知らない。あの見たまんましかな」
次々と話が移る。でも、いつもの話術ではぐらかされているのではなく……
口の端で吐き捨てるように笑うと、俺の肩をさすりだした。温かい…。向こう側でシレンも息をつくのが、聞こえた。
「オレの知らない何かを持っているかもしれない。…持っていないかもしれない。……もしかしたら、変わるかもしれない…それを見定めるまで、怒りに任せて奴を切り捨てるのは……愚かだ。いつか来るチャンスを、己で捨てる事になる」
───メイジャー ……。
「オレにとって、奴は幸か災いか。排除する見極めは…不の感情からでは、あってはならない。……今回に限らずだ。その心を御すのが、強さだ」
───強さ…
メイジャーの“強さ”は、俺には途方もなさ過ぎて……。
でも……もしかしたら、変わるかもしれない? ……チェイスに…まだ価値を見出そうとする。
回りまわって出された答えに、信じられない思いでメイジャーを見上げた。
「限度はあるがな…」
また深いキスを受けた。くるみ込む腕が、少し痛い。
───これが……メイジャーの、懐の深さなのか……
さっきよりは、少しは判った気がした。唇が離れたあと、小さく頷く俺に、不敵に片頬を上げてみせる、ブラック・キング。
グラディスは、メイジャーを“甘い”と笑った。
白と黒が正反対のようだ……。銀白の王は、何もかもを無感情に、切り捨てる。
「ブツはと言えば、とっくにヤツの手の届かない船底の倉庫だ」
「………船底?」
「そうだ。この船は秘密がたっぷりだと言ったろう。“隠し倉庫”は、重油タンクの下の下だ。ガキが踏み入れる階層ではない」
「…………」
自分の認識の浅さを、何度も思わされる……。
メイジャーが相手にしているのは、あんなチンピラなんかじゃないって。俺の常識なんかじゃ考えもつかない、何倍もの先を見ながら動いている。
「でも、メイジャー ……」
不満げな声で、シレンが身体を起こした。
「ボクも、アイツを殴りたかった。……あれだけでは、足りない」
怒りを思い出したように眉を吊り上げて、メイジャーを見つめる。猫の目のように、きらりと光った。
「シレン…オマエは良く出来たNo.2だ。その気丈さと賢さは他にいない。……だが、チェイスのこととなると、頭に血が上りすぎるな」
「……ぁ…」
白い肩が、ぴくりと揺れた。
メイジャーの左手が背中から腰へ、滑り出しているようだった。後ろを太い指でほぐすように出し入れし始めたのが、動きで判る。
「……ぁあ、……メイ……すみませ…」
しなやかに仰け反った上半身が、毛深い胸にしなだれかかってキスをせがんだ。
「……メイジャ……はぁ…」
───妖し過ぎる……
悩ましげに、メイジャーだけを見つめて。
薄く開いた唇からは、漏れる甘い吐息が、白いモヤに変わっていく。
女性的なようでも、骨格は未完成の青年……オッサンが俺によく言っていた、“綺麗”という形容は……シレンにこそ、似合うと思った。
こんな近くで見たことは、無かったから……
俺はどうして良いか判らない。いきなり始まってしまった濡れ場。これを恐れていたのに。
─── くそっ…
背中を向けようと身じろいだけれど、メイジャーの腕がそれを許さなかった。
「ん……はぁ…」
ぴちゃぴちゃと響かせるように舌を絡ませては、息継ぎに合わせて、腰も擦り合わせている。
───こんなの俺に見せて、どうするんだ……
湧き上がる、嫌悪感と違和感。
何で俺が、ここに交わらなきゃいけないんだ………俺に拘る必要なんか、無いじゃないか。
そしてなぜか思い出して、胸が痛くなる。愛しいメグのことを。
───また、この想い……考えたって、苦しいだけだ。
俺は全てを閉め出すように目を瞑って、やり過ごそうとした。
「克晴、顔を上げろ」
「あ……」
いきなり顎を掴まれて、唇を押し付けられた。
「──── っ」
口髭がすでに、熱い息を含んでいる。濡れたメイジャーの舌は、シレンの余韻が残っている。
「……嫌だッ」
無理やりキスを振り解いて、顔をそむけた。毛深い胸板を、肘と腕で押し返して、そこから逃げようとした。……交互にこんなの、絶対に変だ!
「────!」
ベッドの右端……床に落ちそうなほどの位置で、がっしりと肩を押さえられた。
半身だけ起こして斜めに伸ばしてきた、メイジャーの左腕。それだけで、シーツに貼り付けになってしまった。
「……離せ…」
「なぜ、嫌だ?」
楽しそうに上から訊いてくる。
「──────」
……シレンが…
俺はそう言おうとして、言葉を詰まらせた。また“嫉妬か”と、笑われそうで。そして、シレンさえ居なければ、良いのかと。
……話術に嵌って、言いくるめられてしまう。
違う、そうじゃない。俺が言いたいのは───
「………なんで……俺なんだ……」