chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
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8
バシャンッ!
波間の中に、異質な水音。
船外の真っ暗闇の下の方から、それは響いた。
「シレンッ!!」
最初に動いたのは、メイジャーだった。
俺とチェイスの間を、黒い影が擦り抜けた。
張り付いたように、総勢が唖然となった中で───
叫ぶと同時にコートやシャツ、ズボンを脱ぎ捨てて上下裸になると、手摺りを片手で飛び越え、船の外へダイブしたのだ。
闇に消える、シルエット。
海面に飛び込む激しい水音が、再び響いた。
───────!!
俺は声も出ない。
下から吹き上げてくる突風は、恐ろしく冷たくて。
船の上でさえ、かなりキツイ…なのに……この凍てついた極寒の海に、落ちたら……
「………………」
俺も冷水を頭から浴びたように、心臓が凍り付いた。
───ウソだろ……!?
手摺りにしがみついて、下の海を覗き込んだ。
「シレン……ボスッ!!」
カルヴィンも同じように身を乗り出して、叫んだ。
「………ウ…ウァァ…」
チェイスが、背後で唸りだした。
自分がしでかしたことに恐怖したように、真っ青になって……両手を目の前に持ち上げて、愕然としている。
俺達はそんなのに構っている余裕もなく、真っ暗闇に目を凝らした。
二人を飲み込んだまま、溶かし込んでしまったように、黒いだけの海面。
「…………」
いくら目を凝らしても、暴風の叩き付けてくる呻りと、波頭の砕ける音だけが続く。
「ボスッ……ボスッ!」
遅れたように数人の船員達が、次々に手摺りに取り付いて、動かない水面を見下ろした。
────シレン……メイジャー……!
俺も叫びかけた時、船体近くの水面が盛り上がった。
ザバッ! っと海水を掻き分けて、メイジャーが顔を出した。
「ボス!」
安堵の叫びが、あちこちから漏れた。
───シレンは!?
身を乗り出したまま見つめていると、脇の下から赤い塊を海面に押し上げて、肩に押し上げるのが見えた。そして突き出した右手が波に揉まれながらも、船体の昇降梯子を掴んでいる。引き寄せるように体を寄せて、両手でそれに取り付いた。
……よかった…さすが……!
ホッとしながらも、まだ安心は出来なくて……
濡れた服は、もの凄く重いんだ。前にシャツを濡らしただけでも、俺はそれを実感した。
二人の重量は…特に赤いコートは、相当重いはずだ。それを左肩に担いで、逞しい腕が梯子を登ってくる。
────メイジャー……
その真剣な顔に、胸を突かれた。
ステップを、一段一段、しっかりと握りしめて。
普段は掻き上げているオールバックが、顔にべったりと貼り付いて……一段上るたびに、揺れる毛先や顎髭から雫が滴り落ちる。
ハァッ、ハァッ、と息が弾んでいき、口からは白い息を吐き出している。
……そして、濡れた全身からも…モヤのように湯気が立ち上り始めた。苦しそうに肩で息をしながら、眉を顰め、グッとステップを掴み直す。
……メイジャー……
『愛が二つ。オレは、それぞれを愛せる』
そんなの…俺は……信じなかった。
増えた分だけ希薄になって…その言葉は、薄っぺらだと。
でも……
常にどっしり構えていて王様だと豪語しているこの男が、部下にも指図する前に、迷わず極寒の海に飛び込んだ。
愛する人を助けにいく。
そのことの前には、全てを捨てさったキング・メイジャー…。
見下ろす俺の目頭が、熱くなった。
メイジャーの言う愛も、本物なんじゃないかって────
「早く、シレンを…」
力の限界のように、甲板に上がりきる前にメイジャーは言った。正体を失くしている体を、カルヴィン達に引き上げさせた。手早く船員達が、重くなったコートを脱がす。
「シレンッ!」
俺も呼びながら、横たえられた体を揺さぶった。
海水を飲んだのか、落ちたショックか? 顔が真っ青で、唇は紫に変色している。氷のように冷たくなって、意識が戻らない。
「……フ……ハハ…」
また背後から、チェイスの呻き声が聞こえた。
「……ハハ……ヒャハハ……」
「………?」
なに───
………何か変だ。
背筋が凍るような、不快感。
声を震わせながら、泣いているのかと思ったのに。
自分のしでかしたことに、恐れ戦いているのかと思っていた。
……でも……笑っている……?
思わず振り返った、俺の目に映ったのは─────
膝をガクガクと震わせながら、顔中を引き吊ったように痙攣させて……
薄気味悪く、笑って立っている、チェイス。
その突き出した両手には…………鉄の塊が、握られていた。
「……アッ!」
───メイジャーの……リボルバー!?
照準を合わせようと構える腕も、ブルブルと震えている。
「…オマエは…終わりだ………偉そうにしやがって……」
泣き声を絞り出して、狂気の碧眼を見開いている。
心臓が……
早鐘のように鳴り出す。
さっき感じた不快感が、現実のものとなっていくように。
「やめ…」
────まさか……なぜそれが……
目を疑っても、どう見てもあの銃だ。この国の、王の証……。
俺は動転しながら、視線を下に這わせた。そしてチェイスの足下に、黒いロングコートを見つけた。
────あっ…!!
ドォオオオン
現状を把握しようとした時、銃声が夜闇いっぱいに轟いた。
「───メイジャーッ!!」
今度こそ俺は、悲鳴を上げていた。
右肩から赤い飛沫を飛び散らせて、巨体が後ろに仰け反った。
…………………!
俺のすぐ横だった。
甲板に上がろうと、最後の足をかけた所だった。
荒い息がかかるほど、メイジャーは近くまで上ってきていたのに。叫びながら掴もうとした肩に、二発目の弾丸が命中した。
「グゥッ!」
跳ねた身体は、更にバランスを崩した。
「メイジャー!」
「ボスッ!」
その腕は力尽きているかのように、ステップを握りきれなかった。
船から離れた手── それを必死で掴んだ俺に、メイジャーは眉を顰めながらも、ニヤリと口の端で笑った。
「……あいつの言った通り…オレは、甘かったようだな」
…………!
「克晴……シレンを、死なせないでくれ」
「─────!!」
俺にしか聴こえないような、微かな囁きだった。
聞き取った瞬間、三発、四発と、銃声が鳴り響く。
「……やめろ……ヤメロ──ッ!!」
メイジャーを逝かせはしまいと、必死に叫んだ。
俺は全力でその体を引き上げようと、腕を掴み続けたのに。カルヴィンも反対の腕に、飛びついていたのに。
「……あぁっ……ッ!」
傾いた巨体は、足も踏み外した。
掴み切れない太い腕が、手が、指が、俺の指の間から滑っていく。
反動と重力に逆らえないまま、血に染まった体は、背中から落ちていった。
「─────!」
目の前で、スローモーションのように。
闇に吸い込まれていくメイジャーを、俺はただ見ているしかなかった。
───俺は……俺は……
メイジャーなら…
………やっと少し、自分の意志で…
メイジャーとなら…… 一緒にって………そばに………
「ぅ……うぁ……うわああぁぁぁ!!」
自分も吸い込まれていくかと思った。
あり得ない暗闇へ。
「──うそだ………メイジャーッ!!」
本当に落ちそうになりながら昇降口のヘリにしがみついて、俺は泣き叫んでいた。
真っ黒い海は、もうその姿を浮き上がらせない。
「チェイスッ……キサマァッ……!!」
その叫び声に振り向くと、カルヴィンがチェイスに向かって、飛び掛かって行くところだった。
今まで見たことのない、怒りの形相。
殴り合いだったら負ける筈がない、拳を繰り出して。
ダ───ンッ!
再び轟く銃声…
真っ正面から殴り掛かった体に向けて、それは発射されていた。
どさり…重い音を立てて、強靱なはずの肉体が崩れ落ちた。
「……カルヴィン!!」
俺もまた、悲鳴を上げていた。
チェイスの震える手は、離れたメイジャーには何発も必要だった。
でも、真っ正面から飛び込んでいった体は、余りに────
「うわ……うわああァァッ!!」
絶叫を上げながら、倒れた体に飛びついた。
「そんな───ダメだッ…カルヴィン!!」
胸から噴き出す血流を手の平で押さえながら、叫び続けた。
───こんなのってあるかよ! ……カルヴィン! ……メイジャーッ!
涙で視界が歪む。
動かない恩師を抱えながら、俺は傷を押さえ続けた。熱い血が噴き出すのを、手の平にいつまでも感じる。
「だれか…誰かッ……医者! ───血を…血をッ!!」
周りを見渡しながら、叫んだ。
でも怖じ気付いた船員達は、輪を保ったまま、誰一人動いてくれなかった。
「ああぁ…カルヴィン…ッ!」
噴き出し続ける熱い命が、俺の手の中で、泉が涸れるように静まっていく。
「……………!」
抱えた顔が、みるみる白く空虚を見つめて固まっていく。
「……うああぁぁぁ!!」
無茶だと判ってて、思いっきり体を揺すった。膝に引きずり上げて、両腕で頭を抱えて泣いた。
「…クソ……クソッ………チェイスッ!」
───殺してやりたいッ!!
この時ほど、増悪を沸かせたことなど、なかった。
「……チェイスッ!」
もう一度叫びながら睨み上げた俺に、ソイツは泣きながら膝を震わせて、銃口を向けていた。
「─────!!」
そして、高笑いをしだした。
「───ハハハ…」
全身を痙攣させながら、涎と涙を垂らして笑い続ける。
「オレの勝ちだ……オレの……ッ!!」
思わぬ騒乱で、手に入れた王座に───何よりもチェイス自身が、慄いていた。
「…勝った……ハハハハ……勝ったッ………勝ったぞ…」
体を震わせて、泣きながら嗤う。
それは───
分不相応の、キング・チェイス……元ハイエナの、勝利の咆吼だった。
「…………」
耳鳴りのような高笑いを、頭のどこかで聞きながら、俺の眼は、更に信じられないモノを映した。
突きつけられている銃口の、遙か向こう……
船員達も慄然として立ちつくす、その後ろで。
サーチライトも届かない船橋楼の横でなお、輝きを放っている。
……銀色の一角獣……
蝋で作ったような白い顔は、俺たちの方を見てもいなかった。
手摺りに腰を掛けて、いつも通り、涼しげな振る舞いで携帯を耳に当てて。
この……悪夢のような喧騒とは、まったく関係のない世界の住人のように。
俺の叫びも、銃声も、血の臭いも……まるで届いていないのか。優雅な姿は、俺を見捨てた時のように、この惨劇にさえ無関心に見えた。
「──────」
俺の中で、何かが音を立てて壊れていく。
……メイジャー…アンタの認めていた男は………
………俺は何を信じて、何に……
哀しみが深すぎて、涙が止まらない。
「メイジャー……カルヴィンが撃たれたんだ……助けろよ…」
もう鼓動を伝えてこない体を抱えて、呻いていた。
「───キングだろ………無敵の…ボスなんだろ…!」
………どうにかしろよ、メイジャーッ!
さっきまで横にあった、あの堂々とした図体に、心で叫ぶ。
海に消えていった、血まみれの体にも────
「……かつ…はる…?」
───────!!
茫然としていた俺に、後ろから細い声……
「なに、今の……銃声…?」
咳き込みながら、シレンが体を起こした。
───シレン…
俺は、ゆっくりと首を動かして、びしょ濡れの顔に視線を向けた。
………何て言えば……いいんだ…
シレンは…まだ知らない。
この国の王が、入れ替わってしまったことを。