chapter12. smile meaningfully-それぞれの居場所-
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7
「……アイツの、やりそうなことだ」
苦々しく眉を寄せると、メイジャーは素早く脱ぎ捨てていた服を纏った。
帰ってきた時のままだ。黒いスーツに黒いコート。そして銃。袖口には、チェイスの返り血が付いている。
「シレン、防寒しろ。克晴、来るならオレの後ろから出るな」
胸のボタンを留めて、見下ろしてきた。
────来るなら……
……俺に選ばせる言い方だ。
今までは何処に行くにも、連れて歩いたから……こんな時に、そんな“自由”を与えられるなんて思いもしなかった。
「……………」
途中だったベルトを締めて、シレンからセーターを受け取ると、俺も見返した。
今さっきまでの行為が嘘のように、メイジャーはボスの顔付きに変わっていた。
「もちろん…行く」
アイツを怖がって、ここから動けないなんてのは、嫌だ。
「あの様子じゃ、仲間なのに殺しかねないんで……でも危なくて、誰も近寄れないんです」
カルヴィンが、お手上げのポーズを作りながら、説明した。止めに入った手下が、同じ目に遭っていると言う。
「大人に叱られて八つ当たりしてる、ガキ大将ってところですね」
冷たく言いながら、シレンは髪と同じ真っ赤なコートに袖を通した。
ヒラヒラしたブラウスとは違い、厚手のしっかりした、膝までのコートだ。高くて幅もある襟に、細い顎を隠して。肩幅が広く腰が細いシルエットは、さすがに様になっている。
俺は純毛のセーターを被っただけ。昼間と同じ格好だったけれど……
昼は、初めて一人で。
今はメイジャーと一緒に、自分の意志で……この寝室を出るんだ。
そのことが頭に一杯で、知らずに緊張していた。
パスポートを取りにオッサンの車から降りて、家まで走った時と同じだと思った。奇妙なむず痒さが、腹の底から沸き上がってくる。
場違いな開放感───“自分で動く”それだけのことが、こんなにも嬉しいなんて。
早足で駆け上がった甲板は、想像以上に寒かった。
曇っているのか、空に星一つ見えない。昼間のうららかさが嘘のように、極寒の海から突風が吹き上げてきた。シレンの重そうなコートでさえ、音を立てて背中まで翻った。
「……くっ…」
凍てつく風は一瞬にして、俺たちの体温を奪って行った。腕で顔を庇いながら、船首の方に目を凝らした。頭上の船橋楼からのトップライトが、クレーンの足下を照らしている。
「……酷い」
シレンの呟きに、俺も息を呑んだ。
そこには、凄惨な情景が浮かび上がっていた。
途方に暮れるように、立ちつくす手下達、見に来ている数人の船員。その向こうで、チェイスが何かを喚きながら、暴れている。……乱れた英語のようで、俺には聞き取れない。
その足下には動かなくなった血だるまの塊が、いくつも転がっている。そして、やはりすでに意識の無いであろう男を、執拗に殴りつけていた。
「“お前らのせいで、恥を掻いた…何でさっき、オレに味方しなかった!?”」
「……え?」
横に立つカルヴィンを、見上げた。
「そればっかり繰り返し、喚いている……っとに、どうしょうもねぇなぁ」
辟易したように肩をすぼめながら、教えてくれる。
視線を戻すと、チェイスは止めようと近付く者にぶち当てるように、手の中の男を振り回している。
「───あれだよ、ハァッ…危なくて近づけねぇ…」
「クルーは下がって!」
ついと前に出たシレンが、叫んだ。
凛とした一声で、油膜がはじけてヘリに張り付くように、囲みを作っていた船員達がその輪を大きく広げた。中央では暴走したチェイスが、何も聞こえないかのように叫びながら、暴力を続けている。
「……あれじゃ、本気で殺しちまうな」
カルヴィンがまた、険しく眉を顰めた。
───惨い………これが仲間への仕打ちで、することか…?
近付いた俺も、吐き気が込み上げてきて口を押さえた。転がっている幾つのもの物体は、すでに何か判らないくらいだ。
「………………」
喚き続けるチェイスには、本当に何も聞こえていないようだった。
「……チッ」
メイジャーが舌打ちをしながら、輪の中に進み出た。チェイスは、近付いてきたその気配に、ただ反応した。
「…Shit! ……Shit…!」
言葉にならない叫びを上げながら、手の中のボロ雑巾のような男を振り回して、メイジャーにぶつけてきた。
──────あッ!
盾にされた男が、断末魔の叫びを上げて、デッキに転がった。
次の瞬間、チェイスも鈍い呻き声を上げていた。
「ギャ…ッ」
嫌な濁音と共に、正気を失った猛獣が、甲板に倒れ込んだ。
一緒に……殴り倒した───!
俺は目の前の出来事に、目をみはった。
死にそうな男を肘で払い飛ばし、そのまま踏み込んで、強烈なフックをチェイスの横面に叩き付けていた。
鮮やかすぎる一発と、容赦のない判断……
「────」
何事も無い様な冷たい視線で、床にもんどり打ったチェイスを見下ろしている。
その横顔を見上げて俺は、息もできない。底知れないキング・メイジャーの、更に奥の一面に、恐怖していた。
「お前……何をしている」
「……ヒッ」
襟首を掴まれて引きずり上げられたチェイスが、今気付いたように焦点を合わせて、情けない悲鳴を上げた。その顔は昼の制裁のせいで、パンパンに膨れ上がっていた。口の端から泡を吹いて、仰天している。
「何をしているんだと、訊いている!」
地を這うような声が、ドスを利かせて夜の甲板に響いた。
「ヒィ……!」
縮み上がったチェイスが、震えだした。やっと状況が判ったように、視線を泳がせては口をぱくぱくさせている。
「……アイツら…アイツら、オレのこと……ナメやがって…」
苦しそうにメイジャーの手を引っ掻いて、怒りの言い訳を始めた。
「子分のくせに、オレを見捨てやがって……」
泣き出しながら、しどろもどろ言葉を続ける。
シンと静まりかえった、甲板の上で。それは……たった今さっきまでの暴れ馬とは思えないほど、滑稽な姿だった。
「見捨てたら、殴り殺していいのか?」
静かに言いながら、メイジャーは吊した体を揺さぶった。
「そんなルールは、この船に無い。……今すぐ下りろ」
そのまま引きずってデッキの端まで行くと、手摺りにチェイスを押しつけて、上体を船体の外へ押し出した。
「ヒァ……」
下は真っ暗闇の海。高さも判らない。波の打ち付ける音だけが、不気味に響いている。
「お前が仲間をなぶり殺すのは勝手だが、外でやれ」
「ヒィィッ……!」
海からの突風に吹き上げられて、チェイスは両腕でメイジャーの手にしがみついた。
「Sorry! ……Please sorry……!!」
下を見ては真っ青になって、何度も繰り返し謝り出した。
取り巻いていた船員達も、輪を崩さずに船首の左端へ移動していた。息を呑んで、顛末を見つめる。
シレンも俺も、手摺りに掴まりながらそれを間近で見ていた。
いよいよメイジャーの手が離れそうになった時、チェイスが悲鳴を上げた。
「───Gladys! ……My God……Help…!」
……俺にも聞き取れた。
───兄さん、助けて───
その言葉で、メイジャーが手を緩めた。
ドサッと手摺りの内側に体を落とすと、冷酷な目で見下ろし続ける。
「──────」
俺は海に落としてしまわないメイジャーに、少し驚いた。
……そんなことを…瞬時に思った、自分にも。
シレンも同じだったようだ。
メイジャーの仕置きに不服であるというように、溜息を吐いた。
「そんなヤツ……」
腕を組むと手摺りに腰を預けるように寄りかかり、横で蹲っている男に冷ややかな視線を送った。
「何が“助けて”だか……兄にもとっくに見捨てられている、野良犬のくせにね!」
辛辣な言葉を、投げ捨てる。
─── その時、止めていれば……
メイジャーも言っていた。
シレンは、チェイスには熱くなりすぎると……
それがどんな結果を、引き起こすかなんて。
この瞬間まで、誰が想像できただろう────
「………なんだと」
チェイスが、膝をガクガク言わせながらも、立ち上がった。
「仲間に見捨てられて、当然でしょう。……こんな無様な格好しか、見せられないのだから!」
「………ッ」
追い打ちを掛ける冷たい声に、チェイスの目の色が変わった。
「しかも、自分で責任を取りきれずに、兄頼みなど…」
「……だまれ……この……ッ!!」
カッと頭に血を上らせて、叫びながらシレンに掴みかかった。
「──────!!」
──────え………
怒りに駆られた野獣は、制御など知らない。
振り払おうとした細い腕を、もう一度追いかけて…
重そうなコートを着込んだ体を、手摺りの外に突き飛ばしていた。
「……アッ」
小さな叫び声。
作業がしやすいように、そんなに高さのない鉄の柵は、容易くそれを船体の外へ放り出した。
赤い残像が、闇に消えた。